ラブネスト(1/2)
※クザンさんと仲良し一般人(無知識トリップ)
年中通して春季候の春島は、相変わらずそこかしこで鮮やかな花が揺れている。
海の彼方からでも見えたその鮮やかさの中に足を踏み入れて、自転車をひょいと持ち上げたクザンは、それからちらりと後ろを見やった。
クザン一人分ほど低い場所にある海面からこの陸地までクザンを運んだ氷が、穏やかな日差しの中にひやりと冷気を零す。
『帰る』頃には溶けて消えているだろうそれを軽く蹴飛ばして海側へ倒してから、改めて周囲を見回したクザンは、慣れた道のりを歩き始めた。
両側に花畑の広がる細い道を歩いていけば、クザンより大きな背の高い木々の茂る傍らに置かれた家が見えてくる。
辿り着いたそこでようやく自転車を地面へ降ろして、クザンは改めて家を眺めた。
「……やっぱ、でかすぎたかね、どうも」
クザンの目の前にあるその家は、クザンの身長に合わせたかのような大きさだった。
同僚達も肩を並べる大きさであるがゆえに忘れがちな事実だが、クザン自身、自分が『大きい方』に分類されることを知っている。
そして当然、この家に住む『相手』は一般的な大きさであるがゆえに、明らかにこの家の大きさは不釣合いだった。
しかし、それも仕方のない話だろう。この家はクザンが用意したのだ。
そこまで結論を付けてから、まあいいか、とわずかに浮かんだものを全てよそへ放り出し、クザンの手が目の前の薄い扉を三回叩く。
「はーい」
それへ中から返事が寄越され、『今行きまーす』と続いた言葉と共に誰かの足音が近づいた。
のぞき穴の一つも無い薄い扉が不用心に開かれて、ひょいと顔を出した相手が、あ、と声を漏らして笑顔を浮かべる。
「クザンさんだ」
「久しぶり」
「そーですねェ」
変わらないですねお元気でしたかと笑いながら尋ねてくる相手に、そっちも変わりなさそうだね、と答えたクザンの顔にも笑みが浮かんだ。
それを見あげた青年が、すぐに扉を大きく開き、その掌で室内を示す。
「ここじゃなんですし、どうぞどうぞ」
「それじゃ、お邪魔するか」
「はい、一名様ごあんなーい」
一人で住んでいる家の中へ言葉を放った相手に、『誰に言ってんの』と笑いながら、クザンは招かれるままに家の中へと入り込んだ。
相変わらず背の高い天井は、クザンが佇んでも問題の無い大きさだ。
だからこそ当然、クザンの三分の二も無い青年にとっては扱いづらい家だろう。
しかし、クザンの見る限り家の中は綺麗に片付いていて、どうぞどうぞ、と促されて座った一人掛けのソファもクザンに合わせた大きさだった。
「最近、何か不都合なこと無い?」
「いえ、全く。クザンさんが来るようになってから海賊が来る頻度が減ったって、町の人達も喜んでました」
柔らかなそれへとりあえず腰を降ろして訊ねたクザンへ、青年がそう返事をする。
そう、と頷いてから、クザンの手が懐から『今日の用事』を取り出す。
「はい、これ」
「あ、ありがとうございます」
出された紙束の袋を受け取って、青年は軽く頭を下げた。
それを持ったまま、お茶淹れてきますね、なんて言葉を放って、キッチンの方へと歩いていく。
クザンに比べて明らかに小さいその背中を見送って、やれやれ、とクザンは溜息を零した。
※
クザンが『ナマエ』と名乗った青年を拾ったのは、クザンが『海軍大将』と言う肩書を得て少ししてからのことだった。
己の能力を活かし、一人で自転車を漕いで海を渡っていたクザンの後ろで、本来なら波間に溶けて消えていくはずの彼の作った『道』が、唐突に破壊される音がしたのだ。
それを聞いて振り向いたクザンは、海の上に細く伸ばした氷の道が二つに分断され、そしてそれを行っただろう位置にぷかりと浮かんでいる人間の姿を発見した。
『……あららら、ちょいと、大丈夫?』
自転車を降りる為に足元の氷を厚くして、それによって相手が氷づく前にと自転車を放って手を伸ばしたクザンが掴み、持ち上げた相手は、海水まみれのままげほげほとせき込んでいた。片手が腹を押さえているのは、クザンが作った『道』を破壊した部位であるからだろうか。
濡れた体が凍ってしまっては寒いだろうと、とりあえずは相手を持ち上げたまま、青年が立てるよう足元の氷を広げながら、クザンは軽く首を傾げた。
