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リボンは巻かない(1/2)
※異世界トリップ系一般人とロー船長
※名無しオリキャラ注意



 ある日突然この世界に放り出された俺を、身元不明の移民として受け入れてくれたこの島は良い所だ。
 田舎を思わせるのどかさに、今日も軽くため息を零す。
 生きていくための金を手に入れる仕事をすることも出来て、今のところはあまり不自由もなく生きていけている俺の目下の不満と言えば、娯楽が無いと言うことだった。
 持って歩いていたゲーム機は海水に水没して死んだし、防水だった携帯電話も電池が切れて使えなくなった。アウトドアな趣味を持っていることが多いらしい島民達には時々マリンスポーツに誘われるが、正直海に入ることには魅力を見いだせないので出来る限り断っているのが現状だ。
 午前中の空いた時間をつぶすために俺が足を向けたのは島に唯一の図書館で、夏島と言うらしい亜熱帯気候のこの島の中でも唯一過ごしやすい温度を保っているそこには、それなりに人がいる。
 何となく、ここが『どこ』なのか分かるようになったが、まだそれを認めたくなくて、俺は図書館に通ってはあちこちの地理や歴史を調べていた。
 英語の授業を真面目に勉強していて良かったと、これほど思ったことも無い。知らない単語に引っかかることが時々あるが、つっかえつっかえながらもいくつかは読んでいくことが出来た。
 そして、一冊読んでいくごとに、俺の中の希望が小さくなっていくのを感じる。
 『海賊王』に『海王類』、『ひとつなぎの大秘宝』に『偉大なる航路』、『海軍』に『悪魔の実』、『魚人島』に『空島』。序に言うなら通貨は『ベリー』だ。
 日常生活で使ったことも無いその単語たちは、しかし俺が何となく知っているものばかりだった。
 ああこれは、と本をよみながらそこに記されている非現実的な現実に震えていた俺を、最後に絶望に蹴落としたのは、俺の向かいで椅子を引いた男だった。

「おい、その本を読み終わったんならこっちに寄越せ」

「あ、はい、すみません。どう……ぞ」

 高慢にしか聞こえない声に、こわい人が向かいにいると感じて慌ててあとがきが読みかけだった本を閉じ、そのまま向かいへと差し出して、目の前の人影にびくりと体を震わせる。
 俺のその様子を怪訝そうに見やり、それからにやりと笑ったのは、妙に柔らかそうな帽子を被って酷い隈を目元に蓄え、その指にまでしっかりと刺青を入れた男だった。
 トラファルガー・ローなんていう名前の、『あの漫画』では主人公一味でもないのに随分と人気だったキャラクターが、俺の目の前にいる。

「何だ、おれを知ってるのか?」

 まだそんなに名を上げたつもりはねェんだがな、と楽しげに言うその海賊を前に、俺は自分がいるこの世界があの漫画の世界なんだと思い知った。







 『死の外科医』なんていう恐ろしい二つ名を抱えたローは、仲間達と共にこの島を訪れているらしい。
 図書館から逃げるように離れて、歩き回った港町に見かけた何人かのつなぎの男達に、俺はそう把握した。
 島民に聞いた話によるとここもまた偉大なる航路のどこかにある島だと言う話だから、きっとログを貯めに来たんだろう。教えてもらったことが事実なら、ログは二日程で溜まる筈だ。
 別に悪いことをされているわけじゃないが、基本的にこの島は平穏で、海賊がやってくることだって殆ど無い。島民達は気にしていないようだが、いつ何時トラファルガー・ローを追いかけて海兵が現れ白兵戦になるか分かったものじゃない。巻き込まれて被害をこうむるのは一般人なのだ。
 さっさと出発してくれないかな、なんて面と向かっては絶対に言えないようなことを考えつつ、今日もせっせと荷物を運ぶ。
 身元不明住所不定無職だった俺を雇ってくれたこの町の住人達は、なんとも気のいい連中だと思う。
 与えられている仕事は主に倉庫からあちこちの店への荷物運びで、読めはするが書き文字に自信の無い俺にとってはありがたい仕事内容だ。

「お待たせしましたー」

「はいはい、ありがとうね」

 辿り着いた店に声を掛けると、客との応対をしていた店主から返事が寄越される。
 奥の棚へ移動しながら、店の裏へ運んでくれと言葉を投げられて、分かりましたと答えてから荷物を抱え直した。
 慣れた足取りで進んでいく途中で、ちらりと見やった店内にいた異様な存在に、思わず足が止まる。

