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存在する意味を聞く (2/2)
「ナマエ、いたずらすんな!」

 眉間に皺を寄せて怒ったような口調を零しているが、その口は緩んでいるので全く説得力が無い。
 がう、ともぎゃう、とも取れるような鳴き声を零してから、俺は開いた口から伸ばした舌で、べろりとエースの鼻先を舐めた。
 ネコ科特有のざらついた舌に、いてェ、とエースが声を零す。
 更にもう一舐めしようとしたら、こちらへ更に体を寄せてきたエースの両腕が俺の首辺りを抱え込み、その頭が俺の顔の横へと押し付けられた。

「おれはお前みたいに毛むくじゃらじゃねェんだから、舐めても痛いだけだっての! 舐めるのは禁止だ」

 勝手なことを言い放つエースの体に、そっと前足を片方だけ添えてみる。
 エースの体は、さっきエースと一緒に食べた鹿のような生き物よりも随分と細くて、簡単に殺してしまえそうな薄さだった。
 もちろん、その体には悪魔が宿っているのだから、俺が何かをしようとしたところで体を炎に変えて逃げることが出来るとは知っているが、それにしたって頼りない体だ。
 一人で海を旅していたと言うエースは、まだ『仲間』がいない。
 俺が知っている限りでは海賊団を結成し、そして最後は『白ひげ』の息子となったはずのエースは、まだ俺が知っている『船長』ですらなかった。
 つまり、雨が止んだらエースはこの島から旅立って、俺が知っている未来へと進んでいく。
 おぼろげな記憶の中に浮かんだ『戦争』の場面のいくつかを思い出して、俺は少しだけ目を眇めた。
 覚えているそれらをエースに伝えたくても、ただの獣でしかない俺の口から『言葉』は出ない。

「………………ぐるるる……」

「ん? どうした、ナマエ」

 思わずうなった俺に、体を少しだけ離したエースが首を傾げる。
 今はまだきちんと生きているその温かな体を逃さぬように、前足の片方を使って捕まえたまま、俺が開いた分の距離を詰めるようにエースへ顔を近付けると、笑ったエースの両手ががしりと俺の口元を両手で掴まえて閉じさせた。

「あれだな、お前も暇なんだろ。雨だしな」

 その状態で顔を覗き込んで囁かれて、俺はちらりと洞窟の外を見やる。
 いつの間にやら、雨は少し弱くなってきていた。
 きっと、止むまであともう少しだ。
 ぐるる、と喉を鳴らしてからぱたりと尾を揺らせば、エースがよしよしともう一度俺の頭を軽く撫でる。
 温かな掌へぐりぐりと頭を押し付ける俺へ、エースは何とも楽しそうに笑い声を零した。







 雨が上がってすぐに、エースは小さな入り江になっている岩場で船造りを始めた。
 数日かけて作られたただのイカダよりは少しは丈夫そうなそれは、エースが一人で乗るには少し大きいように思えるものだった。
 森の木をへし折るエースの手伝いをして、俺もそこへ木材を運ぶ。
 悪魔の実の能力者とはいえ、ただの人間であるエースよりは俺の方が力が強くて、すげェなァと素直に褒めたエースに何だか照れくさくなったのは昨日のことだ。
 どうにか出来上がった船は、きちんと水にも浮いたし浸水もしなかった。
 それを確認して喜んだエースは、もう遅かったその日を俺のねぐらで休んで過ごし、今朝になってからもう一度ここへ移動してきて、俺が狩ってきた動物を焼いたものや拾ってきた果物をせっせと船へと詰め込んでいる。

