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賢い子供 (2/2)



 見れば見るほど、椅子に座っている人間はあの『サカズキ』だった。
 それならば、俺を追いかけてきたあの海賊を殺したのは、その手が放ったマグマだろう。
 俺の知っている『サカズキ』は、悪魔の実を食べた能力者だからだ。
 炎の上位互換だと当人が豪言していたのを思い出し、ふむ、と頷く。
 俺のその動きが目に入ったのか、先ほどからずっと休みなく動いていた『サカズキ』の動きが止まった。

「……なんじゃあ」

 そうして、ちらりとこちらを見やった目が、じろりと俺を睨み付ける。
 慌てて首を横に振ると、少しだけの間をおいて『ほうか』と呟いた『サカズキ』が俺から視線を外した。
 そしてまた、先ほどと同じく書類をめくり始める。
 それを眺めていると、しばらく置いてから、執務机の前にいる相手から言葉が寄越された。

「あの海の屑共は、わしが全部始末したけェのォ」

 低い声で紡ぎながら、また一枚、『サカズキ』が書類をめくる。

「おどれが心配するようなことは、何一つありゃあせん」

 だから安心しろと、まるで言外にそう言い含めるような言葉に、俺はわずかに目を見開いた。
 戸惑いながら視線を向けてみても、もう『サカズキ』はこちらを見もしない。
 ただ先ほどと同じように書類を片付けていくばかりの相手に、少しだけ迷ってから、俺はそっとソファを降りた。
 傷まみれだった足は体重を支えると少し痛むが、歩くのには問題ない。
 丁寧に足を固定されたせいで動かしづらいものの、どうにかそのまま歩いて、執務机に向かうたった一人の海兵へと近付く。
 近寄ってわかったが、執務机もまた、俺には理解不能の大きさだった。けれども、俺から言わせれば『大男』に当てはまる『サカズキ』には、きっとちょうどいい大きさだ。
 そろりと近寄り、それからその足元でじっと相手を見上げる。
 小さな俺の体はその膝よりも頭が低く、しばらく俺を無視していた『サカズキ』が、それからやがて耐えられなくなったようにちらりとこちらへ視線を向けた。

「……なんじゃあ」

 問いかけてくる言葉には答えずに、じっとその顔を見上げる。
 数十秒ほどそうやって見つめあっていると、しばらくしてついにはため息を零した『サカズキ』が、その手をひょいとこちらへ伸ばした。
 子供の扱いなんてまるで分からない様子の手が、俺の服を捕まえて俺を持ち上げる。
 襟で首が閉まり、うぎゅ、と変な声を漏らした俺は、しかしその膝の上に乗せられる形ですぐに解放された。
 大きくてかたい膝の上に座る格好になって、戸惑いながら上へ視線を向ける。
 見上げた先の『サカズキ』は、すでに書類のほうへと視線を戻していて、こちらを見てもいない。

「……そこで大人しゅうしとれ」

 そうして、俺を膝へ乗せたまま低く寄越された言葉に、なるほど、と俺は把握した。
 どうやら『海軍大将赤犬』は、俺が知っているより随分と、弱きを助ける『正義の味方』であるようだった。







「あららら」

 ふと頭の上から降ってきた声に、俺はちらりと視線を向けた。
 いつの間に現れたのか、こちらを見下ろす大きな男が、俺の傍らで軽く頭を掻いている。

「お前さん、どこから紛れ込んだの?」

 不思議そうに寄越された言葉に、俺は首を傾げた。
 どこから、と問われても困る。
 俺は正面から入ってきたし、『まぎれる』なんて言い方はまるでふさわしくない。
 俺の様子を見て、んん? と声を漏らした大男が、それからさらに口を動かす。

「それじゃ、あー、あれだ……センゴクさんに何か用?」

 それから続けて寄越された言葉には、ふるりと首を横に振る。
 ここは確かに海軍元帥の部屋の前だが、俺はこの中に用事があるわけではないからだ。
 俺の返事に、んー? とさらに声を漏らして、大男は先ほどの俺と同じ方向に首を傾げた。

