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 既に慣れた屋敷の中をこっそりと移動して、俺が向かったのは使用人たちが自分の調理に使っている調理室の一つだった。
 この時間帯なら、ここが一番人通りが少ないだろうと判断したからだ。
 さすがに高級食材などは置かれていないが、粉と水とわずかな食材があれば大丈夫だろうと確認して、調理場の戸を閉め、適当に調理を行う。

「なれていやがるな」

 部屋で待っていていいと言ったのに、なにをいれるかわかったもんじゃねェと相変わらずの用心深い発言をしてついてくることを示したクロコダイルは、俺の手元が見える位置に置いた椅子に座ってこちらを睨み付けていた。

「まあ、母親もいなかったからな」

 買うことを除けば、自分が食べたいものは自分で作るか誰かに作らせるかの二択しかないのだから、出来るようになるのも当然のことだ。
 今はもういない親父にしか振舞ったことが無く、案外俺のことを大事にしてくれていたとは言え、そこそこ辛辣だった親父から『不味い』と言われたことはないので、そう壊滅的な腕ではないと思う。
 俺の発言に対して、クロコダイルはふんと鼻で笑っただけだった。
 今のその体は、クロコダイルが俺のクローゼットから掴まえて出した小さめのシャツの下に、とりあえず俺がクローゼットから引っ張り出した一番細身のズボンを着用し、無理やり裾をめくっている状態だ。
 食事が終わったらやっぱり服を用意しようと俺は言ったのだが、『おれにダレがきたかもわからねェふくをきせようってのか』と高い声で唸られてしまったのでどうにか出した妥協策である。
 俺の服なら着てもいいのかと尋ねたいところだったが、さすがに怒ったクロコダイルが全裸になる可能性を否めず、口から出さなかった俺は賢明だったと思う。
 粉を卵と水で溶いたものに食材を絡め、熱したフライパンで適当に焼いたそれを皿へと重ねる。
 二皿用意したものを用心深いクロコダイルの前へ差し出すと、やや置いてクロコダイルが片方の皿を指差した。
 それを見て、すぐ近くのテーブルへクロコダイルが指差した方を置き、少し離れたところにもう一皿を置く。
 それから空いた両手でクロコダイルの座っている椅子を掴まえて、上に乗っている小さな体ごとそれを動かした。

「誕生日にこんなもので悪いけどな。ほら、温かいうちに食べればまだ食べられるぞ」

 金に飽かせていいものを食べているだろうクロコダイルの舌に合うかは分からないが、とりあえずそう言ってからフォークを差し出す。
 クロコダイルの小さな手がそれを受け取り、微妙な顔で無造作に盛られた料理を眺めた。
 それを横目に自分も椅子へと座って、小さなテーブルの上で向かい合わせになりながら、クロコダイルが選ばなかった方の皿を引き寄せる。
 顔に突き刺さる視線を感じながらとりあえず一口を口に運ぶと、昔よく作っていた懐かしい味が口の中へと広がった。
 温かなそれを咀嚼したところで視線を向ければ、ごくりと喉を鳴らして口の中身を飲みこんだ俺を見て、クロコダイルのフォークが恐る恐ると言いたげに皿の上のものをつつく。

「どうだ?」

 ちぎれたそれを口へ運んだクロコダイルへ尋ねるが、クロコダイルは答えない。
 しかし、吐きだしたりはしないようなので、まあ口に合ったと考えていいだろう。
 ビジネスの傍ら、幾度か食事に誘ったこともある。その時に考えたのと似たようなことを考えて食事を進めつつ、皿の上の半分ほどを片付けたところで、そういえば、と声を漏らした。

「アンタに頼みがあるんだが」

「……」

 言葉を放ちつつ目を向けた先で、クロコダイルが頬を膨らませたまま、じろりとこちらを睨む。
 小さな子供の視線を受け止めて、俺はそのまま言葉を紡いだ。

「ちょっと帰らせてくれ」

 俺の言葉に、クロコダイルの動きが止まる。
 それから、数秒を置いて殆ど予備動作もない動きで直線的に飛んできたフォークを俺が掴むことが出来たのは、攻撃を予想していたからだった。
 クロコダイルが元の姿だったなら追撃もあっただろうが、どうやら能力の使えなくなっているらしいクロコダイルからはそれもなく、ただ小さな拳がいらだたしげに机を叩く。

