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お世話係へ就任 (2/2)

 俺の意識を奪ったあれは、前に小さな島で海賊達が買っていた爆発物の一つだったようだ。
 小さな釘やらが入っていたそれは容赦なく俺の背中やそれ以外に突き刺さり、俺より体の大きかった俺の救世主ももちろん無傷では済まなかったが命に別状はなかったらしい。
 どうしてそれを俺が知っているのかと言えば、目を覚ましてすぐに本人にそれを教えて貰ったからだった。
 病室のように消毒液のにおいがする部屋のベッドの上にいると知って、とてつもなく驚いたのが一時間ほど前のこと。

「お願いします船長! おれ、ちゃんと面倒見るから!」

 怪我をしたわりに元気らしい、『シャチ』と名乗ったあの男は、今、何やら自分の乗る船の『船長』に必死になって頭を下げている。
 その目の前で仁王立ちになっている男には、何となく見覚えがある気がした。
 目の下に隈を宿した男が、面倒くさそうにその口を動かす。
 拾うのは犬猫までにしろ、とその『船長』が言う前で、あいつだけにするから、と『シャチ』が必死に言葉を重ねている。
 よく分からないが、『シャチ』は俺を船に乗せてくれと頼んでくれているようだった。
 すでに船には乗っているとかそういうことではなくて、船員として迎えてほしいと頼んでくれているのだ。
 行くあては無いからそれは嬉しいけど、何となく捨て犬や捨て猫を拾ってきたときのような言いようだ。奴隷よりは百倍もマシだけど、それでもやっぱり少し気になる。
 いやそれより、あの『船長』だ。
 少しまだら模様の入った帽子に、隈に、耳のピアスに、腕を組んだ袖口から覗いている刺青に、その顔。
 やっぱり知っている気がする。
 あの船に連れていかれてから今まで、本など読ませてもらったことも無いから、見たことがあるとすれば俺が生まれ育った場所でだ。
 けれども、生まれ育ったあそこで見聞きしたことが、今目の前に現れることなんてあるだろうか。
 俺の考えが間違いなければ、ここは異世界なのだ。
 だから俺が持っている常識なんて何一つ通用しないし、日本語を流暢に話しながらも日本人じゃなかったあの海賊達みたいな奴らがいる。
 ずっとそう思ってきたのに、今になって実はここが日本近海でしたなんて言われたら、どうしていいかも分からない。
 必死に頼み込んでくれている『シャチ』とそれを睨む『船長』を眺め、そんなことをぼんやり考えたところで、ぱたんと扉が開かれた。

「キャプテーン、そろそろ出航しないと、嵐がくるみたいだよ」

 そんな風に言いながら、扉を開いて現れたのは、どう見ても白熊だった。
 しかし問題なのは、そいつが二足歩行で人のようにつなぎを着込んでいて、何よりその口から日本語を紡いだと言う事実だ。
 え、と思わず声を零した俺の前で、そうか、と『船長』が声を漏らす。

「ベポが見立てたんなら間違いねェな。とりあえず潜水して、次の島へ向かえ」

「アイアイ!」

 命令を聞いてびしっと敬礼をして、すぐに白熊は部屋を出て行った。
 ベポ。
 何だかすごく、その名前には聞き覚えがある。
 そんな、まさか、と思ってみても、目の前の現実は変わらなかった。俺の頭がおかしくなったのでなかったら、今そこの扉を閉ざしていったのはどう見たって話す白熊だったのだ。
 だとすれば、俺の目の前の『船長』は。

「………………トラファルガー・ロー?」

 漫画の登場人物の名前でしかないそれを紡いだ俺の方を、『船長』がちらりと見やった。

「何だ、おれを知ってるのか」

 まだそんなに名を上げた覚えはねェんだがな、と言いながらも少しだけ楽しそうな顔になったその言葉は、俺が呟いたそれが『自分の名前だ』と肯定しているものだった。
 気を失えるものなら失いたかったが、衝撃的過ぎてそれすら出来なかった。







