物語の主人公は、 (2/2)
「……それで、おれに何か言いたいこたァ無ェのか、ナマエ」
低い声が、まるで詰るように俺へ向けられる。
その目が窺うようにこちらを見ていて、それを見つめ返してから少しだけ言葉の意味を考えた俺は、ええと、と声を漏らしてから自分の足元へちらりと視線を向けた。
「その……降ろしていただけると、嬉しいというか」
「……チッ」
恐る恐ると紡いだ俺の言葉に舌打ちをして、スモーカー大佐の手が俺の体を手放す。
突然の解放にがくんと揺れた体をどうにか支えて、俺が両足で立ちなおすと、スモーカー大佐の片脚がどかりと俺の体の横から壁を蹴りつけた。
後ろは壁、右も壁、左はスモーカー大佐の足と来ては、逃げ場など当然ながら一つも存在しない。
まるでチンピラにでも絡まれているかのようだが、俺の目の前にいるのは海軍本部大佐だ。
「スモーカー大佐……?」
「で?」
どうしたんですか、と尋ねようとした俺の言葉を遮って、スモーカー大佐が口を動かす。
「他には?」
端的な問いかけは、つまり先ほどの『何か言いたいこと』を求めているということだろうか。
言葉の端々に苛立ちを感じて身を竦めながら、俺は先ほど俺より先に執務室を出て行った同僚殿の言葉を思い出した。
スモーカー大佐を避けていることを、本人が気にしているとたしぎは言っていた。
つまり、スモーカー大佐の問いかけはそのことだろう。
全く普段と変わらない様子だったのに、こうやって聞いてくれるくらいには気にしてくれていたのかと思えば嬉しいような、しかし今どう見ても不機嫌なその顔が恐ろしいような。
許してあげてとたしぎは言っていたが、今この場で許しを乞いたいのは俺の方だ。
『言いたいこと』なんて、言えるはずもない。
「いえ、とくには……」
だからこそ、ありませんと紡ぐところだった俺の口が、ばご、と何かが砕ける音によって遮られる。
驚いて思わず傍らを見やると、俺を逃がさないとばかりに壁を蹴りつけていたスモーカー大佐の足先が、少しばかり壁にめり込んでいた。
海兵が民家の塀を壊していいのだろうか。
恐ろしいそれにさっと青ざめて視線を戻せば、いよいよこちらを殺していきそうな顔になったスモーカー大佐が、てめェ、と低く唸る。
「まだしらばっくれるつもりか」
「ええと、その」
「ナマエ」
俺の名前を呼んだスモーカー大佐が、その手を伸ばして俺に触れる。
ぐっと顎を掴まれて、うつむきかけていた顔を相手の方へと向けるよう強制された。
それに従い伏せかけた視線を向ければ、こちらを睨み付けたスモーカー大佐が、咥えた葉巻を軽く揺らす。
「おれがてめェに何をした」
「いえ、大佐は何も」
放たれた予想外の言葉に、俺は慌てて持ち上げた手を横に振った。
しいて言うなら大佐の罪は、俺を惚れさせてしまったことくらいだ。
けれども、何処かのことわざで言うなら恋はハリケーンなのだから、大佐が魅力的だったからと言ってそれを裁くことは難しい。
俺の言葉に眉間のしわを深くして、なら、とスモーカー大佐が言葉を紡いだ。
「何でおれを避ける」
「……いえ、その、避けたりは」
「まだしらばっくれるつもりか」
苛立った様子で唸られて、ええと、と声を漏らしながら、俺はただ困り果てた。
どうやらスモーカー大佐は、『何でもない』では納得してくれないらしい。
相変わらずこちらを睨み付けている相手に、冷や汗が背中を伝い落ちる。
いっそ言ってしまうか、でもと男らしくなく逡巡したまま見つめ合ったところで、俺とスモーカー大佐の間にあった重苦しい沈黙を打ち破ったのは、スモーカー大佐の名前を連呼しながらバタバタと駆ける足音だった。
それに気付いて先に足を降ろしたスモーカー大佐が振り向くと、ちょうど小道の前を通りかかったらしい海兵が、慌てた様子でスモーカー大佐の方へと駆け寄る。
「スモーカー大佐! 大変です! 海賊達が死刑台の広場で騒ぎを!」
声を上げながら近寄ってきた俺の同僚が、どうしてかこちらを見てわずかに目を見開く。
それから、その顔が慌ててスモーカー大佐へと戻されて、申し訳ありませんお取込み中でしたか、と焦って上擦った声が漏れた。
その言葉にちらりとこちらを見やったスモーカー大佐が、それからすぐに視線を海兵の方へと戻す。
「で? 何があったって?」
「ええとですね……」
「ああ、海賊が死刑台の広場でバカやってんだったな」
先ほどの駆け寄ってきたときの報告をちゃんと覚えていたらしいスモーカー大佐は、確認するようにそう言いながら相手を見やって、死刑台広場を包囲するように配備を言い渡した。
分かりましたと答えてすぐに駆け戻っていく俺の同僚を見送ってから、もう一度その顔がこちらを向く。
「おい、ナマエ」
「は、はい」
寄越された声に慌てて返事をすると、一度葉巻の煙を零したスモーカー大佐が、俺を睨み付けたままで言葉を吐いた。
「てめェの取り調べは後でだ。もう逃げたら承知しねェ」
分かったな、なんて言い放って、スモーカー大佐が先ほどの部下の後を追うようにして歩いていく。
小道を出て、曲がっていってしまった相手を見送ってから、俺はそっと自分の胸元を押さえて、長く息を吐いた。
どうやら、首の皮一枚つながったらしい。
中々物事を忘れたりしない大佐殿であることを考えるとただ後回しになっただけのことだが、くだんの海賊がスモーカー大佐を楽しませたなら、今日はどうにか逃れることが出来るかもしれない。
「…………うん、そうだな」
海兵だというのに海賊を応援するというのもおかしな話だが、ちょっとだけ応援しておくことにしよう。
そんな正義の味方にあるまじきことを考えつつ、俺もそっとその場から歩き出した。
そろりと見やった路地にはスモーカー大佐の姿は見えなかったので、とりあえずは先ほどの配備を思い出しつつ基地の方へと戻る。
武器を持って配備場所へ行き、死刑台の広場を包囲する一団に加わった俺は、そこでようやく、自分が生まれてから今までの間に抱いていた疑問に対する答えを見つけた。
ここが紙の上の世界なら、いっそのこと俺の恋心も全部作りものだったらよかったのに。
大雨の中で、死を前にして笑った海賊を見やってそんな風に思ってはみても、俺の恋心は消えないまま。
『麦わらのルフィ』のおかげでスモーカー大佐の尋問がうやむやになったことだけは、まあ良かったことだったのかもしれない。
end
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