16
その日は夕食まで倉庫で過ごして、それから二人で夕食を食べに食堂へ移動した。
既に食堂にいて、サッチと何かを話していたマルコが、サッチに促されてから俺達の方を見やる。
その目がぱちりと瞬いて、それからすぐに逸らされた。
「ほら、じゃあなマルコ」
「……よい」
何を話していたのかは分からないが、軽く手を振って離れて行ったサッチを見送りながらマルコへ近づくと、改めてこちらを見やったマルコが言葉を探すように目を彷徨わせる。
「……なんでそんな汚れてんだよい?」
「ああ……倉庫にいたからな」
やや置いてから問われて、自分の恰好を見下ろした俺はそう答えた。
ちがうよいひみつきちよい! と隣で声が上がっているが、秘密ではなかったのだろうか。
俺も『マルコ』も埃などで体が汚れている。
手と顔は洗ってからきたが、食事が終わったら今日は風呂に入ることにしよう。
そんなことを考えつつ、昨日と同じようにマルコの向かいに腰を下ろすと、子供がマルコの隣に座る。
自分の横に座った子供に少し怪訝そうな顔をしたものの、マルコは気にせず食事を続行することにしたようだ。
「いたきます!」
俺が運んできたトレイを受け取ってから、ぽむん、と両手を合わせた『マルコ』が高らかに挨拶をする。
それを聞いて横でため息を零してから、マルコの手が離れたところにあった水差しを掴み、まだ空だった子供のグラスに水を注いだ。
それから向けられた水差しを受け取ろうとしたら、俺の手を払うように動いた水差しから零れた水が俺のグラスにも注がれる。
「ありがとう、マルコ」
「よい」
礼を言った俺に頷いて、マルコの手が水差しを置く。
俺のそれを聞いて同じように『ありがとよい!』と声を上げた子供が、両手で持ったグラスを傾けてごくごくと水を飲んでいた。
さっき倉庫でも同じように水樽の中身を空にしていたはずだが、本当に、随分とたくさん水を飲む。
小さな頃のマルコはそれほどでもなかったから、ここはマルコと『マルコ』の違う部分の一つだろう。
やっぱり植物だからなんだろうか。
そんなことを考えながら食事を続行して、食べ終わったのは少ししてからだった。
途中であのねあのねと話しかけてくる『マルコ』に相槌を打っていたら、昨日より時間がかかってしまった。
先に食べ終わっていたマルコは、それでも俺達から離れていかず、俺の向かいで『マルコ』の隣である席に収まったまま子供が食事をとるのを眺めている。
「……ごちそー、ました!」
ようやく食べ終わった子供がそう挨拶をして、丁寧にぱちんと両手を合わせた。
汚れたその顔を拭いてやろうと手を伸ばしたら、そんな俺に気付いたマルコが俺から用意していたタオルを受け取って子供の顔を拭う。
されるがままにされた子供がきれいな顔になったのを見届けてから、俺は自分とマルコと『マルコ』の皿を重ねた。
「よし、風呂に行くか」
そうして言葉を投げれば、ぴくりと反応したのはどうしてか目の前の二人だった。
こちらを向いた二対の視線に首を傾げつつ、目を子供の方へと向ける。
俺の視線を受け止めて、先ほどの言葉が自分あてだと把握したらしい『マルコ』が眉を下げた。
「……おふろ、よい?」
おずおずと寄越された声からは、ありありと『いやだ』と思っていることが伝わってくる。
あれほど水を飲む癖に、風呂は嫌いなのだろうか。
そこは『マルコ』の記憶からによるものなのかもしれない。
どちらにしたって引くつもりのない俺は、汚れた体の子供を見やって頷いた。
「大丈夫だ、俺がさっさと洗ってすぐに終わらせるから。海の男なんだろう?」
何度も小さなマルコに主張されていた言葉を紡げば、うう、と小さなうめきが子供から漏れる。
やや置いて、小さな頭がこくりと頷き、頭から生えている芽がぴょこりと揺れた。
「がんばる、よい……!」
まるで決死の覚悟をしたかのように言葉を吐き出して、ぐっと拳を握った子供に、俺も頷く。
「よし、それじゃあこれを片付けたら……」
「よいっ?」
風呂に行くか、という俺の言葉を遮ったのは、とてつもなく戸惑った様子の子供の声だった。
皿に移しかけていた視線を向ければ、俺の向かいで立ち上がったマルコが、どうしてか小脇に子供を抱えている。
急に体が浮いてしまったらしい子供がじたばたと空を泳いで、それから戸惑い交じりの顔でマルコを見上げた。
「マルコ?」
思わず名前を呼べば、その目がちらりとこちらを見る。
「おれがいれるよい。ナマエはさっさとそれ片付けて、ちっと休んでろい」
そうして寄越された言葉に、俺は少しばかり困惑した。
どうしたのだろうか。
戸惑う俺と同じような顔をした『マルコ』が、とても不思議そうに首を傾げる。
「おっきいマルコ、マルとおふろはいるよい? やあよい、マルはナマエとはいるよい!」
「……同じ『能力者』のつもりだろうから、おれのが嫌がらせずにいれられるよい」
じたばたと暴れ始めた子供を無視したマルコの言い分は、もっともらしい。
しかし、漫画を読んでから知った事実だが、能力者は海水だけではなくて真水にもそれほど耐性がないらしい。溜まった水に入らなければ問題ないのかもしれないが、小さな『マルコ』にとってのそれがどのくらいかなんて、俺には分からない。
まあでも、マルコはいつも自分で風呂に入っているのだし、そのあたりの対処法も心得ているのだろう。
だとすれば確かに、『マルコ』もマルコと一緒に入った方が気持ちよく風呂に入ることができるかもしれない。
『リリカモドキ』がどれくらいまで擬態できるのかは分からないが、俺は結局能力者ではないのだから、能力者が感じる不快感を察してやることなどできないのだ。
そこまで考えて、そうか、と頷いてから、俺はマルコから『マルコ』へ視線を向けた。
「『マルコ』、そっちのマルコもお風呂が怖いそうだから、一緒に入ってあげてくれないか」
そうして言葉を投げると、ぴたりと子供の動きが止まった。
今立っている大人のマルコより大きな瞳がこちらを見やって、それからむうと眉が寄せられる。
「………………それじゃあ、しかたないよい」
どこか不満げながらも子供はそう呟いて、その目が傍らを見上げ、ぐっと小さく拳が握られた。
「おっきいマルコはおとななんだから、ちゃんとはいれなきゃだめよい。マルがついてるよい、がんばれよい」
激励の言葉とともにぽんぽんと足を叩かれて、マルコが軽く眉を動かした。
けれども仕方なさそうにため息を吐いて、よいよい、なんて適当に返事をしながら子供を連れていく。
小脇に抱えたままの子供はされるがままで、そのまま二人が去っていく様子を見送ってから、俺はとりあえずテーブルの上の皿を片付けることにした。
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