存在する意味を聞く (1/2)
※アニマル主人公は多分(丈夫な)ライガー
※エース君がスペード海賊団結成以前くらい
この世界に生まれた俺が、よく分からないまま必死に生きて、どうにか目が見えるようになった頃に初めてそこにあると認識したのは、小さかった俺を守るように体を横たわらせている母親らしき獣だった。
安心するその匂いも、つい昨日まで額を舐めてくれていたざらついた舌の感触も覚えているのに、母親は死んでいた。
体には縞模様があるネコ科の姿をしていて、『トラ』だ、と認識したのが一番最初の記憶だ。
俺は、母親がなんと呼ばれる獣なのかを知っていた。
自分の名前も思い出せないが、自分がその『獣』を見たことがあることを知っていた。
俺の中には『俺』という自我があって、どうもそれは、今の体とは違う存在であった頃の記憶から成り立っているものであるらしい。
すなわち『俺』は元々は人間で、どうやってか知らないが今は獣の姿になっていた。
ひょっとすると、生まれ変わった、と言う方が正しいのかもしれない。
とにかく俺は元人間で、そして今はただの獣だった。
嘘だと叫びたかった口からはぎゃうともがうともつかない鳴き声が漏れるばかりで、そのうちに空腹になり、母親だったはずの獣の死骸に虫がたかり始めた頃にようやく現実を飲みこんだ俺は、それからは必死になって生きてきた。
生き物を殺して食べると言うことには最初は抵抗もあったが、食わなければ死ぬのだから食うしかない。そのうちに俺の中の『人間』の部分は少しだけ麻痺したようで、体が育つにしたがって狩りも上達していったように思う。
俺の母親は『トラ』だったようだが、どうしてか育った俺の体には縞模様と共に『ライオン』のようなたてがみがあった。
体も、俺が知っている『トラ』や『ライオン』より大きく育ったから、もしかすると、虫と他に食われて骨だけになってしまったあの母親も、本当は『トラ』では無かったのかも知れない。
どちらにしても、俺にそれを教えてくれる相手はいなかった。
人間の人種が違えば話が通じないように、俺の言葉を理解してくれる動物は、この海に囲まれた広い島にはいないからだ。
母親がいるなら父親だっている筈なのに、俺と同じ姿の生き物はどこにもいない。
ひょっとすると、あの『母親』は何かの拍子にこの島へと流れ着き、それから俺を生んだのかもしれない。
肉食動物であり、体が大きく育った俺を草食動物たちは避けていくし、肉食獣の姿も他には見当たらなかった。
何で生きているのかも分からなくなるような頭がおかしくなりそうなほどの時間を、俺は一匹で過ごしたのだ。
いっそただの獣だったならこんな思いだってしなかっただろうに、俺は『俺』という存在を忘れることすら出来なかった。
島は広く、俺が生きていくには何の問題も無かったが、いっそ外へ『仲間』を捜しに行こうかとすら考えながら、この島という『ナワバリ』を巡回するのが、俺の唯一の日課だ。
今日だってその通りに行動していただけだと言うのに、俺の目の前には見慣れないものが落ちていた。
片腕を大きな板に括り付けて、全身が海水に塗れてずぶ濡れで、黒い髪が太陽を鈍く弾いている。
砂浜に顔を押し付けるようにしたまま伏せているそれはどう見ても『人間』で、俺はのそりとそちらへ近付いた。
上から覗き込んで、その様子を確認する。
どこかでおぼれ死んだ誰かの死体が、砂浜に流れ着いたのだろうか。
鼻先を押し当ててみると、太陽の日差しを浴びていたせいでか、それともまだ死んで間もないのか、その肌は少しの温もりが残っていた。
べろりと舐めてみるが、やはり塩味だ。
さすがに、意識が『人間』である俺に、死体とは言え『人間』を食べるだけの覚悟は無い。
まだ腐ってはいないようだし、今のうちに引きずって行って、土にでも埋めてやろうか。
火を熾せない俺のできる精一杯を頭に浮かべてから、一先ずその首を噛んで持ち上げようと口を押し当てたところで、んぐ、と小さな声が聞こえた。
ぐわりと口を開いたまま、動きを止めて真下の頭を観察する。
俺が動きを止めてから少し後に、んぐぐ、ともう一度何か声を漏らしてから、今俺が噛みつこうとしていた相手が身じろいだ。
それに驚いて頭を退いた俺の傍で、ぶは、と息を吐いて砂から顔を上げたそいつが、片腕を板に縛り付けたままでくしゃみをする。
「……あー……死ぬかと思った……!」
俺は死んでいると思った。
どうやら生きていたらしいそいつは、体つきとその声からして、男であるようだった。
泳ぎつかれているのか、とてつもなく弱弱しい動きで体をねじり、自分の左腕を板へ縛り付けているロープを解こうとしてから、ぴたりとその動きが止まる。
