- ナノ -
TOP小説メモレス

お世話係へ就任 (1/2)
※ハートの海賊団のシャチくんとトリップ主人公




 死んだ方がましかなと思ったのは、首に鉄輪をはめられて蹴飛ばされたりしながら訳も分からない仕事に従事していた頃だった。
 車にはねられて死んだと思ったら海辺の砂浜に倒れていて、右も左も分からないそこにどうして自分がいるのかも分からず、とりあえず誰かに助けを求めようと思った俺は間違ってはいなかったと思う。
 携帯だって圏外だったし、自分の知っている範囲には青く澄んだ海も木くず以外にゴミの見当たらない砂浜も無かったのだから、仕方ない。
 ただ一つ間違っていたとするならば、俺が初めて見つけて助けを求めに近付いた相手が、『海賊団』を名乗る悪党集団だったということだった。
 誰かを取り囲んで殴り殺したところだったらしいその海賊達は、そいつの首から外した鉄輪を掴まえた俺の首に掛けて、死ぬか従うかの二択を俺に選ばせた。
 あの時どうして『死ぬ』方を選ばなかったんだろうかと、そんなことを鬱々考えながら今日まで生きてきた。
 けれども、人生と言うのはどう転がるか分からない。

「だー! くっそ、この船わかりづれェなァ!」

 聞いたことの無い声が廊下で響き、それから『宝はここか!』と声を上げた誰かがどかりとドアを蹴り破った。
 俺では絶対に壊せない厚さの木片が飛び散り、驚いて部屋の隅で身を縮こまらせて、体を出来る限りそこにある布束の影に隠す。
 つい一時間くらい前に、俺が乗っているこの船は何処かの船と戦い始めたようだった。
 いつもの海戦だ。きっとまたどこかの民間人が犠牲になったんだろうとは思ったが、助けに行くことすら出来ない俺はただ、閉じ込められたこの部屋で大人しくしている。
 血の海になった甲板を片付けるのは俺の役目だから、いつもそういう時に着ている血の汚れだらけの服に着替えて、後はいつも通り時間の経過を待っていた。
 けれどもどうしてか船の揺れや遠い物音は収まらず、いつものようなあの恐ろしい歓声も聞こえない。それどころか、じわじわと船の中には静けさが訪れ出している気がした。
 まさかとは思ったが、聞いたことの無い声の主がこんな場所までやってきたと言うことは、どうやらついに、俺を乗せたこの船の『海賊団』達は負けたらしい。
 嬉しいのか、恐ろしいのかも分からない妙な感覚を抱いたままで暗がりから窺うと、『ここも外れか』と呟いた声の主は、きょろきょろと室内を見回しているようだった。
 その片手にはサーベルが握られていて、外からの明かりで光った刀身が少し赤く染まっているように見える。
 誰かを殺して来たのだろうか。そうだとしたら、見つかったら俺の命だってどうなるかわからない。
 そう思って身を縮めていたのに、きょろりと室内を見回したその顔が、ひたりとこちらへ向けられた。
 目深に被ったキャスケット帽の下は暗くて目だって見えない筈なのに、じっと視線を注がれた気がしてびくりと体を震わせる。

「…………」

 数秒を置いて、靴底で床を蹴飛ばすように足音を立てながら、そいつはまっすぐに俺の方へと向かってきた。
 その手がだらりと降ろされて、サーベルの先端がわずかに床板を擦って音を立てる。
 近付いてくると血の匂いがし始めたが、それがその男の流したものじゃないことは、その確かな足取りを見ていればすぐに分かった。
 耳の奥で響く心臓の音がうるさくなって、恐怖で呼吸がはやくなったのが分かる。
 恐ろしくてたまらず、体の震えをどうにか抑えながら隠れる俺の前で立ち止まり、そいつの手が自分の目元へと伸ばされる。

「だーれだ?」

 どことなく楽しそうに声を零して、その目を覆っていたらしいサングラスをずらした男が、帽子の下からこちらを見つめた。
 そうして、もはや隠れきれない俺をじっと見下ろして、ぱち、とその目が瞬きをする。
 すぐ近くにいる恐ろしい相手の視線に身動きもとれず、俺はそれを下から見上げた。
 体を少し動かしたからか、いつもの耳障りな音が首元からちゃりり、と零れる。
 それが聞こえたのか、男は軽く首を傾げた。