「にげようってのか、ナマエ」

 その代わりに低く唸られて、いやそうじゃない、と答えながらフォークを自分の皿の端へと置いた。

「いい加減、けじめをつけに行こうかと思ったんだ」

 俺がクロコダイルに『誘拐』されて、どのくらい経っただろうか。
 その間、俺の部下とのやりとりは片手で数えられるほどしかなされていない。
 おかしな方向へ進みかけていたのを無理やり軌道修正させた時ですら、クロコダイルは俺を屋敷から出さずに、自分の部下を使った。
 今のところ、俺がいた時と変わらない状態に落ち着いているようだ。
 悪いことをしていた親父が殺されてから、ずっと俺がその椅子に座ってあれこれと立ち回ってきていたが、もう俺だってあいつらには不要だろう。
 このまま放っておくことも出来るが、やはり社会人としては、最後の挨拶くらいしたいものだ。
 そんなことを考えた俺の向かいで、怪訝そうな顔をしたクロコダイルが、小さく舌打ちをする。

「ツブしてやろうか」

「やめてくれ」

 何を、とも言わずに紡がれた言葉に感じた『本気』に、とりあえずはそう返事をした。
 正式に引き継ぐだけだ、数日もかからないと思うと言葉を紡いで、片手で軽く自分の服を探る。
 しかし目当ての煙草やライターは見つからず、そういえばベッドわきのテーブルに置いてきたな、と思い出した。

「俺がいなくなってもやっていけるようだし、これを機に離れようと思う。元々向いていないんだ、俺は」

「むいてねェだと? わらえねェジョウダンだ」

 吸えないとなると余計に気になってきたが、さすがに煙草を取りに行くことが出来るわけでもなく、とりあえず我慢してクロコダイルへ視線を向ける。
 俺の言葉に呆れたような声を出したクロコダイルは、相変わらず俺のことを買い被っているようだった。
 そういえば、部下達もそうだ。ただ少し戦略的に動かせたりだとか、手を回すことがうまくいっていたからといって、まるで俺を悪事のエキスパートのように言われても困る。
 俺はただ、自分や身内や『特別』な一人以外がどうなろうと気にならないだけで、ひどいことを率先してやったりはしていない。
 俺を眺め、それから片手を自分の口元へやってそこに無い何かに触れようとしたクロコダイルは、腹立たしげにもう一度舌打ちを零した後で、そのまま手を降ろして言葉を紡いだ。

「そういや、インキョしてェとかぬかしていやがったな」

 いつだったかの俺の発言を拾ったクロコダイルが、それからこちらを睨み付ける。

「それで、『ヒキツギ』をして、それからテメェはどうする?」

 そのまま逃げるつもりなんだろうと詰るように続いた言葉に、俺は軽く肩を竦めた。

「そうだな、その後はアンタに雇ってもらえないかと思ってるんだが」

 部下の募集はしていないか、と言葉を紡いだ俺の前で、ぱち、とクロコダイルが瞬きをする。
 予想外の台詞だったのか、丸く見開かれた目がその顔立ちを更に幼くさせていて、本当にただの子供のようだった。
 可愛らしいそれを眺めながら、俺は更に言葉を重ねる。

「そんな状態なのに会いに来てくれたってことは、少しは頼りにしてくれているってことだろう?」

 俺の知る限り、『サー・クロコダイル』というのは用心深い海賊だ。
 ビジネス相手でしかなかった俺のところへ来た時だって、隙は殆ど見せなかった。
 いくら予想外の出来事が自分の身に降りかかったからと言って、誰かを頼ろうとするような男ではないことくらい知っているし、能力も使えない弱体化した体を、わざわざ俺の前へ晒している。
 服装を整えられなかったのは、恐らくはそれを命じるべき部下にすら自分の姿を晒さなかったから。
 ひょっとしたら今頃クロコダイルの部下は、姿を消した上司を探して右往左往しているのかもしれない。
 常時傍にいるわけでも無い俺のところまでやってきたクロコダイルを見つめて微笑むと、クロコダイルの顔が更に険しくなった。
 しかし否定を寄越さない相手へ、先程投げられたフォークを差し出す。

