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まないたの上より (1/2)
※『ずるい』と『相手任せ』の二人
※主人公はクザンさんの同期
※主人公(→)←クザンさん



 九月二十一日は、クザンの誕生日だ。
 しかし、幼い頃からそれはクザンにとってそれほど重要な日付では無かったし、体が育ち『大人』の分類になった今でも同様だ。
 けれどもクザンの同期にとっては、その限りでも無かったらしい。

『お前、明日誕生日だろ? 予定入ってないんなら今日飲みに行こうぜ』

 奢ってやるよ誕生日プレゼントな、と言葉を放ってにまりと笑ったのは、ナマエと言う名の海兵だった。
 誘いに頷くのを一瞬ためらったのは、クザンだけの秘密だ。
 嫌ではない。
 ナマエに誘われて、嫌なはずがない。
 ナマエ自身はまるで気付いていないだろうが、クザンは彼に恋心と呼ぶのも烏滸がましいような欲望を抱いているからだ。
 見た目は平凡で、どこにでもいる普通の海兵だ。
 特筆するような秀でた能力はないが、その分視野が広く気が利く。
 人当たりも良く、穏やかで凪いだその目が自分と他に一線を引いていると気付いたのはいつ頃だったろうか。
 ナマエは誰にでも優しく、その分誰にでも好かれやすいが、その中に『特別』を作らない。
 『自分』と『それ以外』を区別して考えるのは自我として基本的なことだろうが、『それ以外』というひとまとめにされたくない、と漠然と思った頃から、クザンは恐らくこの同期の男が好きだった。
 だから、彼に食事へ誘われるのはとても嬉しいことだ。
 二人きりで飲んでいる時、ナマエはクザンに理不尽を言ってくる。
 クザンを『ずるい』と詰るそれはしかしまるで悪感情を感じさせなくて、『特別でずるい』とでも言いたげな幼い羅列はそれだけナマエがクザンへ注目しているような気持ちになる。
 どう考えても嬉しいと思っていい状況ではないのに悪態を吐かれることが『嬉しい』あたりからして、クザンが病に侵されているのは間違いのないことだった。
 そう、だが、しかし。

『明日も予定無ェのか? じゃあ明日も朝一祝ってやるから、今日はクザンちに泊めろよな』

 いつも俺の家に泊まってるんだからたまにはいいだろと言って笑ったナマエは、無防備にもほどがあるのではないだろうか。

「クザン、かーぎ」

 酔っ払い特有の機嫌のよさでクザンを振り向いた男が、伸ばしてきたその手をひらひらと揺らす。
 寄こされたそれに口からため息がこぼれ、自分もまた酔っているという事実にわずかな焦りを感じつつも、クザンはポケットから一つの鍵を取り出した。
 差し出された手にぽいと放れば、ナマエの手が目の前のドアの錠を開ける。
 その服はしっとりと濡れていて、クザン自身も似たようなありさまだ。
 軒下に入った二人分の足元で、乾いていた石畳が濡れている。
 ちらりと見やった真後ろでは、細かい雨がしとしとと降り注いでいた。
 二人で酒を飲んだ帰り道、雨が降り始めたのは偶然だった。
 酔いに酔わせれば帰りのことをうやむやに出来ないかとクザンは思っていたのだが、ナマエは思ったより意識がはっきりとしていて、雨に濡れながらもあっさりとクザンの家へとその歩みを進めた。

「すっかり湿っちまったなァ」

 今も、そんなことを言いながら少しふらふらとした足取りで家の中へと入って、濡れた靴をぽいと脱ぐ。
 クザンよりも随分と小さい革靴が不精なつま先で端へと寄せられて、クザンはナマエの靴の横に自分の靴を脱いだ。

「こんなに濡れるなんて思わなかったよ」

「ほんとになァ、こんなんじゃ風邪ひいちまう」

 九月とはいえ、夜の雨は体が冷える。
 軽く腕をさするナマエを見やり、風呂にでも入ったら、とクザンは声を掛けた。

「おれは後ででいいし、ナマエから」

「ん? そりゃ悪いだろ、家主からあったまれよ」

「おれよりナマエの方が体力がねェんだから、そう遠慮しなさんな」

 わざとらしく肩を竦めたクザンに、お前な、とナマエが声を漏らす。
 それでも、クザンは自分の発言を譲るつもりが無かった。
 ナマエが風邪を引いたりでもしたら、悔やんでも悔やみきれないことだ。
 クザンが譲らない気配を感じたのか、ナマエが少しばかりため息を漏らす。