砂まみれの顔が俺の前足を見つめて、それからゆるりと辿って俺の頭を見上げた。
瞼の上も下も砂まみれの状態で、ぱちぱちと瞬きをするその動きに合わせて、顔から砂が落ちる。
何だか見たことがある顔である気がして俺が首を傾げると、同じ向きにその頭が傾いた。
黒い髪も顔も体も砂まみれのままで、そっと言葉が放たれる。
「…………悪ィが、おれは食ってもうまくねェぞ」
初対面で何とも失礼な奴だ、というのが、俺のそいつへの第一印象だった。
砂浜に倒れていたそいつが、『俺』がおぼろげながらも覚えている『漫画』のキャラクターだと気付いたのは、どうにか自由を取り戻したそいつが顔の砂を払い落としてからのことだ。
この世界が『ワンピース』の世界だと言うのなら、俺みたいな不思議な生き物がいたっていいのかもしれない。
※
ポートガス・D・エースと名乗った海賊の男は、俺が自分を食わないと分かると途端にこちらへ懐いてきた。
いや、もしかしたらただ単に、海水まみれでへろへろだったその体を舐めて砂を払ってやったり、水場まで連れて行ってやったりしたせいかもしれない。
それとももしかしたら、結局水濡れで力を失うという悪魔の実の能力者が腹を空かせていたから、近場を通りかかった鹿のような生き物を狩って運んできたせいだったのかもしれない。
まあどちらにしても、懐いたと言う事実には変わりないだろう。
自我はあるが名前すら忘れてしまった俺に『ナマエ』と名付けて、エースは俺の住処に転がり込んだ。
誰かと一緒に過ごすだなんて、『俺』という自我に目覚めてからは初めてのことだったが、ずっと一人でいた孤独が消し飛ぶくらいには、エースは暖かだった。
このまま一緒にこの島で過ごしてくれたらいいと思えるほどだが、それはさすがに無理だと言うことはいくら俺でも知っている。
エースは航海をしている海賊なのだから、海へ帰ると決まっているのだ。
しかし俺の思惑を知っているかのように、エースが元気になってからのここ二日程は天気が悪く、俺が住処としている洞窟の外はざあざあと騒がしい豪雨だった。
「タイミング悪ィなァ……」
雨音に紛れるような声音で呟いて、エースが手元の枝をぱきりと折り、自分の前の焚火へ放り込む。
すでにメラメラの実を食べたらしいエースは、その手で簡単に火を熾した。
本当に久しぶりに見る炎の温かさに近寄った俺に、火を怖がらねェのかと面白そうにエースが笑ったのは一昨日のことだ。
エースの傍らには、俺がエースの寝ている間に狩ってきた獲物を食べつくした後の骨だけが転がっている。
しばらくそうやって火に枝をくべてから、あーあ、と声を漏らしたエースの体が俺の方へともたれこんできた。
俺より小さい体を支えて、ぐるるると小さくうなりを零す。
ほんの二日やそこらだというのに、エースはもうすっかり元気だ。
乗っていた船が嵐に遭って転覆して、悪魔の実の能力者となっていたが為に泳げもしない恐怖を味わったくせに、また海に出ようと考えるのはすごいことだと思う。
顔を寄せると、俺の動きに気付いたエースがこちらを見やって、その手で軽く俺の頭を撫でる。
他にも動物はいるはずなのに一匹っきりだったこの島で、そんな風に俺の体を触ってくる生き物は、記憶の限りでは母親だったあの『トラ』以外にはいなかった。
毛並に添うように動く指先に目を細めれば、エースが笑う。
「ナマエ、お前撫でられんの好きだな。ただの猫みてェ」
明らかに肉食獣でしかない俺へ向けて楽しそうに言い放つエースに、ぐるると喉を鳴らしてから、俺はゆらりと尻尾を動かした。
こちらを向いているエースには見えない位置から、俺の体躯に合わせた長さの尻尾の先を近づけて、無防備なその首を後ろから撫でる。
「うひっ」
くすぐったかったのか肩を竦めて変な声を出したエースが、そのまますぐに後ろを振り返り、そこで揺れていた俺の尻尾を掴まえようと手を伸ばした。
それに反応して尾を隠すように動かせば、身を乗り出したエースの体が俺の体の上に乗り上げる形でこちらへ背中を向ける。
裸足の足がこちらを向いたので、俺の尻尾を掴まえようと奮闘するエースの足先に顔を寄せて、今度は少し濡れている鼻先と先端の毛を擦り付けるようにそこを撫でた。
「うぎゃっ」
またしても面白い反応をして、体を跳ねさせたエースがこちらを向く。
眉間に皺を寄せたエースの両手が俺の頭を掴まえて、俺が大きく口を開けば一噛みでいただけそうなその顔がこちらへと近づいた。
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