「…………」

 熊だ。
 どう見ても熊がいる。
 体毛が白いから白熊だろうか。
 つなぎを着込んで人間のように二足歩行をしながら、うーん、と小さく声を漏らしつつ両手に持った商品を眺めるその姿に注目していると、向こうの方が俺に気付いてこちらを向いた。
 不思議そうなその目がぱちりと瞬いて、それから軽く首が傾げられる。
 じいっと注がれる視線に耐えられなくなり、かと言って逃げ出すこともできないまま、あの、と思わず口を動かした。

「み、右手のより左手の奴の方が、よく売れてるみたい、ですよ」

 どっちがいいかなと言いたげに見比べている商品の片方を思わず指差してそんなことを言ってしまったのは、今日納品している商品もそれだったからなのだが、どう考えても差し出がましくでしゃばりすぎな発言だった。
 けれども俺の言葉に怒った様子もなく、そうなの? と声を漏らした白熊が手元へ視線を落とす。
 その目がこちらから離れたことに息を吐き、俺は慌てて荷物を店の裏手へ運んだ。

「伝票にサイン大丈夫ですか」

「あいよ」

 裏口近くへやってきた店主に伝票を差し出すと、荷物つめの合間に手を動かした店主が俺にサインをくれた。
 それを受け取り、大事にポケットに仕舞ってから、それじゃあと店から出ていくことにする。
 ちらりと振り返ってみたものの、離れた店の入り口からはさっきの白熊の姿は見えない。

「……あれが、なんだっけ、『ベポ』か」

 トラファルガー・ローの仲間の一人だったはずの白熊を思い返し、ふう、と小さく息を吐く。
 漫画ではファンシーな見た目のような気がしたのだが、あそこまではっきり熊だとは思わなかった。きょとんとした目は確かに可愛かったが、戦っても勝てる気が全くしない。いや、俺は本当にただの一般人なのだから、元より海賊に戦いを挑む予定はないのだが。
 それにしても、あの店はバスグッズを扱うどちらかと言えば女性向けの雑貨店なのだが、海賊が一体何の用だったんだろうか。
 歩きながら少し首を傾げたものの、俺の頭では答えなど出せそうにも無かったので、とりあえず疑問を放り出して、俺は次の仕事に取り掛かることにした。







 どのくらいの長さこの島にいるのかは分からないが、とりあえず『ハートの海賊団』は本日、買い物にせいを出しているらしい。
 あちこちの店への荷運び中、目印にしやすいあのつなぎを着込んだ連中に何度も遭遇した。
 ひょっとすると、ログが貯まり次第居なくなるつもりなのかもしれない。
 それは喜ばしいことだと考えつつ、でもできたらやっぱり今すぐいなくなってくれないかな、と俺が思ってしまったのは、ようやく仕事が終わり、適当に夕食を買って帰ってきた家の前に、泥酔した様子の酔っ払いが転がっていたからだった。
 今日何度となく視線を向けてしまったあのつなぎを身にまとった男が、人の家の扉の前に横になり、むにゃむにゃと口を動かしている。

「……あの」

 とりあえず横から声を掛けてみたものの、酔っ払いからの反応は無い。
 顔を近付けなくても分かるくらいに酒臭く、こいつは頭から浴びたんじゃないのかと思わせるほどだった。
 近くに酒場があるから、そこで飲んで来たんだろう。まだ真夜中にもなっていないこの時間帯に、こんな簡単に泥酔していて海賊としてやっていけるのか、はなはだ疑問だ。
 放っておきたいところだが、邪魔で部屋に入れない。
 少しだけ考え込んでから、俺は男の体に手を伸ばした。
 ぐい、と引っ張って起こし、とりあえずドア横の壁に背中を預けるような格好にさせる。

「んん〜……」

「早く起きて、宿なり船なりに帰ってくださいね」

 むずかるように眉を寄せて唸った酔っ払いに言う。
 キャスケット帽子が外れてしまったので、ついでにこの状態でも掛けていたサングラスも外させて、二つともその膝の上に乗せた。
 ドアの可動範囲を確保してから、さっさと家の中へ入ることにする。
 酔っ払いだって、目が覚めたら自力でどこかに行くだろう。
 そんな風に考えながら買い込んだ荷物をテーブルに置いて、さっさとシャワーを浴びた。
 それから食事もして、図書館で借りて来た本も読みつつ、時計を見やれば帰って来てから二時間ほどが経っていることが分かる。
 回覧板で回っている週間天気予報表を見やり、明日の朝は雨か、なんてことを俺が何となく確認したところで、玄関の方から小さな物音がした。