「……それじゃ、お言葉に甘えるかなァ。服貸してくれ」

「そうして」

 温まるなら湯船に入った方がいいだろうが、しかし酔いに酔った体でそんなことをしたら恐ろしいことになりそうだ。

「でも湯舟は禁止ね」

 だから言葉を続けるクザンに、ケチかよとナマエが笑う。
 しかしそのままこちらを見た顔は面白がるように笑っていて、クザンが酔っ払いに気を遣ったことをちゃんとわかっているのだろうと思わせた。

「ほら、さっさと行った行った。バスルームは突き当たり」

 言葉と共にその背中を軽く押しやる。
 分かったと頷いたナマエが素直にバスルームへと向かったので、クザンはひとまず玄関の戸締りをした。
 かちゃり、と音を立てた錠に、まるで誰かを閉じ込めたかのような気持ちになる。
 じんわりと冷や汗が背中を冷やして、ドアに触れていた手をどかせばそこにうっすらと霜が降りていた。

「……あららら……」

 どうしようもないそれに軽く頭を掻いて、ナマエが放っていった鍵を所定の位置に片づける。
 濡れた靴下で歩いて行ったナマエの足跡が廊下の奥へと続いていて、自分以外の誰かが家の中にいることをクザンに自覚させた。
 海軍将校となってからクザンが借りたこの家は、クザンの体に合わせた作りの、いわばクザンのテリトリーだ。
 そこへなんとも無防備に入り込んできたナマエに少しばかり眉が寄ったが、そもそもナマエは何も知らない『友人』だった。
 例えば、クザンがナマエの家へ泊りに行くときのような高揚を、ナマエが感じているとは思えない。
 ナマエが家に泊めてくれるのは、クザンの知る限り、今のところはクザンだけだ。
 それが嬉しくて、酔ってどうにもならないふりまでして家へ泊りに行くこともある。
 ナマエの家にはクザンのサイズの寝具など無いから、寝床は基本的に床の上だが、クザンはそれでもまるで構わない。
 ただ、ナマエが自分の家への侵入を許してくれているという事実を噛み締めるだけだ。
 寝入る家主に不埒な真似をしてしまうこともあるが、それだって相手が気付いていないのだから無かったことにできるはずだ。
 海兵らしからぬ卑怯な考えだが、好いた相手にほんの少し触りたいという恋心は、残念ながらクザンの力をもってしても凍らせることが出来なかった。
 どうしようもない自分に再びのため息を零して、クザンの足が床を踏む。
 ぺたぺたと音を立てて移動したのは衣類の置いてある部屋で、行儀悪く靴下を脱いでついでにシャツも廊下で脱ぎ捨ててから、入り込んだクザンは適当な着替えを見繕った。
 残念ながら、ナマエの体格に合わせたシャツなどない。
 それでも、クザンは少し小さいサイズで一式をそろえておくことにする。
 これでもナマエには大きいだろうが、まだマシだろう。下着は一応、新品である。
 そのまま自分の分の着替えも手に取って、タオルと共にバスルームへ向かう。
 脱衣所の向こうのガラス戸は閉じられていて、シャワーの水音がしていた。
 脱ぎ散らかされているかと思ったが、濡れた衣類は緩くたたまれて端の方へ置かれている。

「着替えとタオル、置いとくから。パンツは新品ね」

「おう、ありがとうな」

 声を掛けると、ガラス戸の向こうからナマエが返事をした。
 浴室に響く声は少し不思議な響きをして、むずむずとして落ち着かない。
 ナマエが終わったら自分も入るつもりなので、ナマエの着替えやタオルの近くに自分の服も置いてから、クザンは一度バスルームから引き上げた。
 自分が先程廊下に脱ぎ散らかした服を捕まえて、ひとまずは籠へと片付ける。
 ついでに濡れて張り付いているスーツも脱いで籠へ放り、下着姿でもう一度クローゼットのある部屋へと戻った。
 シャワーを浴びるつもりではあるが、それまで濡れた格好でいるわけにもいかない。
 適当な服へと着替えてから、今度はそのまま寝室へと向かう。
 クザンが一人で過ごすためのこの家に、客室と呼ばれる場所はない。
 ナマエを寝させるならこの寝室か、もしくはリビングだった。
 いっそベッドを譲りたいところだが、いつもクザンを床に寝させているナマエはそれを拒否するだろう。
 ましてやクザンの家のベッドは広く、『仕方ねェから一緒にベッドで寝るか』なんて言われたら、どうしていいかも分からない。
 いいやそもそも、自分が普段眠っている場所へ、ナマエをいれてもいいものか。
 明日以降、一人で眠るときにそれを思い出してしまう気がする。




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