致死量手前 (2/2)
一応、シャンクスは鷹の目に俺の迎えを頼んでいたらしい。
しかし、ヒューマンドリルに囲まれた俺があちこちを逃げ回ったせいで、遭遇することができなかったようだ。
それは間違いなく俺のせいじゃない。むしろシャンクスのせいだ。
大体、『後から食い物持ってくからよ』というんなら、俺だってその時に上陸でよかったんじゃないか。
そのあたりを問い詰めなじる前に電伝虫の通話を切られたことは、まことに遺憾である。
「ほら、こいつを使いやがれ」
「あ、どうも」
ぽん、と救急箱を放られて、受け取りながら会釈する。
見やった先には女性がいて、かわいらしい恰好をした彼女の口からは『ホロホロホロ』と笑い声が漏れた。
そういえば、こんな子もいたな。
忘れていたが、その事実を今さら思い出して、なんとなく力を抜く。
さっきの白い幽霊は、確かこの女性の能力だったはずだ。
なんとかホロウって言ってたけな、と見つめると、なんだ、と彼女が首を傾げる。
「手当てができねェのか?」
怪訝そうに言い放ち、仕方ねえなと声を漏らした彼女が近づき、俺に放ったばかりの救急箱を奪い取る。
そうして開いたそれから適当に消毒液を取り出し、そしてあまり慣れていない様子でガーゼへそれを染み込ませた。
「ほら」
「いっ」
べしょ、と頬にそのままあてられて、恐ろしいしみ方に思わず身を竦める。
男がこの程度で泣き言を言うなと口を尖らせつつ、彼女は追撃の手を緩めない。
数回にわたって顔の傷を消毒液で攻撃され、俺はようやく彼女の手からガーゼを奪い取った。
「ごめん、ありがとう、後は自分でやるから」
「ん? そうか?」
俺の言葉に首を傾げつつ、彼女がそこでようやく手を引く。
「このゴーストプリンセスの手を煩わせたんだ、後で私にココアをいれろよな」
「あ、はい」
それはこの城の『客人』である俺に言うことなんだろうか、と少しばかり考えたが、この城にいるのが残りは鷹の目とあと一人の剣豪であろうことを考えると、おれしか適任がいない気もする。
こくこくと頷くと、満足げに笑った彼女が、どうしてかそこではじかれたように部屋の入口のほうを見やった。
それからすぐに、後でだぞ、約束だからなとこちらへ言い置いて、ぱたぱたと駆けていく。
窓は出口ではないと思うのだが、どうして入ってきた扉を使わないんだろう。
危ないよ、と声をかける前に窓から出て行った相手に戸惑いつつ、俺は先ほど彼女が見ていたほうへと視線を向けた。
「…………あ」
そこには、いつの間にか俺をこの城まで連れて帰ってくれた海賊が立っていた。
俺が渡した『荷物』も剣も片付けてきたのか、レッド・フォース号にやってくるときよりも数段ラフな格好の鷹の目が、軽く腕を組んで壁にもたれている。
その首には俺が以前贈ったスカーフがあって、その事実にじわりと少しだけ顔が熱くなった。
なんと声をかけていいのかわからず、軽く会釈をすると、俺のそれを待っていたかのように鷹の目が足を踏み出した。
一歩、二歩と進んできて、そして俺のすぐそばでその歩みが止まる。
こちらを見下ろすその目は相変わらずまっすぐで、少し怖いくらいだ。
視線が絡まると目を反らせなくなるので、それから逃れるように目を伏せて少しうつむく。
ドキドキと心臓が早鐘を打っていて、また少し息苦しくなった。
「…………あ、あの、さっきはありがとうございました」
「礼は先ほども聞いた」
どうにか口を動かした俺の前で、鷹の目がそう言葉を紡ぐ。
その声がなんだか少し近いような気がして、わずかな困惑とともに鷹の目のほうへと視線を戻した俺は、相手の顔がものすごく間近にあった事実に目を見開いた。
「うわっ」
思わず声を漏らして身を引いたが、椅子の背もたれがそれを阻む。
身をかがめていた鷹の目が、俺のその様子にわずかに目を細めてから、片手を俺が座っている椅子の肘置きへと乗せた。
助けを求めて周囲へ視線を動かしかけたところを、鷹の目のもう片手に顔をつかまれて引き戻される。
「あ、あああ、あの?」
一体何だというのかと、目を瞬かせて相手をうかがう俺の前で、鷹の目が口を動かす。
「気に入らんな」
「へ!?」
どことなく不機嫌そうな声で紡がれた呟きに、心臓がきゅうと縮んだ気がした。
何か俺がやらかしてしまったのだろうか。
背中が冷えた気がして、どうしていいかわからない俺の前で、鷹の目が続ける。
「ナマエ、貴様のそれはどうにかならんのか」
「え、えっと」
「おれに慣れていないだけかと思っていたが、初対面の相手にもそうはならなかった」
もしかしたらつい先ほどのことを言っているのか、言葉を紡いだ鷹の目の顔は、いつもと変わらない無表情だ。
けれどもどうしてもその顔が不機嫌に見えて、俺はぱちぱちと瞬きをした。
俺の顔をつかんでいた鷹の目の手が指を動かして、俺の頬にあった擦り傷を軽く撫でる。
ちり、と少しばかり痛みが走ったものの、指に触れるものに眉をひそめた鷹の目の顔から眼をそらせない俺には、その手から逃れようと抗うことすらできない。
「赤髪は荒療治がいいと言っていたが、そのせいで貴様が怪我をするのも気に入らん」
吐き捨てるように言葉を紡いで、だから、と鷹の目が口を動かす。
「貴様が自分でどうにかしろ、ナマエ」
まずはおれを『ミホーク』と呼び捨ててみろ、なんて言いながら、その顔がさらにこちらへ近づく。
間近に迫ったその顔と寄越された言葉に、俺は自分の顔がゆだるのを感じた。
さすがに赤面なんて恥ずかしいから顔を隠したいのに、左腕を動かそうとしたら鷹の目の膝が俺の上へ乗りあげるようにしてそれをおさえつけてきた。
右手を動かせば鷹の目が俺の上にまたがるのかと思うと、それ以上の抵抗もできない。
どうして鷹の目がこんなことを言っているのか、全然わからない。
けれどもどう考えても恥ずかしい要求をされているということは、さすがに理解できた。
「そ、その、でも」
「おれの名前だ。呼べるだろう、ナマエ?」
どくどくと心臓の脈打つ俺を捕まえて、鷹の目が低く囁いた。
俺は今日、死ぬかもしれない。
混乱を極めた頭でそんな確信を深めた俺を救ってくれる相手は、どうやらどこにもいないようだった。
end
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