「頼ってくれるのは嬉しいしな。少しは役に立てると思うんだが、どうだ?」

 もはや記憶も遠く、しっかりと覚えていないことも多いが、俺はクロコダイルの『未来』を知っている。
 あの平和だった『前世』で、この世界が記された『漫画』を読んでいたからだ。
 経緯をはっきりと覚えているわけじゃないが、結論として、クロコダイルの野望は『主人公』によって打ち砕かれる。
 それを阻止できるとは残念ながら思えないが、クロコダイルが俺を雇ってくれるなら、俺はその野望を遂行出来るよう尽力するつもりでいる。
 さすがに部下を巻き込むわけにはいかないから身一つでの申し出だが、つながりの全部を絶つ予定はないので、少しはあちらとのコネクションの材料としても使えるだろう。
 いつも俺の用意していた『オマケ』を叩き返しはしなかったクロコダイルへ笑いかけると、やや置いて伸びてきたクロコダイルの手が、俺からフォークを受け取った。
 もう一度投げてくるかと思ったが、握り直しただけでそんな行動をとる様子も見せないまま、クロコダイルの両目が自分の前の皿を睨み付ける。
 そこにはまだ俺が用意した料理が半分ほど残っていて、そろそろ冷めてきているだろうそれがクロコダイルを見上げていた。

「たよられりゃあ、ダレでもいいってのか」

「ん? いや、アンタくらいだな、こんな風に思うのも」

 失敗をしでかした部下に泣きつかれることは時々あったが、仕方ないが次やったら許さないと言い含めていたし、ああやって頼られるのは煩わしいことでしかなかった。
 クロコダイルに対してそのわずらわしさを感じないのは、間違いなく、目の前の相手が俺の『特別』だからだ。
 引退すると言えば部下達は嘆き引き止めようとするだろうが、クロコダイルの元へ行くのだと言えば仕方なく認められることも分かっている。向こうでは、俺がクロコダイルを贔屓しているのは丸わかりの状態だったのだから仕方ない。
 自分が俺にそんな扱いを受けているなんて知らないんだろう、体だけが幼くなったクロコダイルが、皿からこちらへ視線を戻した。

「フラミンゴやろうはどうだ?」

「フラミンゴ?」

 そして突然出された鳥類の名前に、ぱち、と瞬きをする。
 フラミンゴというと、あの桃色の羽毛を持つ鳥のことだろうか。
 鳥の類が好きだと思ったことは、ほとんどない。
 食べ物としてなら別だが、まずフラミンゴと言うのは食える生き物なんだろうか。
 動物なら鰐が好きだな、なんてことを雑談にまぎれて言った覚えはある気がするが、それとこれは今関係ないだろう。
 何の話だろうかと首を傾げた俺の前で、三度舌打ちを零したクロコダイルが、乱暴にフォークを皿の上の食事へ突き立てる。

「……おれがもどったら、だ。ついていってやる、コウエイにおもえ」

「ああ、わかった」

 どうやらまだ『逃げない』とは確信を持てないらしいクロコダイルに、俺はただ笑って頷く。
 それから、そうだ、と呟いて言葉を続けた。

「その時までに誕生日プレゼントを考えておいてくれ」

 いつもはサプライズだが、たまにはクロコダイルがほしいものを買うのもいいだろう。戻るのなら、自由になる金だっていくらかは用意できる。
 さすがに国一つは買えないが、彼の誕生日を祝って用意したい気持ちは本物だ。
 そんな気持ちでの俺の言葉に、ばく、とフォークの先のものに噛みついたクロコダイルが、しばらく口の中身を噛んでから呟いた。

「……ほしいモンはてにはいった。いまのところはなにもねェ」

「? そうか」

 妙に無欲なその言葉に、軽く頷く。
 一体、クロコダイルの欲しいものと言うのは何だったのだろう。
 俺がそれを用意出来たらよかったのに、と少しだけ思ったが、そんな無い物ねだりをしても仕方のないことくらい分かっていたので、俺はそれを口には出さなかった。





 


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