「…………」

 ちら、と玄関の方を見やってから、少しだけ考えて、そして小さくため息を零す。
 立ち上がって近付き、ためらいもなく玄関を開くと、先程俺がもたれかけさせた恰好のまま、酔っ払いはぐっすりと眠り込んでいた。
 体勢を変えられようと、睡魔には敵わないらしい。つくづく酒と言うのは恐ろしい。

「……あの、起きないんですか?」

 とりあえず横に屈みこんで声を掛けてみても、酔っ払いからの返事は無い。
 その様子にもう一つため息を零してから、俺は両手を伸ばして酔っ払いを玄関の内側に引きずり込んだ。
 鍛えているのかその服の内側に何か仕込んでいるのか、見た目より重たい男をどうにか玄関から上がった場所に転がして、伸ばした手で通路側に落ちた帽子とサングラスを拾い、扉を閉じる。
 ついでに鍵も掛けて、脱がせた靴を帽子とサングラスの横に放り、男をフローリングの上に転がし直した。
 男は自分が人の家に引きずり込まれたことにも気付いた様子なく、未だにぐうぐうすうすうと寝息を零している。
 いくら夏島でも、雨に降られればさすがに冷える。
 自分の家の前で酔っ払いが凍えているだなんて外聞が悪い気がするし、送って行ってやろうにもどこの宿に泊まっているのかすら俺は知らないのだ。
 明後日が給料日だから、最悪家を荒らされても取られる金すら殆ど無いし、俺は女でも無いから貞操を気にする必要も無い。
 だからまあ、いいか、と一つ結論付けて、広げたタオルケットで酔っ払いの体を覆ってやって、自分は自分の寝床へ移動する。
 薄暗くした室内には酔っ払いの寝息が響いていて、少しうるさかった。







 翌朝、結局酔っ払いは俺が起きても目を覚まさなかった。
 ぐうぐうと大きくいびきまでかく始末で、これはもう、日が昇りきるまで目を覚まさないだろうな、と考える。外は予報通り雨が降っていて、静かなものだった。
 とりあえず鍵はそのままで出て行ってくれて構わない、とメモを書いて、俺は部屋を出ることにした。
 一応食事や飲み物は見える場所に置いて行ったから、無駄に部屋を荒らされることは無いと思いたい。
 傘を広げ、今日の荷運びはどこ宛だったかなと、昨日の帰りにちらりと見やった伝票を思い返しながら早朝の街を歩いていたところで、すぐ横の路地から唐突に現れた人影にびくりと足を引く。

「ああ、悪い」

 俺の動きが目を引いたのか、こちらへちらりと視線を向けて謝ってきたのは、あの酔っ払いと同じつなぎを着込んだ男だった。
 頭の上の帽子にペンギンと書かれているのだが、確かこれはそのまま名前だった気がする。
 いやそれより、海賊と言うのはこんな早朝に歩き回るものなんだろうか。しかも、傘も差していない。
 戸惑って見つめた先で、きょろりと周囲を見回した海賊が、はあ、と軽くため息を零した。
 香った酒臭さに、早起きなんじゃなくて朝帰りなのかと気付く。
 だとしたら、今からどこかの宿に戻るつもりなんだろうか。

「あの」

 そんなことを考えていたら思わず声を掛けてしまっていて、それをきちんと耳で拾ったらしい『ペンギン』がこちらを見た。
 何だ、と言いたげなその口元を見やってから、どこに泊まってるんですか、ととりあえず問いかける。
 不審すぎる俺の問いに、何を急に、と目の前の海賊が警戒したのが分かった。
 誤解されてはたまらないと、慌てて首を横に振る。

「昨日、そちらと同じつなぎの人が酔っぱらって倒れてたんで、今うちで寝てるんです。どこの宿か分かったら、送っていけるかと思って」

 仕事の時間があるからそんなに遠くまでは連れていけないが、近いんなら何とかなるかもしれない。
 そう思っての俺の問いに、『ペンギン』帽子の男が首を傾げる。

「……酔っ払い? …………キャスケット帽子のサングラスか」

「あ、はい」

 寄越された特徴があの酔っ払いと一致していたので、しっかりと頷く。
 俺の答えに、『ペンギン』がその口元に手を当てた。
 やれやれ、と言いたげにため息を零してから、その体がこちらへ向き直る。

