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終幕の始まり (2/2)

「よう赤犬、久しぶりじゃねェか!」

 からからと、楽しそうに海の屑が笑う。
 赤い髪を惜しみなく太陽の下に晒した『四皇』が、軍艦より幾分低い場所からサカズキを見上げていた。
 親しげな友人のような口を利く相手に、サカズキは拳を握る。
 突き上げたその手から飛び出した溶岩が、砲弾のようにレッド・フォース号の傍らへと落下して、高波が小さな船を襲った。
 しかし憎たらしいことに操舵手がうまく波をいなしたらしく、気にした様子もない相手が肩を竦める。

「何だよ、挨拶の返事くらい寄越したっていいんじゃねェのか?」

「……海の屑にくれてやる挨拶なんぞ、ありゃあせん」

 舌打ちしながら唸ったサカズキへ、そう言うなよと海賊が笑う。
 赤髪の二つ名を持つこの海賊は、とにかくよく笑う男だった。
 サカズキにとっては憎たらしいものでしかないが、人をひきつけやすいらしいその笑顔に引き寄せられた船員たちは、少数ながらも精鋭ぞろいだ。
 かつては海賊王と呼ばれた男の船に乗っていた海賊と遭遇したのは偶然だが、だからと言ってサカズキに相手を逃がしてやるつもりは毛頭ない。
 ただの帆船より早く進む海軍の軍艦から簡単に逃亡できないことなど分かっているのだろう、迎え撃つように船首を向けてサカズキに対峙している海賊が、相変わらずだなァ赤犬、とやはりまるで親しい相手に言うような言葉を放って、それから、ああそうだ、と続ける。

「ナマエは元気か?」

 そうして紡がれた言葉に、サカズキはわずかに目を見開いた。
 海賊が口にしたその名前は、サカズキの耳がおかしくなったわけではければ間違いなく、今は本部にいるサカズキの部下の名前だった。
 サカズキを慕い、必死にサカズキについてくる、あの男のものだ。
 しかし、どうして赤髪がその名前を知っているのか。
 まさか、サカズキの知らぬところで対峙したことがあるとでもいうのか。
 そんな報告は受けた覚えが無い、と沈黙したまま視線を向けたサカズキへ、軽く首を傾げた赤髪が、笑顔のままで言葉を続ける。

「アイツおれんところから出たっきり手紙の一つもくれねェからよォ、心配してんだ。虐めてねェか?」

 さすがに虐めてたらおれだって怒るぞと、そんな風に続く言葉はまるで、ナマエの保護者ででもあるようだった。
 その言葉に秘められた意味に気付いて、サカズキの眉間にしわが寄る。
 すなわち赤髪のその言葉は、『ナマエ』という名前の海賊がかつてレッド・フォース号に乗っていたと言うことだ。
 強く握りしめた拳がぼこりとマグマを零し、足元を焦す。
 サカズキの能力が周囲に影響を与える以上、離れているように言い渡してあった部下達のうちから、サカズキ大将、と焦ったように言葉が投げられた。
 遠いそれを放っておいて、強く握った拳を相手へ向け、サカズキが低く唸る。

「……その話ァ、その両足消し炭にしたってから、改めて聞いちゃるわ」

「怖いこと言う奴だなァ、本当に」

 苛立ちもあらわに唸ったサカズキに、赤髪はただ笑い、相手の船が旋回し始める。
 逃がすか、と怒鳴ってサカズキがマグマを降らせたのが、その日の海戦の始まりだった。







 結局、赤髪には逃げられてしまった。
 苛立ちと共に海軍本部へと戻ったサカズキがその手に触れたのは、いつだったかの部下からの『贈り物』だった。
 サカズキの手に合わせた大きさのそれは、ナマエがサカズキの誕生日にと手渡して来たものだ。

