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リボンは巻かない (2/2)



 結局海賊が出しっぱなしにした本の片づけで残りの時間を費やした俺は、司書の女性に礼を言われながら図書館を後にして、雨の上がった夜道を歩き、本日の夕食をとるべく店に向かっていた。
 騒がしい酒屋はきっと海賊達がいるだろうと判断して、少し落ち着いた雰囲気の飲み屋に入った俺の選択肢が間違っていたと気付いたのは、店内に入った瞬間にこちらへ向けられた強面たちからの視線を受け止めた時だった。
 貸し切り状態だったのか、店の中にはつなぎを着込んだ海賊達であふれている。

「あー……」

 すみません、間違えました、そう言って足を引こうとしたところで、何かに背中がぶつかって足が止まる。
 驚いて振り返ると、こんな時間なのにサングラスをかけた男が、じっとこちらを見つめていた。
 着込んでいるのはやはりあのつなぎで、なんとも言えない気持ちで飛びのいた俺を、男の視線が追いかける。

「ん? なーんかお前、見たことある気がするんだけど」

「お前を拾った奴だったぞ。礼を言っとけ」

 不思議そうに呟く男の後ろ側にいた『ペンギン』帽子の男の言葉に、ああ、とサングラスにキャスケット帽子の男が両手を叩いた。
 その様子に、目の前の男があの酔っ払いだと言うことに気付く。
 にんまりと口元を笑ませた元酔っ払いは、伸ばして来たその手でがしりと俺の肩を掴まえた。

「そっかー、お前か! 世話になったなァ」

「あ、いえ、あの、」

「まーまー、入れよ! 一杯奢るぜ!」

 まるで自分の家に誘うようにそんなことを言いながら、ぐいぐいと俺のことを引っ張った海賊が俺を店内へと引きずり込む。
 助けを求めようにも四方八方が『ハートの海賊団』で、『ペンギン』ですらも軽く肩を竦めただけだった。
 誰にも助けて貰えないまま、出ていくのにすら勇気がいりそうな奥まった場所に引っ張っていかれて、そこにあった椅子に無理やり座らされる。

「今日は特別いい酒用意して貰ってんだ、お前ついてるなー」

「と、特別ですか」

「そ! 特別」

 上機嫌の海賊がそんなことを言いつつ、仲間に何か言って酒瓶を投げさせる。
 受け取ったそれを押し付けられて、度数を確認した俺は思わず身を引いた。
 こんなもの飲んだら急性アルコール中毒で倒れてしまうんじゃないだろうか。そんなことを考える俺の周囲で、似たような瓶を他の海賊達がごくごくと飲み干していく。
 元酔っ払いも同様で、近い将来昨日のように泥酔してしまうことは間違いないその飲みっぷりに、また行き倒れますよ、と進言したくなったが我慢した。
 そしてその代わり、後を追って入ってきた『ペンギン』が傍らに座るのを見やって、恐る恐る口を動かす。

「特別って……何か、記念日ですか?」

 海賊団がそれを祝うのかどうかは分からないが、例えば『海賊団結成記念日』とかだろうか。
 もしもそうなら、部外者の俺がこの場にいる意味が全く分からない。
 困惑している俺を見やり、ああ、と『ペンギン』が声を漏らす。

「まあ、そんなに堅くなるようなモンでもないから、そうびくびくするなよ」

「いや、そうは言いましても……何の日ですか?」

「何の日って言うと、」

「お、きたー!!」

 俺の問いに答えてくれようとした『ペンギン』の言葉を遮って、傍らの酔っ払いが声を上げる。
 何事かと思って視線を向けると、ちょうど先ほど閉じたばかりの飲み屋の扉が開かれて、そこに人影が現れたところだった。
 後ろに白熊を伴い、不敵に笑って足を進めているのはどう見ても、先程図書館で迷惑行為を行っていた海賊だ。
 うわ、と思わず身を引いた俺の隣で、『ペンギン』が言葉を続ける。