「っと、こんなもんか」

 ある程度乗せたところで呟いたエースが、ぱんぱん、と手の汚れを払うように両手を打ち合わせた。
 頭の上に乗せられているオレンジのテンガロンハットは、この岩場に流れ着いているのを昨日見つけたものだ。多分エースのだったんだろうそれは、エースによく似あっている。
 改めて船の出来栄えを確認しているその背中を、俺は岩場の端に座り込んでじっと見守った。
 どうやら、ついに別れの時が来てしまったようだ。
 また、他にかかわる相手もいない生活に戻るのかと思うとじんわりと恐ろしいし、俺が知っている限りだと死ぬことになるだろう未来へ進むエースを引き止めたくもあったが、ただの獣でしかない俺にそんなことが出来るはずも無かった。
 俺にできることと言えば、ただこうやって、エースの旅立ちを見守ることくらいだ。
 例えば狼みたいなイヌ科の動物だったら遠吠えで見送ることもできるのだろうが、動物達を威嚇するときに使うような雄叫びをその代わりにしていいのかも分からず、黙って見送った方がいいんだろうかと考え込んだ俺の前で、船の最後の確認を終えたエースが屈みかけていた体勢を戻す。
 その手がぐいと船を押しやり、沖へ向けて押されたそれへぴょんと飛び乗って手製のオールを掴んでから、エースはこちらへくるりと振り向いた。

「ん? ナマエ?」

 そこで不思議そうに名前を呼ばれて、ぱたりと耳を動かす。
 オールの端を岩場に押し付け、船をその場に留めようとしながら、エースが首を傾げた。

「何してんだ?」

 不思議そうな問いかけに、見送りだと返事をしたいが、あいにくと俺の口からは鳴き声しか出ない。
 仕方なくそれを紡いだ俺を見つめて、不思議そうにしたままのエースがオールを片手に持ち直し、その指先を船の上に向けた。

「早く乗れよ、置いてくぞ」

「…………?」

 放たれた言葉の意味が理解できず、俺はぱたりと尾を揺らした。
 こいこい、と手招きをされたので、座っていたその場から立ち上がり、岩場の上を踏みしめて歩く。
 ざらついた岩の上で、エースが位置をとどめているボートの真横までやってくると、エースがもう一度、その指先を自分が乗っている船へと向けた。

「そっと乗れよ。ひっくり返ったら危ねェからな」

 そうして寄越された言葉に、ぱちりと瞬きをする。
 エースの言葉の意味を飲みこむまで少しかかって、岩場に佇んだままの俺を前に、エースが不思議そうに首を傾げた。
 まるで俺が言うことを聞くと言うことを疑ってもいないような顔をしているが、つまりエースは、俺を『連れて行く』と言っているのだろうか。
 そんな風に考えると、先ほど寂しがった自分が、何だかまるで馬鹿みたいだった。
 ぐるるる、と喉を鳴らして窺う俺の前で、ほら、とエースが促すように片腕を広げる。
 それを見つめて目を細めた俺は、とん、と岩場を蹴り飛ばし、エースの体にぶつかる形で船の上へと降り立った。

「うぶっ」

 声を漏らしたエースの体が船に倒れ込んで、ぶつけた頭がごちんと音を立てる。
 その頭がぼぼっと一瞬炎を零し、急いで起き上がったエースの手が少しだけ焦げた船底を慌てて叩いた。

「ばっか、ナマエ、危ねェだろ!」

 焦った顔で注意をされたものの、気にせず体を船の端まで移動させる。
 エースが積み込んだ食料は随分と多く、それらに背中を預けるようにして座り込んだ俺を見やり、さらに何かを注意しようとしたエースは、けれどもそのままなぜか表情を和らげて、その両手で改めてオールを持ち直した。

「よし、行くか!」

 気合いを入れて言葉を零したエースに、がう、と鳴き声を零す。
 俺の返事に笑ってから、エースによって漕ぎ出された手製の船は、そのまま海原へ向けてその船首を向けた。
 ざざざざ、と音を零す波間をかき分けて、小さな船が広い海へと進んでいく。
 遠ざかっていく島は随分とちっぽけに見えて、あんな場所で鬱々と育ってきたのかと思うと何だか可笑しく、息を吸い込んで口を開いた俺の口からは、低く大きな雄叫びがあふれ出た。
 雷鳴のように低く響くそれへ、うお、と驚いた顔をしたエースが、けれども俺を止めようとはせずに、何度か声を上げた俺を黙って眺めながら船を漕いでいく。

 俺が、スペード海賊団の一番最初のクルーとなったのは、その日のことだ。



end



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