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物語の主人公は、 (1/2)
※トリップ主人公はスモーカーさんの部下



 空を飛ぶ機械に、海王類のいない海に、グランドラインの存在しない世界。
 俺の生まれて育ったここが、紙の上にしか存在しなかった世界。
 昔からの自分の中の『記憶』が『本当』のものなのか、ずっと確かめたかった。
 そしてもしも本当にここが作り話の世界だったなら、いっそのこと。

「あの……ナマエさん、少しよろしいですか?」

「え?」

 窺うように声を掛けられて、俺は書類へ向けていた視線を上げた。
 見やった先には黒髪で眼鏡の我が同僚がいて、歳も近いのに敬語を使ってくる相手に笑う。

「どうかしたのか、たしぎ」

 言葉と共に掌を向けるのは、近寄ってこようとした彼女の足をとどまらせるためだ。
 俺の仕草に動きを止めたたしぎの前でペンを置いてインク壺のふたを閉じて、それから書類を纏めて端に寄せる。
 何度もドジを目の前で踏まれている俺の対策はいつものことなので、たしぎは何も言わず俺の様子を見守ってから、俺が動きを止めたところで口を動かした。

「その……スモーカーさんを許してあげてくれませんか?」

「へ?」

 そうして寄越された、まるで意味の分からない一言に、思わず変な声が出た。
 ちょっと恥ずかしくなって口元を軽く隠してから、何の話だ、とたしぎを見やる。
 しかし、どことなく天然な部分のある彼女はとてもまじめな顔をして、私が口を出していいのかは分かりませんが、と呟いた。

「ナマエさんを怒らせてしまっていること、私からも謝ります。ですから」

「いや……いや、ちょっと待ってくれ」

 ずい、と体を寄せながら放たれるたしぎの言葉に困惑ばかりが浮かんで、相手との距離を取るように身をよじりながら、俺はひとまずそう言葉を置いた。
 落ち着いてくれと目の前にある細い肩を叩いて、こちらへ覆いかぶさりかねない距離の彼女の体を軽く押しやる。
 それでどうにか姿勢を戻してくれた相手についていくように椅子へ座り直してから、俺はたしぎへ言葉を投げた。

「何で急に、そんなことを言うんだ」

 たしぎが『スモーカーさん』と呼ぶのは、俺と彼女の直属の上官である煙人間のことだ。
 海軍という大きな組織の中でも確固たる自己をもち、弱者を助けて悪い相手を退治するスモーカー大佐の顔を思い浮かべてみるが、やはりたしぎの言葉と彼はつながらない。
 『許してやってくれ』だなんて言われても、元より俺は彼に怒っている覚えすらない。
 何か誤解をしていないかと見やった先で、でも、とやはり真剣な顔のままでたしぎが言う。

「ナマエさん、スモーカーさんのこと避けているでしょう?」

 すごく気にしてらっしゃるんですよと寄越された言葉に、ひやりと背中が冷えたのを感じた。







「……あ」

 ふわ、と漂った葉巻の匂いに反応して、『見回り』なんて名目で歩き回っていた足を止める。
 それから視線を向けると、いつものように口に咥えた葉巻の煙をなびかせて、俺達の上官が道を歩いているところだった。
 煙人間らしく葉巻を好むらしいスモーカー大佐は、どこからどう見てもいつも通りだ。
 やっぱりたしぎの勘違いだったんじゃないだろうかと、先程の彼女の言葉を思い出しつつ首をひねる。
 しかし、今執務室へと戻っても帰還した同僚殿に首尾を聞かれるだけだと分かっているので、俺はとりあえず大佐殿の方へ向けて歩みを再開させた。