「うちの船長の誕生日だ」

「…………」

 それはやっぱり俺はいない方がいいんじゃないですか、と尋ねたのだが、どうしてか傍らの海賊は『大丈夫だ』と無責任なことを言っただけだった。







 始まってしまった宴の場を壊して怒らせることも出来ないまま、俺はそのまま『トラファルガー・ロー』の誕生日を祝う飲み会に参加することになってしまった。
 とはいっても隅っこに座って酒を飲んでいるだけの話で、遠くに座っているトラファルガー・ローとは目だって合わないし、出来る限り息を殺していたからか誰も俺には絡んでこなかった。
 目立たない程度に酒を舐めているふりをしつつ、どうにか息をひそめていた俺が解放されたのは、飲み屋のあちこちで『ハートの海賊団』が泥酔してしまった頃のことだ。
 海賊団のくせにケーキまで用意していて、大きかったそれはすっかり平らげられ、空いた皿に白熊が顎を乗せて眠っている。
 そういえば、『ベポ』が買っていたあれは船長への誕生日プレゼントだったらしい。バスセットをプレゼントされる海賊と言うのはなかなかシュールだった。
 まだあちこちで酒を飲んではいるが、既に俺をここへ連れ込んだ『ペンギン』とあのキャスケット帽子も酔いつぶれていて、これなら大丈夫だ、と判断してこっそりと移動する。
 一応自分が飲んだり食べた分だけのベリーをカウンターの端に置いて、それから店を出た俺は、はあ、と大きく息を吐いた。

「おい」

 そこで後ろから声が掛かって、びくりと体が上に跳ねる。
 大きく脈打つ心臓を押さえながら恐る恐る振り返ると、今俺が出て来た飲み屋の出入り口に、先程の宴の主役だった海賊が立っていた。
 体を柱に預けたまま、こちらを見つめる相手に、俺ですか、と思わず自分を指差しながら周囲を見回す。

「お前以外に誰がいる」

 その場でそんな風に言葉を零して、こいこい、と海賊は俺を手招いた。
 その指に記された刺青が怪しく揺れるのを見ながら、しかし走って逃げると言う選択肢を選ぶことが出来ずに、仕方なく海賊の方へと足を動かす。
 ほんの数歩で間近になった俺を見下ろして、海賊が首を傾げた。

「図書館でも会ったな?」

「は、はあ……」

 どうやら俺を覚えていたらしい相手に頷けば、伸びて来たその手が俺の腕を掴まえる。
 何かを確かめるように指に力を込めた後、ふん、と海賊が鼻を鳴らした。

「賞金稼ぎでも無さそうだ」

「一般人です」

 何だか酷い勘違いをされている気がして、慌ててそちらへそう答える。
 俺のどこをどう見て賞金稼ぎだと思ったのだろうか。そんな恐ろしい職業に就く予定は微塵もない。
 俺の言葉に、そうだろうなと頷いて、すぐに海賊の手が俺から離れた。

「そのくせおれを知っていたな。調べたが、おれの手配書はまだこの町には来てねェ」

 なのにどうしておれを知っている、と問いかけられて、だって有名キャラクターじゃないですか、と言いたいのをどうにか飲みこむ。
 目の前の海賊は、俺が知っている『漫画』のキャラクターだった。
 けれども、それを今この場で言ったって、信じて貰える気が全くしない。
 もしも俺が面と向かってそんなことを言われたら、まずは病院に行くことを勧めるに決まっている。
 何と答えたらいいのかと考える俺の前で、トラファルガー・ローという名前の海賊がわずかに目を細めて、その手が軽く俺の胸元に触れる。
 それと同時にずおりと何かが胸に入り込む嫌な感触がして、俺は慌てて飛びのいた。
 けれども敵わず、酷い喪失感と共に、俺の胸に穴が空く。
 比喩では無く、外からは分からないが胸の内側には確かな空洞があって、そしてそこに収まるべきものは目の前の海賊の手元にあった。
 びくんびくんと跳ねる心臓を見やり、そう怯えるなよ、とトラファルガー・ローが楽しげな声を出す。

