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おにっこ天使 (2/2)


 俺が『青鬼』と勘違いした魚人の海賊は、このうえなく親切だった。
 何せ、俺を海賊船へと乗せ、食事をくれたのだ。
 飢えて死ぬ寸前だったらしい俺がまともに食べれるようになるのには船医の制限を受けてしばらくかかったが、面倒だったろうに放り出そうともしなかった。
 『オニだなんていってごめんなさい』と謝ったら、あっさりと許してもくれた。
 鬼だなんてとんでもない。
 どうやら、俺の目の前に現れたのは天使だったらしい。

「ん、ぐ」

「ナマエ、そんなに急いで食わんでも、誰もとりゃあせんわい」

 まともに食べれるようになってから、どうしても口いっぱい頬張ってしまう俺の横で、呆れた声を零した誰かさんがこちらを見ている。
 最初の頃よりどことなく優しい顔になっているように見えるそちらを見やってから、俺ははち切れんばかりに頬を膨らませたままでスプーンを持ち直した。

「んも、ももも」

「食うてから喋らんか」

「ん」

 ため息交じりに言葉を寄越されて、こくりと頷いてから口の中身を咀嚼する。
 もぐもぐと頬を膨らませている俺の横から手が伸びて、頬についていたらしいご飯粒が傍らの海賊によって奪われた。
 そのままとられると気付いて、慌てて口の中身を飲みこんでから青い手を掴む。
 ぱく、とそのままその指を口で咥えると、びくりと俺が掴まえた大きな手が揺れた。
 気にせずご飯粒を奪い取ってからその手を放すと、すぐさま青い手は俺の傍から逃げていった。

「何をするんじゃ、いきなり」

「とるのがわるい」

 非難がましい言葉にそう返してから、口の中身を改めて飲みこみ、掴んだグラスの中身で清める。
 まだ食事が終わっていないが、ひとまず皿の端にスプーンを置いてから、俺は改めて傍らの魚人へ顔を向けた。

「ジンベエさんのふねの、めしおいしい」

「そうか、それは作った奴に直接言ってやりゃあいい、喜ぶからのう」

「だからたくさんたべたい」

「…………お前さんの腹に入る量は決まっとるぞ」

 一生懸命食事をしていた俺の理由を述べると、この船の船長殿がそんないけずなことを言う。
 頑張れば膨らむかもしれない、と言葉を続けてしまうのは、ここが『漫画』の世界だと気付いたからだった。
 今のところ俺の周りに漫画形式なことなんて『魚人』以外には何一つ起きていないが、ここが『漫画』の世界なら、そのくらい出来てもいいんじゃないだろうか。
 特に、俺の傍らの人が登場している『漫画』の主人公はゴム人間だったのだ。
 宴のたびにはち切れんばかりの腹になっていたことを、頭がまともに働くようになってから思い出した。

「頑張っても、無理なもんは無理じゃ」

 諦めろ、と言いたげな声を出したジンベエさんが、その手で本当に軽く、俺の腹を撫でた。
 こそばゆさに身を捩るが、確かに少し苦しい。
 うう、と声を漏らした俺の前から、つい、とまだ料理の残っている皿がテーブルの向こう側へと押しやられた。

「あ」

「今日はもうしまいじゃ」

「もったいない」

「わしがあとで食うてやる、問題ないわい」

 残したくないと伸ばした手を無理やり降ろされて、うう、と声を漏らす。
 それからちらりと見やってみるも、俺の訴えを傍らの魚人はあっさりと受け流した。
 最初の頃よりも、その態度は強硬になっている気がする。
 俺がこの船に乗ってまだ一ヶ月も経たないのに、お互いが随分と慣れてしまったということだろうか。
 食事時にジンベエさんが俺の横に座るのだって、他のクルー達では俺を止められないからだということは俺だって知っている。
 魚人にとって人間の子供というのがどういうふうに見えるのかは分からないが、最初から厳しかったジンベエさんを除いて、魚人達はかなり俺をいたいけでか弱いものとして扱ってくれていた。
 だから、無理やり手を押さえるだなんてこと、ジンベエさんしかしないのだ。
 少し身じろいでも手放してくれない大きな手に、やがて仕方なく抵抗を諦めた俺は、ふうと息を吐きつつ手元へ視線を降ろした。
 俺の手なんて片手で掴んで隠してしまえるような大きさのジンベエさんの掌は、少しざらついている。
 少しだけ手をひねり、届いた掌を指先で軽く擦ると、悪戯は止めんか、と唸ったジンベエさんが俺の体を空いていた手で掴まえた。
 引き寄せられて、そのまま膝へと乗せられる。
 そして後ろから両手を掴まれ、俺の自由は完全になくなってしまった。

