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日盛りの罪科 (2/2)


 そんな、つい数日前の夜のことを、ナマエは思い出していた。
 じりじりと頬が痛むのは、先ほど出て行った大男に顔を小突かれたからだ。
 血の味がするので、口の中も切ってしまったに違いない。
 一つだけ置かれたランタンのわずかな明かりに照らされながら、懐いた石造りの床の冷たさでどうにか頬を冷やしつつ、どうしてこうなったんだったか、と少しばかり考える。
 あの『襲撃』のあと、とてもたくさん火薬を使ったキャベンディッシュ率いる海賊団は、一番近かった島へと停泊した。
 火薬も食料も買い込んで、久しぶりの陸を楽しんでいた筈なのだ。

『久しぶりの島なんですから、人を斬ったりするのは我慢して、平和に過ごしましょう。ね?』

 島へ辿り着いたという事実が不安だったが、ナマエが頼みこんだのが煩わしかったのか、それとも先日の海戦ですっきりしたのか『ハクバ』は夜に目を覚ますことなく、平穏な数日間を過ごしていた。
 だというのに、日用品を買いに町へ繰り出した三日目の今日、ナマエは路地から伸びてきた腕によって暗がりへと引きずり込まれた。
 怒りに顔を赤くして、涙すら零しながら誰かの名前を紡いだ大男は、ナマエの腕からあの『ハクバ』の贈り物を奪いナマエを殴り、そしてこの家の中へ拘束している。
 『この海賊野郎』と怒鳴られたので、ナマエが『海賊』であることは知られてしまっているようだ。恐らく、つい昨日、賞金首のキャベンディッシュと共に島を歩いていたからだろう。
 『ハクバ』が持ち帰ったあの『土産』は、大男にとってとても大切な誰かのものだったようだ。
 喚いた男の話からするに、先日キャベンディッシュ達に喧嘩を売ってきたあの賞金首が、近くの島を襲撃して奪い取った装飾品だったらしい。
 それをナマエ達が行った所業なのだと勘違いされていると気付いたが、弁明しようとするたび殴られて、すっかり委縮して身を丸めたナマエにはなすすべも無かった。
 好きなだけナマエを殴りつけ、仲間と共にあの大男が部屋を出て行ったのは少し前のことだ。
 体中が痛い。折れていないにしても、骨にひびくらいは入っているのではないだろうか。
  思い切り蹴られた腹からも、じわじわと痛みが広がっている。

「……痛い」

 漏らした声が、一人きりの室内にむなしく響く。
 それを見送り、ナマエの口からは溜息が漏れた。
 一体、これからどうなるんだろうか。
 ナマエは一応海賊だ。海軍に突き出されるのか、それともまた大男に殴られ、そのうち殴り殺されるのか。
 理不尽な暴力を受ける恐怖に、ふるりと体が震える。
 同じ船に乗っていた仲間達が助けてくれないかとも少しだけ考えたが、今日は夕方に帰ると言った筈で、先程扉が開かれた時に見えた窓の外の色を考えるに、まだまだナマエの事態に気付かれはしないだろう。
 気付かれても、すぐに見つけて貰えるとは限らない。何せナマエは屋内にいるし、この部屋には窓の一つも無いのだ。
 絶体絶命とはこういうことだろうか。
 『山賊』も『ならず者』も『海賊』も『海軍』も『革命軍』も、ナマエにとっては等しく恐ろしく、近寄りがたいものだった。
 どうしてか『ハクバ』と『キャベンディッシュ』に攫われなかったなら、きっと今だってあの島で大人しく生活を営んでいたに違いない。
 そう考えてみて、それならば出会わなければ良かったのかと少しばかり考えを巡らせてみるものの、うまく想像が出来なかったナマエの口からは、もう一度ため息が零れた。
 『ハクバ』は恐ろしいし『キャベンディッシュ』は面倒臭い海賊だったが、しかしそれでも、彼らの世話を焼くのは嫌いではなかった。
 『海賊』なんていう悪い人間の集団に属してはいたが、あの船での生活はなかなかに楽しかったのだ。
 また戻れるなら、それに越したことはない。

「…………よし」

 少し置いてから、言葉を零したナマエは、もぞりと体を捩った。
 縄でぐるぐるに巻かれた状態のまま、幾度か蓑虫のようにのたうち、そのたびに走る痛みに息を詰めながらどうにか体を起こす。
 その間に何度か擦り付けた頬に擦り傷が出来てしまったようだが、今さら少し傷が増えたからと言ってどうということもない。
 とりあえずどうにか拘束を解いて、ここから逃げる算段をつけるのだ。
 大男が出て行ってから、いつ戻ってくるかも分からない以上、急ぐしかない。
 しっかりと結ばれた縄をどうにか解けないかと、ナマエがもぞもぞと体を動かす。
 中々生まれない隙間に焦り、額に汗をにじませて更に体を動かしたナマエがびくりと震えて硬直したのは、扉の向こうで何かの物音がしたからだった。
 まさか大男が帰ってきたのかと、再び始まる暴力を想像して青ざめたままで見つめた先で、ドアノブがゆっくりと動く。
 かちゃりと音を立てて扉が開かれ、蝶番が軋んだ音を零した。

