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ラブネスト (2/2)


「おれに合わせて色々買わなくていいって言ってんでしょうや」

 そんなことを考えながら呟いたクザンに、向かいでナマエが首を傾げた。
 それから、クザンがどれに対して言っているのかを把握したのか、ああ、とその顔に笑みが浮かぶ。

「買ったんじゃないですよ、作ったんです」

「作った?」

「最近、窯元のおじいちゃんと仲良くなったんですよー」

 好きなの作らせてくれるって言うから作っちゃいました、なんて言い放ったナマエに、クザンはぱちりと目を瞬かせた。
 好きなの、と彼の言葉を繰り返して、それからその目が自分の前に置かれている湯呑へと向けられる。
 それから伸ばした手で掴んだそれは、まるで計ったようにクザンの掌にぴったりだ。
 温かな湯気を零す中身をしげしげと眺めるクザンの向かいで、ナマエが軽く自分の飲み物を啜る。

「クザンさんにいいサイズのやつ、お店に置いてなくって」

 すごく探したんですけど、と続いた言葉に、そりゃそうでしょうや、とクザンは軽く肩を竦めた。
 この島の人間は『平均的』な大きさの人間が多いようだ、ということはクザンも知っている。
 だからこそ、町はずれに作られて中々借り手の無かったこの家を借りることが出来たのだ。
 用意された家を訪れて、ナマエが住むには少し大きすぎないか、と軽く頭を掻いたクザンの横で、『これならクザンさんが来てくれても狭くないですね』と嬉しそうな顔をしていたあの日のナマエのことまで思い出して、クザンは湯呑に口を付けることなくテーブルへ戻した。

「『好きなの』作ったんじゃなくて、『無かったの』を作ったわけね。湯呑が好きなのかと思っちまったよ」

「違いますよ、『好きなの』作ったんですよ」

 肩を竦めたクザンの向かいで、ナマエが首を横に振った。
 ふうん? と声を漏らしたクザンの顔を見つめて、全く照れの見えない笑顔で言葉が続く。

「俺、クザンさんが来た時用のを集めるのが今のところの趣味なんです」

 とても楽しそうに告げられた言葉に、クザンはわずかに間を置いた。
 それから、へえ、とどうにか声を零して、軽く頬杖をつく。

「趣味悪ィね」

「ひどい!」

 心からのクザンの呟きに、ナマエは大きくその身をのけぞらせた。
 しかしその顔は笑っていたので、大きく傷ついたわけでもないらしい。
 どことなく楽しそうなその顔に自身の口元も弛んだのを感じたが、気にせず放置したクザンの向かいで、ナマエの手が湯呑を置いた。

「何から何までお世話になりっぱなしなんだから、ここに来た時はせめて過ごしやすく過ごしてほしいって思っても仕方ないじゃないですか」

「そんなに世話してねェと思うけど?」

 ナマエの前で、クザンは首を傾げる。
 しかし、クザンのそれを冗談だと受け取ったのか、そんなことないですよと笑ったままで呟いて、ナマエはひょいと片手を動かした。

「この家を借りてくれてるのクザンさんじゃないですか。服だって買ってくれたし、治療費払ってくれたし、よく顔見に来てくれるし、俺の故郷のこと調べてくれてるし」

 言葉と共に指を折り曲げ、拳を握った形で降ろして、それに、とナマエは続けた。

「あの日海のど真ん中で、俺のこと助けてくれたじゃないですか」

「…………まァ、海兵だからね」

 クザンの真後ろに突然現れた遭難者へ呟いて、クザンは肩を竦めた。
 そうですね海兵さんですね、と頷き、ナマエは微笑みを絶やさないまま、クザンへ告げた。

「後は俺が渡す金を受け取ってくれたら完璧なんですけどねー」

 『治療費』や『当面の生活費』と言った、クザンの焼いた世話を返そうとするナマエをクザンが拒否したのは、こうやって会いに来るようになって三回目のことだ。
 もう随分と前のことなのに、しっかり根に持っているらしいナマエの向かいで、クザンは『やだよ』と口を動かした。

「おれに渡すより、自分に使いなさいや。自分が稼いだ金でしょうが」

 あの日断った時と同じ言葉を紡ぐクザンへ、そう言うんですもんね、とナマエが呟く。

「だから、ここにいらっしゃったらおもてなしすることくらいしか出来ないんです。俺がクザンさんの使うものを集めるのは仕方ないことじゃないですか?」

 自己を正当化するように言った後、お昼ご飯もよかったらいかがですか? と続けたナマエに、クザンは軽く肩をすくめただけだった。







 こうしてこの春島を訪れるようになって、もう何度目のことだろうか。
 ナマエの顔を見に来るときには資料を持ちこむことをきっかけにしていることが多く、今日もまたクザンは『ニホン』に似た島の資料を懐に忍ばせてきていた。
 いつものように扉を三回叩いて、しかし戻らない返事に、軽く首を傾げる。