「それじゃあ坊主、ここで何してんの?」

 そうして重ねて寄越された問いかけに、俺が答えるより早く、がちゃりとすぐそばにあった扉が開かれた。

「あ」

「待たせたのォ、ナマエ」

 そうして現れた人影に、嬉しくなって顔がほころぶ。
 ひょこりと部屋から出てきた大きな体の誰かさんは、こちらを見下ろしてわずかにその目元をほころばせた後、俺の正面にいた大男を見やってその眉間のしわを深くした。

「クザン、おどれ、ようやっと帰りよったんか」

「あららら、お前さんがいたわけね」

 低く唸るような声音が紡いだ名前に、どうやら大男が『大将青雉』だったらしいと気付く。
 俺が『海軍本部』があるこのマリンフォードへ連れてこられてから一週間、一度だって見たことのない顔だったが、そういえばなんとなく『昔』見た映画の俳優に似ている気もした。

「くじゃん、たいしょー」

「ん? ああ、そうそう」

 振り仰いで、どうにかその名を呼ぶと、軽くうなずいた大男が、それからどうしてかその唇に笑みを浮かべた。
 何かを面白がるようなその顔に、なんだか居心地が悪くなってそっと『サカズキ』の後ろ側へ移動すると、なるほどねェ、なんて声を漏らした大男が『サカズキ』のほうへとその視線を向けなおす。

「あれだ、噂は本当だったってわけか」

「なんの話じゃあ」

「聞いてねえの? 『大将赤犬が雛飼ってる』っての」

 唐突なおかしな言葉に、俺はぱちりと瞬きをしてから、きょろりと周囲を見回した。
 しかし、『サカズキ』が閉ざした扉はしっかりぴったりと閉じているし、廊下には俺と『サカズキ』と目の前の大男以外には誰も見当たらない。
 ひよこなんていないじゃないかと視線を戻すと、たぶん俺と同じように怪訝そうな顔をしたのだろう『サカズキ』を見やってから、やれやれと大男がため息を零した。

「まァ別に、自覚がないなら自覚がないでいいけどさ」

 そうして放たれた言葉に、やっぱり意味が分からず、俺は首を傾げた。
 あの日、天涯孤独の身となった俺は、『サカズキ』の率いる部隊に連れられて、こうしてマリンフォードへやってきた。
 最初の一日は、仕方なさそうに保護してくれた『サカズキ』の家に置いて行かれたのだが、一人になるとあの日の海賊たちのことを思い出してしまってそわそわとしてしまい、翌日『サカズキ』の足にしがみついたら『サカズキ』が本部へと連れてきてくれたのだ。
 あれからはずっと、一日をサカズキについて歩くことで過ごしている。
 もちろん仕事の邪魔をしてはいけないことくらいわかるので、何をするでもなく後ろからついて歩くだけだ。見た目はどうあれ俺は分別のある大人なので、遊んでくれとねだったことだってない。
 そうして後ろからついて歩いてみて、俺は『サカズキ』の後ろというのが何とも安心できる場所だということを知った。
 今の生活は『俺』を引き取ってくれる誰かが見つかるまでということだが、できればそのまま『サカズキ』が俺の親になってくれないだろうかと思うほどだ。
 苛烈な正義を掲げる海軍大将も、案外優しいのだと気付いてしまったのである。
 そっと目の前の太い足に手を触れると、俺のそれに気付いたかのように少しだけ体の位置を変えた『サカズキ』が、大男の視界から俺を隠した。

「わけのわからん話をする前に、やることがありゃあせんか」

「あららら、怖い顔しちゃって」

 俺の見えないところでそんな風に言葉を交わして、どうしてか大男がくすくすと笑う。

「あんたが子供をかわいがるなんて思わなかったよ」

 大事にしてんだね、と紡がれた言葉にぱちりと瞬いてから視線を上げても、『サカズキ』はこちらを見もしない。
 『大事』にされている。
 そうだろうか。
 そうだといいな、なんて考えが胸に浮かぶのは、わかりづらいながらも優しい『大将赤犬』に、俺がすっかりほだされてしまったからだろう。
 漫画やアニメでの姿なんて、つまりは『サカズキ』という人間の一部分にしか過ぎなかったということだ。
 そのことを知っている賢い俺は、ひとまず『サカズキ』の後ろに隠れて、海軍大将青雉をやり過ごすことにしたのだった。



end



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