「返してほしいか?」

 軽く心臓を握りながら寄越された言葉に、物理的に胸を締め付けられたような気分になりながら、こくりと頷いた。
 耳の奥でなる鼓動と重なる拍動を続けているあの心臓は、確かに俺自身の物だ。返してもらわなくては困る。
 俺の様子を眺めたトラファルガー・ローが、それなら、と口を動かす。

「お前の名前は?」

 答えたら返してやる、なんて言われてしまったら、答えないわけにもいかない。

「ナマエ、です」

 だからとりあえずそう口を動かすと、そうか、と頷いたトラファルガー・ローがその手の上で心臓を転がした。
 そのまま、人差し指だけでこいともう一度招かれて、恐る恐る自分で開いた分の距離を詰める。
 近寄った俺の胸元に海賊が心臓を押し付けると、奪われた俺の臓器は簡単に胸の中へと納まった。
 ほっと息を吐いて、それからすぐに相手から距離をとると、海賊が楽しそうに笑う。
 くつくつと喉まで鳴らすその様子に眉を寄せつつ、それじゃあ、と俺は頭を下げた。
 それからくるりと相手に背中を向けて、そのまま夜の道を歩き出す。
 何が楽しいのか全く分からないが、何もしていない相手の心臓を奪うような危険人物と対峙し続けていては神経が磨り減るばかりだ。
 俺には明日も仕事があるのだから、さっさと帰って眠りたい。
 そう思っての俺の行動を阻害したのは、ぶわりと広がった不思議なサークルと、瞬時に自分の体のあった位置が移動すると言う怪奇現象だった。

「え、」

 思わず声を漏らして瞬きをする。
 確かに歩いた分の距離を巻き戻らされて、今いち起きたことの意味が分からない。
 困惑する俺の肩に、ぽん、と横から手が乗せられる。

「つれねェな。今日はおれの誕生日だ、もう少し付き合え」

 そしてそんなことを言いながらぐいと肩を引っ張られて、先程逃げ出すことが出来たはずの店内へと引きずり込まれる。腕を振り払って逃げたら怒らせてしまいそうでそれも出来ないまま、とりあえず俺は抗議した。

「いや、あの、俺は明日も仕事があって、」

 だから放してくれと言葉を続けているのに、気にした様子もなく元いた場所に移動したトラファルガー・ローが、俺を自分の前に放り、無理やり座らせる。
 その上で、傍らにあった酒瓶の一つを俺に押し付けて、自分の酒瓶を片手に掴まえた。

「仕事があるって?」

 ソファに座り、背もたれに体を預けながら問われた言葉に、はいと頭を上下に振る。
 そうか、と呟き、帽子を被ったままの海賊がその目元をわずかに細めた。

「その仕事が無くなれば付き合うってのか?」

 楽しそうに口元まで笑ませながらも、吐かれたのは何とも恐ろしい言葉だ。
 ぞわりと背中が粟立ったのを感じて、慌てて首を横に振る。
 この島の人達は、身元不明の俺を受け入れてくれたいい人達だ。まさかそんな彼らに、迷惑を掛けるわけにもいかない。
 俺には『漫画』で読んだ知識しかないが、そう言えばトラファルガー・ローは『最悪の世代』とか呼ばれる世代の海賊だった。何か恐ろしいことをしでかさないとも限らない。

「つ、付き合います、いくらでも……!」

 だからこそ必死になってそう答えた俺に、そうか、と海賊があくどい顔で笑う。
 なら飲め、と改めての酒盛りに付き合わされて、俺が意識を失ったのはほんの一時間ほど後のことだった。







 酔いつぶされた俺が目を覚ました時、そこが潜水艦だと把握するのにはしばらく時間が掛かった。

「船長が気に入りそうな奴だなーって思ったんだよな」

 世話好きだしつつけば反応するし、と言って笑ったのは、シャチと名乗ったあのキャスケット帽子の元酔っ払いである。


end


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