アドニスは知っている
※主人公はペンギンの幼馴染でハートクルー
※『かわいい』派生の幼馴染シリーズでくっついた後
※少々の子ペンギン注意
『ペンギン、これ』
言葉と共に差し出されたものに、幼い少年はぱちりと瞬きをした。
不思議そうに見つめるその先に、赤い花が一輪揺れている。ふんわりと漂う甘い匂いは、恐らく花からのものだった。
それを持っているのはペンギンと同じ年頃の少年で、そして彼がナマエという名前であることをペンギンはちゃんと知っていた。
ナマエはペンギンの幼馴染だ。
ペンギンと一番親しい相手である彼は、絶対にペンギンにひどいことをしたりしない。
だからこそ、幼く柔らかな掌がそっと目の前の一輪へ触れ、差し出されていたそれを受け取った。
『……なんで、おはな?』
そしてそれから不思議そうに、少しばかりしたったらずな声がペンギンの口から漏れる。
その顔は少しばかり不満げだった。
『お花』というのが『女の子』の遊び道具だということを、ペンギンだってちゃんと知っているのだ。
小鳥のくちばしのように唇を尖らせた先で、ナマエがどことなく照れたような笑みを零す。
『だってほら、きょーってペンギンのたんじょうびだろ?』
『うん』
『だから、それ、おれからのプレゼント』
頷くペンギンへ、ナマエはそう言葉を寄越した。
放たれたそれに、ペンギンはきょとりと目を瞬かせてから手元を見下ろす。
夕暮れに染まる海のように赤い花が、細い茎をペンギンに握りつぶされそうになりながらけなげに顔をあげていた。
『……なんで、おはな?』
さっきと同じ言葉を首を傾げて呟いたペンギンへ、ナマエが優しく言葉を紡ぐ。
『おれが、ペンギンをだいすきだから』
同じ年頃のはずなのに、どうしてか大人が子供へ語り掛けるような穏やかな声が聞こえて、ペンギンはその視線を手元の花からナマエへ戻した。
ペンギンと同じく丸みのある頬を、わずかに赤く染めたナマエが、プレゼントを渡した方であるくせにとても嬉しそうな顔をしている。
『それ、いちばんすきなひとにあげるおはななんだって』
だからペンギンにあげる、と歌うように転がってきた言葉に、ペンギンはぱちりと両目を瞬かせて、そしてその両手で赤い花を持ち直した。
ざわざわと何かが幼いペンギンを落ち着かなくさせて、まるでとんでもない宝物を贈られたかのような興奮を抱いた子供が、ありがとう、と舌も回らぬ様子で言葉を零す。
ナマエがくれた『お花』がとてつもない特別なのだと知って、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
それが、ペンギンがぼんやりと覚えている古い記憶だ。
※
がさり、と紙のこすれるような音がする。
それと共にふわりと漂った甘みのある匂いに、ペンギンはゆるりと眠りの国から帰還した。
一番最初に視界に入ったのは見慣れぬサイドチェストで、ぼんやりとした視線でそれを見つめたペンギンが、ああ、そうか、と胸のうちで一人呟く。
ポーラータング号は、いつも通り無事に一つの島へとたどり着いた。
昨日と今日は休養日で、久しぶりに揺れぬ寝床を求めたペンギンは、幼馴染と共に島にあった宿屋へと泊まり込んでいるのだ。
頬を押し付けたシーツは真新しく、布地がペンギンの知るそれと違うのか、少しざらついているように感じる。
そこから漂うわずかな匂いは、ペンギンともう一人の二人分だ。
そしてその相手は、ペンギンが見やったベッドの上にはいない。
「……」
「あれ、悪い、起こしたか」
眠りから覚めたばかりの体を緩慢に動かして起き上がると、ベッドから少し離れた場所で声がした。
それを聞いて視線を向ければ、先にベッドを降りていたらしいペンギンの幼馴染が、笑いながらペンギンの方へと近寄ってくるところだった。
部屋へ入ったところで放りなげたペンギンの帽子がその手にあり、近寄ってきた彼の手によっていつもの場所へと戻される。
帽子のつばが落とす影からナマエを見やって、ペンギンはわずかに首を傾げた。
「……早起きだな」
休養日のナマエは、大概ペンギンが起きるまでぐっすりと眠り込んでいる。
久し振りの島は田舎らしくのんびりした場所であるようだったから、観光がしたいということもないだろう。
寝起きでかすれ気味の声で不思議そうに呟いたペンギンへ、用事があるからな、と答えたナマエが、片手を体の影に隠すような不自然な動きで、どかりとベッドへ座り込んだ。
近寄った相手から漂う香りは、ナマエがいつも漂わせているものとは違う。
ゆっくりと瞬きをして、それからそれが何の匂いなのかに気付いたペンギンは、ああ、と声を漏らした。
「そういえば、おれの誕生日だったな」
「察しがよくて何よりだよ」
ペンギンの言葉に笑って、ナマエがひょいと持っていたものをペンギンの方へと差し出す。