「……あららら、留守?」

 向かう時は途中の支部によって電伝虫で連絡を入れているのだが、何処かへ出かけてしまったのだろうか。
 不思議そうに呟いてから伸ばしたクザンの手が扉に触れると、不用心にも鍵がかかっていなかったのか、扉がかちゃりと開かれた。
 その事実にわずかに眉を寄せて、『あとで説教だな、こりゃ』と言葉を呟きながら、クザンはひょいと中をのぞき込む。

「ナマエ?」

 室内へ呼びかけながら、勝手知ったる他人の家へ足を踏み込んだクザンは、すぐに目的の相手を見つけることが出来た。
 いつもクザンが座っている大きなソファに、一人分の人影が沈み込んでいる。
 扉を閉じながら近付いて確認したそれは明らかにこの家に住む青年で、やはりその身には大きい一人掛けのソファにもたれこむようにしながら、すっかりその目を閉じていた。

「…………なんだ、寝てんの」

 思わず呟いて、クザンは軽く頭を掻く。
 青年が眠っているところに遭遇するだなんて、何とも珍しいことだ。
 クザンをもてなそうとするときのナマエは、大体常にせかせかと動き回るか楽しそうに話をしていて、眠りに落ちる暇などない。
 風邪を引かせた時、診療所のベッドの上で見たのが最後だっただろうか。
 そんなことを考えながら、少しばかり身を屈めたクザンは、じっと青年を覗き込んだ。

「ナマエ?」

 名前を呼んでみても、安らかに眠る相手は目を覚ます様子もなかった。
 それを確認してから、伸ばしたクザンの両手がひょいとナマエの体を抱え上げた。
 いつだったか海の上で助けた時より数倍優しげに動いた手に、自分に触れた相手が誰だか分かっているのかいないのか、ナマエがもぞりと身動ぎして、その手がそっとクザンの服を掴まえる。
 子供みたいな相手にかすかに笑い、クザンがそのままナマエを運んだ先にあったのは、ナマエの寝室だった。
 小さなベッドやクローゼットのある部屋はいつもクザンが通される居間へ比べると少し散らかっていて、生活感のあるそこに軽く笑ったクザンが、ナマエの体をベッドへ降ろす。
 それから、服を掴んでいるその手を緩めさせて引き剥がすと、嫌がるように力のこもった掌が、今度はクザンの手を掴まえた。

「あららら」

 赤ん坊か幼児のようにしっかりと指を掴まれて、クザンの口から声が漏れる。
 仕方なく、片手だけを使ってベッドの端にあった毛布を掴まえ、クザンはそれをナマエの体へと覆い被せた。
 それから、力がもう少し弛むまで待ってやろうと、体勢を変えてベッドへ座り込む。
 未だにクザンの片手を捉えているナマエは、クザンがそうやってベッドの上で見下ろしてみても、やはり目を覚ます気配がない。
 安らかで穏やかなその顔は、まるでクザンを信頼しているかのようなそれだった。

「……そんな顔して寝ちまってさ」

 呟き、クザンはあいていた手で自分の膝へ肘を置いて頬杖をついた。

「おれァ、結構打算的な方だと思うんだけど」

 『そんなに無防備に信頼されても困るよ』と、クザンは続けながら軽くため息を零した。
 いつだったかクザンがナマエへ言ったように、確かに海の上で一般人が遭難しているのを見つけたら、救助するのは海兵の務めだ。
 しかし、ただ一人の遭難者の『故郷』を調べるのは、『海軍大将』という肩書のあるクザンが行うようなことではない。
 その上、資料を片手にこうも頻繁に相手の家を訪れるなんてこと、普通はしないだろう。
 資料を届けるなら、郵送してしまえばいい。口頭で連絡したいことがあるなら電伝虫を使えばいい。
 けれどそれをせず、後で追及されないようきびきびと仕事を片付けてから本部を離れるようになったクザンが、こうして手ずから資料を届けに来るのは、今、傍らで眠っている彼の顔を見たいがためだった。
 ナマエはよく笑う青年で、その笑顔がどこの誰より一際まばゆく見えるその理由を、クザンは知っている。
 同性の相手へ抱くには場違いな感情を抱いている。
 わかっていてもやめられないのだから、なるほど、『ハリケーン』とはよく言ったものだ。

「まァ、どうこうするつもりも無いけどさ」

 クザンが抱くのとは別の感情ではあるとは言え、ナマエもまた、クザンのことを慕ってくれている。
 笑顔で迎えてくれるナマエから、その笑顔を奪うことなど出来る筈もない。
 『ニホン』という島がどれほど遠い場所にあろうとも、クザンはいつかそこへナマエを返してやるし、それからも理由を見つけて会いに行こうと決めていた。
 恐らくそんな事実など知らないだろう相手を見下ろして呟き、クザンは仕方なさそうに笑みを浮かべる。
 やがて目を覚ましたナマエが、見下ろすクザンに気付いて変な声を上げながら飛び起きるのは、それから一時間ほど後のことだった。



end



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