 どうやら俺は、『漫画の世界』に来ていたらしい。
 意味が分からないが、無理やり納得した。
 今の俺の体を覆っているのは、少し使い古した清潔なつなぎだ。
 『シャチ』の頼み込みの甲斐があって入ることが出来た『海賊団』の証が、その生地に記されている。

「シャチさーん」

 それを着たまま入り込んだ大部屋で、俺はハンモックに倒れ込んでいる相手へと近寄り、そっと声をかけた。
 ぐうぐうと寝息を零している誰かさんは、キャスケットを頭の上に乗せたままだ。
 それをひょいと摘み上げて、露わになったその耳元に顔を寄せる。

「シャーチ、シャチー、シャチさん、シャチ様、おきて」

 添えた手で軽くハンモックを揺らしながら囁くと、うう、と声を漏らしたシャチが身じろいだ。
 眉を寄せて目を閉じたまま、その体が俺の方へと寝返りを打つ。

「朝だよ、シャチ」

 それを見ながら囁くと、んー、とシャチが口を動かした。

「……ナマエがおれにちゅうしたらおきる……」

 時々寄越される冗談に、俺は首を傾げた。

「別にしてもいいけど、気持ち悪いことするなってまたペンギンさんに叩かれると思う」

 この世界の文化が欧米よりなのかどうかは分からないし、わざわざ男にキスを強請るほどのことなのかは分からないが、俺をこの船まで運んでくれて、あんなに一生懸命俺の居場所の為に頼み込んでくれたシャチがそう望むのなら、別にやるのは構わない。
 けれども、それで後から何かを言われるのは、やった俺では無くてやらせたシャチの方だ。
 この場にいない筈なのに、どうしてかどこからともなく聞きつけて怒りに来るペンギンの顔を思い浮かべての俺の言葉に、む、と目の前のシャチの口が尖らされた。
 それでも、今までのことからその流れくらいは予想がついたらしく、しぶしぶと言った風に体を起こす。

「おはよう」

「おー……」

 軽く欠伸と背伸びをして、それからひょいとハンモックを降りたシャチを見やって、俺は手に持っていたものをシャチへと差し出した。

「はい、着替え」

「ん」

「帽子も」

「ん」

 ハンモックに落としていったキャスケットを頭に乗せると、声を漏らしたシャチが歩き出す。
 ちらりと見えたその顔はまだ目が開いていなくて、随分眠いらしいと言うことはその足取りからもよく分かった。それでも、まだ床で寝ている仲間を踏んだりはしないあたり、すごいことだ。
 歩き出したシャチの後を追いかけて、俺もその場から歩き出した。

「今日は久しぶりに浮上するから、日光浴しろって」

「ん」

「今日の朝飯は魚らしいよ」

「んー」

「あと午後から健診だって」

「ん」

「……まだ目が開いてないよ、シャチさん」

「『さん』はいいって言ってんだろ……」

 俺の言葉に相槌を打って、ついでにいやそうに言葉まで返しながらも、まだ目の空いていないシャチが扉の近くで足を止めて、手を伸ばしてドアノブの在処を探っている。
 それに小さく笑って、追いついた俺が扉を開いた。

「はい。ぶつからないでね」

 扉を開いたスペースを明け渡せば、おう、と返事をしたシャチがそのままふらふらと部屋を出ていく。
 それを追って通路に出て、それからきちんと扉を閉ざして、俺はシャチが洗面所へ向かうのについて行った。
 この船に乗ってから、俺は『海賊団』の一員として過ごすようになった。
 一番はシャチが頼み込んでくれたからだが、どうせ訳の分からない場所にいるのなら、せめて少しは知っている人と一緒にいたいと俺自身も思ったからだ。
 今がどういう時期なのかは分からないが、まだ七武海ではない『トラファルガー・ロー』は、仲間達と共に名を上げながら海を進んでいる。
 その『仲間』のうちの一人として生きる毎日は、今までの『奴隷』扱いだった日々に比べると雲泥の差があるほどに快適だった。
 誰かと話をして笑うだなんてことも、もう出来ないかもしれないと思っていただけに、毎日がすごく楽しい。
 知らず口が緩んでいたらしく、何をニヤけてんだ、とやっと目を開いたシャチが首を傾げた。

