6
ぱちり、と目を開けて、まず初めに俺の口から漏れたのは、長いため息だった。
今日もまた、俺は帰れなかった。
その事実を告げる大きな木が、真上に葉を茂らせてざわざわと音を立てている。
傍らを見やると、マルコはまだ眠っていた。
囚われた両手を放り出して寝息を零すマルコは気を緩めきった表情をしていて、海賊らしからぬその様子に少しばかり口元を緩める。
いつもなら暗い気持ちになるこの時間を、ここしばらくは暗くならずに過ごせているのは、マルコが横にいるおかげだった。
1人きりで過ごすことには案外慣れていたつもりだったけど、俺のことを何も知らない誰かと一緒にいるのはすごく居心地のいいことだったらしい。
顔でも洗いにいくか、なんて考えて、そのまま立ち上がる。
マルコは大体後で起きてくるから、わざわざ起こそうとは思わなかった。
「……ナマエ?」
けれどもそのまま川の方へ歩いていこうとしたら呼び止められて、動きを止めて振り返る。
マルコがむくりと起き上がって、俺のほうを見やっていた。
いつもよりずいぶん眠そうに見える目が数回瞬きをして、それからその体がすくりと立ち上がる。
両手が不自由だというのに、マルコの動きは大分軽やかになった。
実は能力者だとか、その手錠は海楼石だっていうのは嘘なんじゃないかと思いたいくらいだ。
そうでなかったら、手錠が外れたときのマルコはあれだ、風にでもなるんじゃないのか。
「おれも行くよい」
「そ」
マルコの言葉に頷いて、俺はマルコと連れ立って川へ向かうことにした。
そういえば、一緒に過ごしてもうじき15日だけど、一緒に顔を洗いに行くのは初めてだな、なんてことをのんびり考える。
俺は初めて一緒に過ごす他人を食わせる事に一生懸命で、マルコを置いて食料調達に勤しんでたからだ。
マルコはマルコで船が通らないか海を眺めるのに忙しい様子だったから、それで間違いは無かったと思う。
今日はマルコが早起きをしたからか。
辿り着いた川で先に顔を洗って、少し遅れて顔を洗いに来たマルコに背中を向ける。
そうして、いつもの木に近づいて、本日の記録を残す事にした。
「……何してんだよい?」
がしがしと石で木肌に傷をつけていたら、顔を洗い終わったらしいマルコがそう声を掛けてくる。
きちんとついた傷を指先で確認してから、俺はマルコのほうを振り向いた。
「今日の記録」
「……ナマエがここにいる日数かい?」
「ん」
頷いた俺のほうへと、マルコが近づいてくる。
その目が俺の触れている木を眺めて、そうして僅かに見開かれた。
「…………ナマエ、お前、ここに何日いるんだよい」
少しばかり低い声に聞かれて、首を傾げながら木肌へ視線を戻す。
10ごとにブロックにした傷を数えて、マルコが求める答えを確認した俺は、その数字を口から吐き出した。
「309日」
言葉にしてみると、ずいぶんな数字だ。
木肌は大分ぼろぼろだった。
もし365日分刻んでしまったら、そろそろ違う木に傷をつけるようにしたほうがいいかもしれない。
そんなことを考えていたら、何かが俺の頭の上に乗せられる。
それからがしがしと少し伸びた髪をかき混ぜられて、俺は自分がマルコに頭を撫でられているということを自覚した。
なんだ、と思い見やれば、どこか厳しい顔をしたマルコがそこにいる。
「マルコ、どうかしたのか?」
「どうもこうもねェよい……のんびりしてるのも大概にしろい」
おれだったら耐えられねぇよい、と唸られて、俺は首を傾げた。
耐えられない、というのはこの島での生活だろうか。
マルコは結構順応していると思っていたのだが、もしかしたら少しばかり無理をしていたのかもしれない。
気付かなかった、と考えて少し眉を寄せると、まるで俺の考えが分かったかのように、マルコの指が俺の眉間を捉える。
「……おれは平気だよい。ナマエがいるからねい」
そうしてぐりぐりと眉間に寄せたしわを伸ばされて、俺はぱちりと瞬きをした。
多分不思議そうな顔をしているだろう俺の前で、両手を下ろしたマルコが言う。
「ナマエ、お前、これからもずっと一人で、この島にいるつもりかよい」
尋ねられて、俺は首を傾げた。
それ以外に、選択肢などあるだろうか。
俺は元の世界に帰りたいのだ。
だからここを離れない。それは昨日マルコに言ったはずの言葉だった。
マルコの問いに答える様に頷こうとして、けれどもぴたりと動きを止める。
戻っても誰も俺を待つ人はいないと、そう昨日思ったことまでを思い出してしまった。
つまり、マルコが自分の船に帰った後は、この島にいようが元の世界へ戻ろうが、結局俺は一人になるということだ。
「マルコがいなくなったら、寂しくなるな」
想像してみても今いちぴんと来ないが、きっと寂しいんだろうと思ったからそう言ってみると、マルコが眉間にしわを寄せた。
さっきの仕返しをしようと手を伸ばしたけど、軽やかに避けられてしまった。
※
← : →
戻る