「……何だお前、奴隷か?」

 問いかけるその言葉に、こくこく、と素直に頷く。
 本当はそんな言葉を肯定なんてしたくはないけど、俺のこの船の上での扱いは、まさしく『奴隷』だった。
 首輪を巻かれて鎖につながれて、蹴飛ばされながら雑用をこなさなくてはならず、食事だって満足にはもらえない。
 生まれて育ったあの場所にいたならあり得るはずもない状況なのに、それがじわじわと自分の体に習慣づいていく恐怖は、日々俺の体を蝕んでいた。
 ふうん、と俺を見下ろして声を漏らした男が、それからひょいと屈みこむ。
 その手がこちらへと伸びて、俺の首輪から垂れる鎖を掴むのを、俺は身動きもとれずに見つめていた。
 ちゃり、とその手に触れた鎖を弄んでから、それが壁にめり込んでいる留め具につながっているのを確認した男は、それを辿るように俺の首に触れて、それから軽く顔を上向かせる。
 座り込んだ俺の顔をサングラスをずらした顔でまじまじと見つめてから、男はうーんと小さく声を漏らした。
 俺の顔に何かついているのだろうか。鏡なんてもう何週間も見ていないから分からない。
 少し血がついているらしい匂いのする指が、俺の首輪をするりと辿る。

「留め具、どこだよ」

 それから小さく落ちて来たその声に、え、と思わず呟いた。
 俺の反応に気付いてか、どうしたんだよと男が言う。
 どうしたんだはこっちの台詞だと思いながら、俺は男の顔を見上げた。

「外して、くれるんですか」

「そりゃそうだろ。いちいち壁壊すの面倒くせェもん」

 そんな風に言って、それとも逃げたくないのか、と男が不思議そうな声を出す。
 そんなわけないと、俺は慌てて首を横に振った。
 ずっとずっと、逃げたいと思い続けてきたのだ。
 いっそのこと死んでしまいたいくらいだった。それでも死ねなかったのはそれだけの度胸も無いからだろう。痛いのは嫌いだし、反抗すれば二、三日物も食えないくらい腹を蹴られるのは分かっていた。

「船長が沈めるっつってたから、この船ももうじき海の底だろうしよー。んー……っと」

 そんな風に言いながら、男の手が首輪を辿る。
 やがて留め具を見つけたらしく、あった、と呟いた男のもう片方の手が、ぽいとサーベルを放り出した。
 そうして取り出した針金のような物を俺の首裏へと運んで、鍵穴らしいそこをいじり始める。

「動くなよー」

「あ、は、はい」

 声を掛けられて返事をしながら、俺は自分を抱きしめるようにして両手を俺の体の後ろへ回している男に身を任せた。
 かちゃかちゃと物音をたてて、時々小さく声を漏らしている男は、どうやらかなり集中しているようだ。
 誰かの為にそうやって頑張ってくれる人なんて、わけもわからないこの海の上に来てから初めて見たかもしれない。
 きっと、この男は『いいひと』だ。
 ひょっとしたら正義の味方なのかもしれない。血まみれのヒーローなんて子供受けはしないかもしれないが、俺がその分支持をしよう。
 いつだって俺をいたぶってきた海賊達を思い出し、そういえばあいつらはどうなったんだろうかとか、そんなことを考えながら、男の肩越しに灯りを零す出入り口を見やる。
 そうして、多分ランタンだろう灯りが落とす影に気付いた。
 黒く伸びるそれが誰の物なのかは分からなくても、部屋へ差し入れられた少し薄汚れたその手を見れば、それが今まで俺を殴りつけてきたのと同じ手であるのは分かる。
 その片手には小さな物が握られていて、遠目にもそれから伸びる紐に炎が灯されているのも見えた。部屋を照らすほどでも無い光と煙を零すそれが、ぽいと部屋へ放り投げられる。

「ん?」

「……!」

 小さな物音に気付いて、男が動きを止めて後ろを見やる。
 それとほとんど同時に、俺は思わず体を動かしていた。
 何も考えていないような、ほぼ無意識の動きで男の体を掴まえて押し倒し、自分の体を男と部屋に広がる空間の間に挟む。
 いで、と男が悲鳴を上げて、慌てたように俺の体を押し返そうとしたのを感じたけど、強くその体を抑え込んだ。
 じゃり、と鎖が耳障りに音を立てて、それで。
 耳が痛くなるような、大きな音を聞いたのが、その時の最後の記憶だった。







戻る | 小説ページTOPへ