「…………」

 見つめて、何とも言えぬ気持ちのままそれを握りしめ、サカズキはわずかに息を吐く。
 何かが、酷くサカズキの胸をかきむしっていた。
 あんなものは『海の屑』の戯れだ。真実ですらないかもしれない。
 誰かに言い訳をするように頭の中でそう言葉を回す己と、そんな自分を否定する己がいる。
 サカズキにとって、海賊と呼ばれる海の屑とは、すなわち悪だった。
 それ以外の、世界政府の定めに逆らうもの、サカズキの感じる『悪』を幇助するもの、敵対以外で関わったものも全てがすべからく『悪』だ。
 そうだとするならば、もしもナマエが『赤髪のシャンクス』と友好的にかかわったことがあるのだとすれば、彼もまたサカズキには受け入れられない『悪』だった。
 もしそうだとすれば、サカズキは彼を殺さなくてはならない。
 『絶対的な正義』を掲げるサカズキの元に、海賊を置いていられる筈がないのだ。
 強く握りしめるうちに指から漏れたマグマが、じゅう、とサカズキの手にあった万年筆を炭にする。
 それと共に、足元から漏れたマグマが同じように傍らにあった執務机を焼き、じゅうじゅうと派手な音を立てながら消し炭にした。
 室内に熱気が満ちたが、マグマ人間であるサカズキにとっては気にもならない。
 手元に残ったものを足元へ捨てようとしたところで、三回扉を叩かれた。
 それを受けてサカズキが視線を向けると、扉の外に人間が言葉を放つ。

「ナマエです」

 聞こえたその名前は、サカズキが本部へ戻ってすぐに呼びつけた部下の名前だった。
 入れ、とサカズキが命じると、数秒を置いて扉が開かれる。
 そうして現れた相手は、戸惑ったような顔をしてサカズキを見つめた。

「…………あの、大将? どうかなさったのですか」

 不思議そうにそう尋ねるのは、サカズキが未だに能力を発露していて、傍らの執務机が焼け焦げているからだろう。
 振り向いたサカズキの手からぽろりとただの燃えカスになった万年筆が落ち、ちら、とそれを目で追った後で足を動かしたサカズキが、やってきた部下へと近付く。
 手を伸ばせば簡単に相手を殺せる位置でようやく足を止めてから、低く、唸るようにサカズキは声を漏らした。

「…………ナマエ、おどれ、海賊だったんか」

 低く唸るその声音に、ナマエはわずかに目を見開いた。
 そして、それこそがサカズキに対する答えだった。







「待たんかァ、ナマエ!」

 割れた窓の向こうへ怒鳴り声を上げたサカズキを振り返りもせずに、小さな背中が逃げ出していく。
 戸惑うように周囲の人間がナマエを見送り、それからサカズキを落ち着かせようと慌てて右往左往していた。
 誰もかれもナマエの正体を知らないからこそのそれに、サカズキは鋭く舌打ちをする。
 今すぐ追いかけて殺してやりたいが、まだ指名手配の一つもされていないナマエを公に殺しに行こうとすることは、恐らくサカズキの上官である海軍元帥が良しとしないだろう。
 海軍には、海賊が身内にいる人間も幾人かいる。
 サカズキには認めがたいことだが、同じ『海兵』として彼らを扱うのは、大元を辿れば海軍元帥なのだ。サカズキが感じた『罪』をどれだけ相手へ述べたとしても、そこでナマエが弁解すれば恐らく海軍元帥はナマエを監獄へぶち込むだけに違いない。
 そんなことは認められないのだと、サカズキは強く拳を握った。
 ナマエはサカズキの直属の部下だった。
 サカズキにどれだけの課題を積まれても逃げ出さず、サカズキの為に尽くしていた男だった。
 それのどこまでが演技でどこからが演技でなかったのかなど、サカズキにとってはもはやどうでもいいことだ。

『貴方の傍にいたかったから、海軍に入りました』

 ナマエは、サカズキの手にかかることを拒んだ。
 いつだったかの質問の返事のような言葉を口にしながら、それでも逃げ出したナマエは、つまりサカズキを裏切ったのだ。
 その事実に苛立つ胸の内がわずかに軋んだ理由など、どうでもいい。
 最後に見せた微笑みの意味ですら、今はもはやどうでもいいことだった。
 煮えたぎるマグマが溢れ、わあだのぎゃあだのと騒がしく海兵達が声を上げる。
 それらを無視して走り去った裏切者が見えなくなるのを見送るしかなかったサカズキが、ナマエにいくつかの罪を着せて賞金首へと仕立てあげたのは、それから数日のうちのこと。
 その手で始末をつけるがためにサカズキがナマエを追うようになったのは、それからだった。


end



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