「……ナマエ?」

 そうして名前を呼んできた相手の姿を視認して、ナマエの目が丸く大きく見開かれる。

「………………船長?」

 そこに立っていたのは、間違いなく『白馬のキャベンディッシュ』だった。
 ナマエの姿を認め、そして眉を寄せたキャベンディッシュがずかずかとナマエへ近寄り、そしてその手が持っていた剣を抜く。
 抜刀と同時に振るわれた切っ先がナマエの体を縛っていた縄を這い、そして数瞬を置いてナマエを拘束していたそれらがはらりと床へ落ちた。
 美しく刻まれたそれを見下ろしてから、ありがとうございます、と礼を言い、ナマエがずっと拘束されていた腕を動かす。
 先ほど必死になって動かしていたからか、多少のしびれはあるものの問題なく動いた指に安堵しつつ、ナマエの足がよろりと立ち上がった。

「俺がここにいるって、よく分かりましたね」

「まあ簡単さ、ぼくではないけどね」

 言葉を放ちつつ近寄ったナマエへ向けてそう言い放ち、キャベンディッシュが眉を寄せる。
 その手がナマエの顔へと伸びて、間違いなく腫れているだろうその頬を指がそろりと辿った。
 キャベンディッシュの指を冷たく感じるのは、腫れたそこが熱を持っているからだろう。
 酷い顔になっていそうだなと考えつつ、されるがままになりながら、ナマエはキャベンディッシュの言葉に首を傾げる。
 ちらりと見やった先で、ため息を零したキャベンディッシュが言葉を紡いだ。

「ハクバが、すれ違った男からナマエの血の匂いがするというから」

 思わず『尋ねて』しまったよと肩を竦められて、ナマエは目を瞬かせた。

「血の匂いですか」

「そう」

 ナマエへ向けて頷いて、少しばかり顔を近づけたキャベンディッシュが、すん、と鼻を鳴らす。
 それから少しばかり不満そうな顔をして、ぼくにはさっぱりだとその口が呟いた。

「大体、ナマエの血の匂いなんて、ついこの間嗅いだだけじゃないか。変なところで記憶力のいい奴だ」

 自分自身であるはずの相手を詰るキャベンディッシュの手が、そこでようやくナマエの顔から離れる。
 そのついでに軽く掌でナマエの背中を押して、ナマエへ歩き出すことを促した。

「とりあえず、眠らせた連中が目を覚まして戻る前に、さっさとここを出ることにしよう」

「眠らせた……」

 さらりと寄越された言葉を、ナマエは思わず繰り返してしまった。
 きっと『ハクバ』だったなら殺していたのだろう。
 今が昼でよかった、と思わず胸を撫で降ろしてしまうのは、さすがに自分へ暴力をふるった相手でも、人に死なれては恐ろしいと思うからだ。
 小心者でしかないナマエの横で、ぼくとしてはもう少し痛めつけても良かったんだが、とキャベンディッシュが呟く。
 その目はナマエの顔やその腕が庇っている腹部を見回していて、その美しい眉がぎゅっと寄せられていた。
 どうやらナマエが痛めつけられたことを怒ってくれているらしい相手にナマエが笑ったところで、キャベンディッシュの口が言葉を紡いだ。

「ハクバが珍しく我慢するというし、このぼくがハクバに出来ることを出来ないはずが、」

 放たれた言葉が途中で止まったのは、ぱん、と勢いよく動いたキャベンディッシュの右手が、己の口元を覆ってしまったからだ。
 ふいとその顔がナマエの方から逸らされて、不自然に落ちた沈黙に、ナマエは困惑した。
 どうしたのかと見つめた先で、ぎし、と体を軋ませるようにしてゆっくりと目の前の海賊がナマエの方へその顔を向ける。

「……黙ッテ歩ケ」

 恐ろしい顔をして低く唸った相手が『誰か』を把握して、ナマエはわずかに目を瞠った。
 けれども、海賊の方はそんなナマエを気にした様子もなく、すたすたと先に歩き出してしまう。
 開いたままだった扉を出ていく相手を追いかけて、ナマエもよろりとその場から歩き出した。
 すたすたと先を行く『ハクバ』を見やりながら、痛む体を引きずるように足を動かす。
 聞き苦しい足音が通路を伝い、それが届いたらしい『ハクバ』は、随分と先へ進んだ後でその足を止めて振り向いた。
 遅い、と言いたげな不満そうな顔に、慌てて足を動かすものの、そのまま縺れたナマエの体が前へと倒れ込む。

「あっ」

 食らう痛みを予想して、思わずぎゅっと目を閉じてしまったナマエの体は、しかし床と仲良くすることなく何かに引き止められた。
 体を掴んだそれにぐいと押しやられ、ついでに足が浮いてしまって、驚いてその目を開く。
 見下ろした先には先ほど目の前に迫ろうとしていた筈の床があり、数秒を置いて、ナマエは自分が誰かの小脇に抱えられているということを理解した。
 体重を支えることになってしまった腹部が圧迫されて、蹴られた箇所がじくじくと痛む。

「う……っ」

 そのことで思わず呻いてしまうと、今度はくるりと体の向きを変えられて、ナマエは仰向けのまま横抱きされる格好になってしまった。
 少女の憧れの体勢になっていると気付いて目を見開いたナマエの視界に、それをしでかした男の顔が映り込む。

「全く、どうせならこちらのほうがいいに決まってるのに」

 分かってないなと言いたげに物憂げなため息を零してから、微笑んだキャベンディッシュがナマエを見下ろした。

「そう思うだろう、ナマエ?」

「……いや、家の外へ出たら降ろしてほしいとしか……」

「何だって!?」

 このぼくがやってるというのに、とナルシストのような発言と共に身を震わせたキャベンディッシュは、それでもナマエの望む通り路地へ出たところでナマエを降ろしてくれた。
 しかし、やはり怪我と痛みで歩みの遅いナマエが『ハクバ』に担がれて船まで連れて戻られたのは、それからほんの数分後のことだった。



end



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