「スモーカー大佐」

 呼びかけると、たっぷり二拍以上を置いて、足を止めた相手が振り返る。

「……あァ、ナマエか」

 普段と変わらぬ顔のまま、その口が紡いだ自分の名前に何となく拍子抜けしながらも、俺はどうにか相手へと近寄った。

「見回り中ですよね、お伴します」

 必死になって笑顔を向けてそう言うと、こちらを見やったスモーカー大佐がゆるりと視線を外す。
 彼はそのまま歩き出したが、不要だ帰れとは言われなかったので、俺は相手の一歩後方を歩くことにした。
 時々市民がスモーカー大佐に声を掛けて、大佐がそれへ返事をする。
 スモーカー大佐は愛想が良くないが、彼が優しいことくらい、ここへ配属されてから時間が経った今は市民たちの方だって理解しているのだ。
 すぐ目の前にあるその背中を見やって、歩くスモーカー大佐が吐き出した煙が時々顔にぶつかるのも気にせず、そのまま相手の少しだけ後ろを歩く。
 たしぎの勘違いなんじゃないかと思うくらい、スモーカー大佐はいつも通りだ。

「…………」

 ふう、と小さく息を吐いて、俺は少しばかり大佐殿から視線を外した。
 見回した街並みは平穏そのもので、どこもかしこも笑顔が溢れている。
 海賊達が立ち寄ることも少なくはないこの島で、それでも市民たちがみんな安心しきった様子で過ごしているのは、まず間違いなくスモーカー大佐の尽力によるものだろう。
 部下として、そのことがすごく誇らしい。
 それと同時に、強くたくましく格好いい相手に抱いた感情が、わずかに胸を切なくさせた。
 最初の頃は、『知っている』顔だと気付いて近寄っただけだった。
 それからその正義に憧れて、ついていきたいと強く希望して部下になった。
 そんな俺が、目の前の上官を『好きだ』と気付いたのは、つい二ヶ月ほど前のことだ。
 珍しく酒を過ごしたスモーカー大佐を家へ連れて帰って、酔って眠ってしまっていた相手に吸い寄せられるようにキスをしてしまった。
 自分がしでかしたことの重大さに気付いたのは酔いが醒めた後で、あれから中々顔が合わせづらくてたまらず、確かに少し避けていたかもしれない。
 眠っていたし、起きてからも態度の変わらなかったスモーカー大佐は絶対に気付いていない筈だが、確かに俺はあれから挙動不審になっていたし、いくら何でもおかしく思われただろう。
 してしまったことの取り返しはつかないのだから、無かったことには出来ない。
 かといって、洗いざらい話してフラれる心の準備もまた、出来てはいない。

「おい、ナマエ」

 どうしたものか、なんて悩みながら足を動かしていたら声を掛けられて、慌ててそちらへ顔を向けた。
 いつの間に角を曲がっていたのか、俺が通り過ぎ掛けた小道に佇んでいたスモーカー大佐が、じろりとこちらを見ている。
 『供』を申し出ておいてはぐれるところだったことに気付いて、俺も慌てて同じ小道へ曲がり込んだ。

「申し訳ありません」

 駆け寄って謝ると、ふん、と軽く鼻を鳴らしたスモーカー大佐がまた先に歩き出す。
 それを追いかけて足を動かしていた俺が、ふとおかしいと気付いたのは、更に二回ほど角を曲がった時だった。
 曲がれば曲がるほど狭くなっていった道には、人通りもまるでなく、『見回り』には向いていない。
 そして何より、最後に曲がった小道の先は壁で、いわゆる袋小路という奴だったのだ。

「……あの、スモーカー大佐?」

 この島へ赴任して長く経つが、もちろん町の小道の全てを把握しているとは限らない。
 もしや迷子なのか、と思わず視線を向けた先で、足を止めたスモーカー大佐がこちらを振り向く。

「うわっ」

 そしてそれと同時に伸びてきた手に胸ぐらをつかまれて、ぐいと引き寄せられた。
 慌てて抵抗しても間に合わず、自分と相手の位置を入れ替えられて、押しやられた背中が壁に触れる。
 俺だって小さい方では無いのに、スモーカー大佐が俺の胸ぐらをつかんで持ち上げるようにしているせいで、つま先が地面につくのがやっとの状態だ。
 苦しさを感じてその腕を掴みながら、俺はただ困惑して目の前の海兵を見やった。
 こちらを睨み付けているスモーカー大佐は、まるで海賊を相手にしているかのような怖い顔だ。
 何かしでかしてしまったのかと、ばくばくと不穏に跳ねる心臓を抱えたままで相手を見やっていると、やや置いて葉巻を咥えたままの唇が言葉を紡いだ。



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