「ジンベエさん、おうぼうだ」

「なんじゃ、難しい言葉を知っとるのう」

 俺の言葉を聞いてそんな風に言ったジンベエさんが、それから俺を掴んだまま少し深く椅子に座る。
 それに合わせて体が傾ぎ、俺はジンベエさんへもたれかかるような体勢になってしまった。
 背もたれが温かいなんて、なんて豪華な椅子だろうか。
 これで手元にあの料理が戻ってくればもっといいと、じっと視線をテーブルへ向けると、不意に視界が真っ暗になった。
 少し生温かい感触が顔の半分を覆っていて、後ろから目隠しをされたのが分かる。右腕が解放されたから、多分ジンベエさんの右手だろう。

「見えるからいかんのか」

 もう諦めろと言葉を続けて、俺の後ろの相手が軽くため息を零す。
 顔を右や左へ動かしてみても離れない掌に、一度二度と瞬きをすると、どうやら俺のまつ毛が相手の掌をくすぐったようだった。

「やめんか、くすぐったい」

「わざとじゃないのに」

 笑い声と共に寄越された言葉に、ひどい、と紡ぎながらも何となく口元が緩んだのを感じる。
 じわじわと満腹中枢が刺激されてきたようで、すっかりお腹はいっぱいになってしまっているのを感じるようになった。
 この分では、あの皿を取り戻しても食べることは出来そうにない。
 そこまで自覚すると、これ以上ごねるのも大人気ない気がした。
 見た目はともかく、中身はそれなりに大人なのだから、引き際をわきまえるべきだ。
 それに、そういえば俺にはこの人に聞かなくてはいけないことがあるのだった。

「ジンベエさん、ジンベエさん」

「ん? 何じゃ、ナマエ」

 呼びかけながら動かせる右手を顔を覆っている掌へと添えると、頭の上から声が落ちる。
 出会った時はあんなに怖い顔と声だったのに、今はもうまるで怖くない。
 それは俺がジンベエさんに慣れたからなのか、それともこの人が『人間の子供』である俺を受け入れて許してくれたからなのか、どちらだろう。
 後者だったらいいな、なんて考えと共に、俺の口からは言葉が漏れた。

「おれ、ずっとのってたいけど、どうしたらいい?」

 『もうすぐ次の島へ着く、そこで降ろしてやる』と言われたのは、つい一昨日のことだ。
 何となくこのまま乗っていられるような気がしただけに、とんでもなく驚いた。
 けれども、よくよく考えれば俺はただの人間で、しかも小さな子供の体だ。
 ジンベエさんの発言はもっともと言えばもっともで、しかし海賊がそんなもっともな台詞を使うだなんて思いもしなかったのだ。
 もしかしたら、ジンベエさんの前世は天使だったのかもしれない。
 少しズレたことを言ったり気にしたりすることもあるけど基本的に良い人な誰かさんを前に真剣にそう思っているのだが、今のところ聞いてみたことはない。
 まあ、ジンベエさんが本当に天使なのだとしてもそうではないのだとしても、どちらにしても一緒にいたいことに変わりは無かった。
 むしろ、俺を拾ったのはジンベエさんなのだから、最後まで俺の面倒を見るべきなのではないだろうか。身勝手かもしれないが、切実な願いだ。

「しまでわるいことしたら、つれてってくれる?」

 何をすればいいのかは分からないが、とりあえずそう尋ねてみると、何を言っとるんじゃ、と真上から呆れた声が落ちた。

「子供のしでかす悪いことなんぞ、海兵に叱られてしまいじゃろうが」

「じゃあ、どでかいことすればいい?」

「やめんか、本当に何かやりそうで恐ろしいわい」

 首を傾げる俺の後ろで、ジンベエさんが低く唸る。
 それからやや置き、ため息が落ちて、まったく、とその声が言葉を紡いだ。

「食い物を理由に海賊になりたがる奴なぞ、聞いたこともないわ」

 とんだ食いしん坊だと詰られて、何でそうなるのだろうかと眉を寄せる。
 そんな話はしていない。

「……もしたべられるんだとしても、ジンベエさんといっしょにいたいっていってるのに」

「魚人は人間を食わん」

 まだ言うとるのか、と言いながら一瞬離れた掌にぺちりと額のあたりを叩かれて、俺は、どうやら自分の真意が相手に伝わっていないらしいということを理解した。
 しかし、更に言葉を重ねてみても、ジンベエさんはまるで理解してくれなかった。
 とんだ鈍感天使だが、まあ、とりあえずもう少し大きくなるまでは船に乗せてくれるつもりになったようなので、良しとする。



end



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