沈む前の太陽の色を溶かし込んだような赤を宿したそれは、きちんと飾り紙で包装された一輪の花だった。
毎年、ナマエが渡してくるそれは、もはや恒例となったペンギンへの誕生日プレゼントの一つだ。
「誕生日おめでとう、ペンギン」
「ああ、ありがとう」
寄越された言葉へ答えながら、ペンギンの手がそれを受け取り、上から覗き込む。
漂う香りは相変わらずで、わざわざ今日と言う日の為にきちんと手を回していたのだろうナマエには少しばかりの呆れすらも感じるほどだった。
一つの島にいた以前とは違い、今のペンギン達は海の上を進んでいるのだ。
一晩はずっと一緒にいたはずなのに、とまで考えてから、ペンギンの目がちらりとナマエを見やる。
「部屋を出たのか?」
『宿から出ないで過ごすか』と囁いていたくせに自分の言葉を反故にしたのかと見つめると、ナマエは首を横に振った。
「いや? 宿入る前に買い物しただろ」
あの時に買ってた、とあっさりと寄越された言葉に、そうか、とペンギンが頷く。
他のプレゼントは船に忘れてきちまったんだけどさ、と言って笑っているナマエは、どうやらいつもと同じく『プレゼント』を他にも用意していたようだ。
ペンギンの手が改めて一輪の花を掴み直し、そっと自分の膝の上へと置いた。
ペンギンとナマエが、周囲も知る『恋人同士』になったのは、ほんのしばらく前のことだ。
『練習』と称した関係はあったのにペンギンが恋に気付いておらず、さらに言えばナマエが何も言わないからとナマエが何を思っているのかすら推察せずにいたことがなかなか『恋人』となれなかった原因の一端にあると、ペンギンは分析している。
小さなころから習慣的に贈られていたこの花の意味に気付いていたならば、妙にこじれたりすることだってなかったかもしれない。
しかしながらペンギンは男で、花言葉なんてものには縁もなかった。
薔薇のようにわかりやすければ気付けただろうかと考えてもみるが、『父母の真似』だと言い切ったナマエの言葉を信じないわけがないだろう。
ナマエとうまくいってから、『今日』と言う日付が近いことに気付いた後でナマエからの贈り物を思い出し、その意味を調べた。
清純だの無邪気だのと言った海賊に向けるには何とも不似合いな単語と、花びらの色で変わるらしい花言葉を思い浮かべたペンギンの口から、軽くため息が漏れる。
「どうせなら、口で言ってみたらどうだ」
それからそう言葉を放つと、え、とナマエが声を漏らした。
その目が少しだけ瞬いて、少しばかり困ったように眉が下がる。
「……その……もう少し練習してからでいいか?」
そのうえでぽつりと寄越された言葉に、またか、とペンギンは肩を竦めた。
鍛錬を怠らない、と言えば聞こえがいいが、ナマエはむやみやたらと慎重だ。
ペンギンとはすでにいろいろな『本番』だってこなしたくせに、これだけはずっと二の足を踏んでいる。恐らく、最初にやらかしたのが原因だろう。
揶揄われて困るナマエは憐れだったが、恥ずかしそうにするナマエと言うのは少しばかり新鮮だった。
「いいぞ。おれに向けてやるならな」
「それ、ほとんど本番じゃないか」
「大丈夫だ、聞こえないふりをしてやる」
男らしく言葉を放ったペンギンへ、結局聞いてるんだろ、とナマエが困り顔のままで笑う。
その手が伸びてペンギンが膝に置いた一輪の花の包装をつまみ、少々大きなそれをそっとペンギンの顔へ近づけた。
香りが強くなり、それに気付いたペンギンが身じろぐ前に、すぐそばに座り込んだナマエが口を動かす。
「お前を愛してるよ、ペンギン」
甘く囁くナマエの声音が、ペンギンの耳をじわりと擦る。
寄越された言葉に心臓が高鳴るのを感じたペンギンは、しかしナマエの目が自分を見ていないという事実にも気付いて眉を寄せた。
ナマエの視線はペンギンの顔より少し外れ、自身がペンギンの顔へと近付けた一輪の花へと向けられている。
たかだか花に嫉妬なんてしたくはないが、ナマエがペンギンのものになってから、ペンギンのうちの独占欲は増すばかりだ。
「……花相手に言うくらいなら今すぐ本番にしろ、馬鹿ナマエ」
「え? うわっ」
言葉と共に目の前の男を捕まえて無理やりベッドへ引き倒すと、ナマエが慌てた声をあげた。
その拍子に放り出された花が、かさりと包装紙のこすれる音をこぼしながらベッドの向こうへ落ちる。
「言ってみろ、ほら」
しかしそれを拾おうとはせず、両手でナマエを捕まえたままベッドに横たわったペンギンは、ナマエに言葉を強要した。
目を白黒させ、やがて状況を理解して慌て始めたナマエがそれを言えたかどうかは、当人たちと一輪のアネモネだけが知っていればいいことだった。
end
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