「悪かったな。おれが回収する。お前の家まで案内してくれ」

 そうして寄越された言葉に、分かりました、と俺はもう一度頷いた。







 酔っ払いを回収しに来た『ペンギン』にどうしてか酔っ払いの為の朝食を食われたものの、それを駄賃に不審者の引き渡しを完了させた俺は、何となくすっきりした気持ちでその日の仕事に赴いた。
 貸してしまったレインコートが帰ってくるかは分からないが、まあ、酔っ払いを追い出せたんだからいいだろう。
 相変わらず港町には『ハートの海賊団』のクルーが歩き回っているが、島民達には相変わらず驚いたり怯えたりしている様子もない。
 あれこれと買い込む彼らや島民達の間をすり抜けて仕事をこなし、配達が全て終わったところで夕方になった。
 今日は久しぶりにどこかの店で食べるかと、夕食時になるまで時間をつぶすために、いつものように図書館へと向かう。

「……あれ」

 入り込んだ図書館内に漂う異様な雰囲気に、俺はぱちりと瞬きをした。
 視線を向ければ、顔見知りになった司書の一人が、静かに、と人差し指を唇に押し当てながらこちらへ向けてアピールして、それから奥まった方にあるテーブルを視線で示す。
 何だろうかと棚の影から覗き込んだ俺の視界に入り込んだのは、うずたかく積まれた本達と、その間に位置を取って本をめくっている海賊の姿だった。
 昨日、俺が座っていたのとそれほど変わらない場所だ。
 まさかとは思うが、あれからずっとあそこに座っているのだろうか。
 目を瞬かせて視線を向けた俺に、司書がこくこくと涙目で頷く。どうやら俺の予想は当たっていたらしい。この図書館には閉館時間と言うものがあるのだが、なんて酷い海賊だろうか。通りで館内に他の人影が見当たらない筈だ。
 あまりにも異様な光景に思わず足を引きたくなったものの、縋るようにこちらを見つめる司書の視線を受け止めると、それもちょっとできなくなる。
 これは、注意するべきなんだろうか。
 どうしたものかと見つめた先で、こちらへ背中を向けているトラファルガー・ローが、その手に持っていた本の一つをうずたかく積まれている本たちの一番上に放った。
 当人は次の本に取り掛かっているようだが、俺の見つめている先で、放られて着地に失敗した本がずる、と少しばかり滑ったのが見える。
 あのままじゃ倒れてしまうと気付いて、俺はすぐにその場から海賊のいる方へと足を踏み出していた。
 別に海賊の頭に厚みのある本の一つや二つが落ちたところでどうということも無いだろうが、本の方は確実に痛む。それがまだ俺の読んでいない本で、なおかつ俺が元の世界に帰るためのヒントが書かれているものだったりなんかしたら、恨んでも恨み切れない。
 ぐら、とたわんだ本の塔が倒れかけたところに手を伸ばして支え、どうにかそれを押し戻した。
 俺の手が落とした影に気付いてか、ちらり、と海賊がこちらを見やる。
 柔らかそうな帽子の下に酷い隈を蓄えた相手を見下ろして、あの、ととりあえず言葉を投げた。

「この本、まだ読んでますか?」

 そうでないなら片付けないと、何度だって同じことが起きる。
 読み終わったなら片付けたほうが、と意見をした俺から興味をなくしたように視線が逸れて、海賊はまた本を読み始めた。
 酷い態度だ。うちに来て俺の作ったものを食べて仲間を連れ帰ったあの『ペンギン』の方が、よっぽど礼儀正しかったんじゃないかと思う。
 眉をよせはしたものの、そんな意見をしては『死の外科医』にどんな目に遭わされるかもわからない。

「……それじゃ、片付けますね」

 だから仕方なく言葉を落として、俺は自分が掴んでいた本達を数冊持ち上げた。
 海賊はこちらを見もしないが止めもしないので、まあ大丈夫だろうと判断して、本達をそのまま本棚へと戻していく。
 何度か海賊の傍と本棚を往復し、俺があらかた片付けた頃、海賊は俺に何も言わずに図書館から引き上げていった。
 その際、何冊か本を持ち出していったようだが、きちんと返却されるのか甚だ疑問だ。






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