「何でもない」

「そうかァ?」

「うん。ただ、楽しいなァと思って」

 それだけ、と正直に口にした俺に、へえ、と声を漏らしてシャチが笑う。
 シャチはよく笑う奴だ。
 戦ってる時ですら楽しそうで、一緒にいるとつられて笑うことが多い。
 助けてくれてありがとなとシャチは言ったけど、もしもあの時シャチが来なかったら、きっと俺は今頃何も知らずに海の底に沈んでいたのだから、礼を言うのは俺の方だ。
 そう言った俺に、それじゃああいこだな、と言って笑ったシャチの笑顔が何となく眩しくて、それからというもの、シャチが笑っていると何となくその顔から目を離せなくなった。
 それがどうしてなのかは分からないけど、それでも、今のところ何の問題も無い。
 目が覚めて来たんだろう、鼻歌すら歌いそうな様子で歩くシャチについて行きながら、俺は足を動かした。
 そろそろ体動かしてェよなァ、なんて歩きながら呟いたシャチが、そうだ、と何かを思いついたように言葉を零す。

「飯食ったら、日光浴がてらおれと組手でもしようぜ。もう受け身取れるようになったんだろ?」

「分かった。でも、あんまり痛くしないでね」

「ぶっ」

 容赦なく人を投げ飛ばしそうな相手へ頼むと、どうしてかシャチが変な風に噴きだした。
 慌てたように口元をごしごしと擦ってから、その顔がどうしてかこちらを向く。

「……ナマエ、もう一回」

「ん?」

「さっきの、もう一回」

「さっきの……?」

 歩きながら求められて、首を傾げながら口を動かした。

「『でも、あんまり痛くしないでね』」

 聞いた途端に顔をそむけるシャチに、この言葉の何かがまずかったのかと少し不安になる。
 しかしシャチは俺の戸惑いになど気付かなかったようで、すぐにその顔がもう一度こちらを見た。

「も、もういっか、だ!」

 どことなく真剣な面持ちで言葉を紡いでいたところで、どかりと何かがシャチの頭を叩く。
 それはどう見ても厚みのある本で、思わず足を止めて身を引いた俺が見やった先には、向かいからやってきたらしいペンギンがいた。
 じろりと帽子のつばの下からこちらを見やり、その後でシャチを睨み付けたペンギンの口から、少し低い声が漏れる。 

「何をいかがわしいことを言わせてるんだお前は」

 こいつは何だって言うこと聞くんだから止めろ、と続いた言葉に、何を言っているんだと慌てて首を横に振った。
 確かに『奴隷』扱いされていたから命令されたら従ってしまうけど、俺のそれが分かってきたらしいこの船のクルー達が俺に『命令』してくることなんてそうない。
 『トラファルガー・ロー』についてはその限りでは無いけど、『船長』の命令だって無理難題は一つもなかった。
 それに、俺がどんな願い事だって叶えたいと思っているのは、この船の上ではただ一人だ。

「何だって言うこと聞くわけじゃない、シャチさんだけ」

 だからそう主張すると、痛い痛いと喚くシャチの頭にぐりぐりと本を押し付けていたペンギンの体が、ぎ、とわずかに軋んだ。
 それから、その目がもう一度こちらを見やり、その手がそっとシャチの頭にめり込みそうになっていた本を降ろす。

「…………責任とれよ、シャチ」

「いってェー……っ ……て、へ?」

「……何でもない」

 そうして落ちたよくわからないその囁きは、患部をさすっていたシャチの耳には届かなかったようだった。
 不思議そうなシャチがこちらを見て首を傾げたので、とりあえず同じ方へ首を傾げておいた。



end



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