どこからともなく飛んできたか落ちてきたとしか思えないその青年は、海にはあまりふさわしくない恰好をしている。
青いシャツに白いベストを着込んで自転車を漕いでいるクザンが指摘していいものなのかは分からないが、海水まみれのスーツもシャツも撥水性が悪そうで、水場にはまるで向いていない。
そんなことをクザンが考えている間に、ようやく息を整えたらしい相手が海水まみれの顔を拭い、クザンが服を掴んで持ち上げていることで浮いている己の足元とその下に広がる白い氷を見やり、そこからクザンのつま先を辿ってクザンの方へその視線を向けた。
『…………うわ、でかっ』
びくりと体を震わせてクザンを見ながら言い放った彼は、どうも普通の青年のようだった。
※
『どうしてここにいるのか分からない』。
ナマエが放った言葉が嘘でないとするのなら、ナマエは恐らくこの偉大なる航路のどこかの不思議に巻き込まれた哀れな一般人だろう、というのがクザンの見解だった。
クザンとて、海の全てを知っているわけではないのだから、ナマエの語った名前の『島』が無いとは言い切れない。
ただ、ナマエの語る海は海雲ではなくクザンのよく知る海と同じ筈なのに、そこにはクザンの知らない平穏が広がっていて、もしかすると偉大なる航路以外の場所からやってきてしまったのかもしれない、とクザンは考えていた。
海賊もいなければ海王類や巨大すぎる海獣もいない。悪魔の実もないと言ったナマエは、クザンが物を氷結させる様子にとてつもなく驚いておかしな悲鳴を上げた。
『うわ! すっげ、すごいですねお兄さん……!』
『……そう?』
畏怖の目や憧れを向けられることには慣れたが、まるで手品でも見るように煌めいた目で見られたのは久しぶりで、何となくくすぐったくなったクザンが面倒臭いながらも強請られるがままに海を凍らせた氷像づくりの時間は、体の濡れていたナマエがくしゃみをするまで続けられた。
更には震えられ、うっかりと熱まで出させてしまったクザンが慌ててナマエを連れてきたのは一番近かった春島で、それからナマエはそこに住んでいる。
クザンが適当に選んで連れてきた近隣支部の海兵によって『遭難者』としての手続きは終わっているが、今のところ、ナマエを捜している誰かはいないらしい。
それならばと、ナマエの語った『ニホン』という島を探し、ナマエが語る季候や状態に近そうな島の情報を入手しては持ちこむのがここ半年のクザンの仕事だった。
どれもこれも『ニホン』にはかすりもしないようだが、そのうち見つかるだろう。
「粗茶ですが」
ことり、と音を立てて、クザンの前に湯呑が置かれる。
クザンの大きさに合わせたサイズのそれを見やり、それからクザンはちらりともう一つの湯呑を手に向かいへ座った相手を見やった。
先程の資料はキッチンに置いてきたのか、湯呑しか持っていないナマエの手元のそれは、ナマエに合わせた大きさのものだ。
またか、と把握して、クザンは少しばかりため息を零した。
ナマエが住まうこの家は、クザンが適当に見繕ったものだった。
家賃はクザンの懐から出ている。
町はずれの一軒である上、『海軍大将』が声を掛けたせいでか家主はとても好意的で、その金額はクザンに言わせれば微々たるものだ。
しかし、当面の生活費も面倒見たせいか、ナマエは妙にクザンへ尽くそうとしてくれている。
クザンが座るソファや、目の前に置かれたテーブルも、ナマエが使うには少し大きいものだ。
この家を借りた時にあった家具は端に寄せられたり片付けられたりしてしまって、来るたびどんどんクザンに合わせたものが増えていると、クザンはすでに気が付いている。
大きすぎる食器にソファ、踏み台が必要になる高さの本棚やクザンが横になれそうな長椅子など、ナマエの体で使うには少し不都合のあるものばかりだ。
『元の場所』へ戻るまでの間とはいえ、この島で暮らしていく以上、ナマエはもちろん仕事に就いているし、稼いだ金をどう使おうとナマエの勝手ではあるが、たまにしか訪れない人間の為にあれこれと物を買わなくてもいいのではないだろうか。
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