蜉蝣の恋 (1/2)
※微妙に名無しオリキャラと子ベビー5
死んだと思ったのに、目が覚めたら全く知らない場所にいた。
『…………は?』
思わず口から変な声が漏れてしまったのは、自分がどこかの冷たい路地裏に倒れていて、すぐ横で人が死んでいたからだ。
血まみれのそれの濁った眼が首ごとあらぬ方向を向いていて、恐ろしさを通り過ぎて何だかフィクションの世界に紛れ込んだかのようだった。
生臭い鉄錆ににた匂いがあたりに満ちていて、湿った路地のかび臭さと相まって息を吸いたくもなくなるようなそこで、座り込んだまま呆然と傍らを見ていた俺の体がその場から吹き飛ばされたのは、目覚めて数分も経たないうちのことだ。
体はすぐにそびえたつ壁へぶつかり、がつんと頭を打ち付ける。衝撃で舌を噛んでしまっていて、頭と舌の痛さに涙が滲んだ。何かがぶつかってきた腕も痛い。
それでも、『何』がぶつかってきたのかを確認するために視線を動かした俺は、自分のすぐそばに佇んでいる男に、びくりと体を揺らした。
口の端から何かを零して、俺にはうまく聞き取れない何かを早口で紡ぎながら、血走った両目がじろりとこちらを見下ろしている。
腹も足も腕も太く、俺が座り込んでいるからかとても大きく見えた。その手には太い棒きれが握られていて、先程の俺はあれで殴られたらしい、と遅まきながら理解する。
それと同時に、ぞわりと背中が冷えたのを感じて、後ろへと下がろうとした。
しかし、逃げようにも足が震えて力が入らず、うまく移動できないし、当然ながら立ち上がることも出来ない。
助けてと叫んで誰かが助けてくれるかと考えてもみるが、その可能性は低いような気がした。
だって、俺は『ここ』がどこなのかも知らない。
灰色の空を切り取るようにそびえたつ背の高い建物はレンガを積んで出来ているように見えるし、死体は転がっているし、おかしな人間が武器になり得る棒を持って徘徊している。俺の周囲じゃ考えられないことだ。
何より、俺はついさっき死んだ筈だった。高層ビルの清掃バイトで、掃除中に転落した上ベルトが切れたのだから当然だ。
それとも、あの高さから落ちたというのに生きていて、これは俺が見ている夢なのだろうか。
そうだとしたら、早く目覚めてほしい。
ずり、と男の足が路地を擦り、途中に広がっていた血だまりで湿った音を立てた。
その口はやはりずっと何かをぶつぶつと呟いていて、口の端に泡が出来ている。
早口で小さな呟きが何を現しているのかは分からないが、血走ったその目からして好意的な内容だとは思えなかった。
そして男の手が強く棒を握りしめ、俺へ向けて振り上げる。
『……っ!』
襲い来る攻撃を覚悟して、両手を交差して頭を庇った。
しかし、そのまま数秒がたっても、体に衝撃が訪れない。
ぎゅっと体を固くしていたところを、ゆっくりと緩めて、俺はそれからそろりと男の方を見あげた。
するとどういうわけか、俺の目の前にはふわふわとした暗い色の羽毛があった。
『……へ?』
間抜けな声を漏らしながら、じっと目の前の物を見つめて、それから首を傾げる。
何だろうか、これは。
意味が分からず見つめた先で音もなく羽毛が揺れて、それを辿るように下へと視線を動かした俺は、羽毛の下から足が生えているのを発見した。
それも鳥のそれでは無くて、人間のものだ。その向こう側にはさっきの男の体がちらりと覗いていて、俺は男と自分の間にこの羽毛人間が割り込んだのだと言うことを理解した。
そしてとにかく大きい。俺が座っているから余計そう思うのかもしれないが、それにしても大きい。この羽毛人間の全長は三メートルほどあるんじゃないだろうか。
靴すら大きく、その足が先ほど男の踏んでいた血だまりを踏みつけているが、どうしてか水音が零れていなかった。
それどころか、周囲から音の一つも聞こえない。
その事実に俺が目を見開いたのと、羽毛人間の向こう側で男が路地に倒れ込んだのが、ほぼ同時だった。
派手に倒れたはずなのに、やはり物音が聞こえない。
意味が分からず硬直している俺の方へ、くるりと羽毛人間が振り返る。
こちらを見下ろしたその羽毛人間は、どうやら普通の男性だったようだ。
コートだろうか、羽毛をあしらった上着を羽織り、帽子をかぶりサングラスを掛け、ピエロのような口紅の塗り方をしているが、鍛えているのか少し厚みのある胸は平らだった。羽毛の下に着ている服はどうしてかハートを散りばめた派手なもので、だけど妙にその姿に似合っている気がする。
しかし、どうしてだろう。どこかで見たことのある姿だ。
自分の中に浮かんだ既視感に俺が目を瞬かせた時、まるでそれに合わせたように、先ほどまで自分の呼吸の音すら聞こえていなかった周囲に『音』が戻り、びくりと体が震えた。
慌てて周囲を見回してみるが、俺の周りは先ほどと何一つ変わらない。
一体、何が起きたのだろうか。
『あ、あの』
突然現れて、多分あの男から助けてくれたんだろう『元』羽毛人間に取りあえずは訊ねようと、言葉を投げながら視線を戻した俺の前で、『元』羽毛人間は口に煙草をくわえていた。
その手がライターを取り出して、かちりと火をともす。
それを使って煙草へ火を移し、慣れた仕草でふうと煙を零した男を見あげた俺は、そのまま大きく目を見開いた。
『……火事! 火事ー!』
何と言うことだろうか、男が身にまとっている羽毛にライターの火が移り、メラメラと燃えている。
恐ろしい事態に、先ほどまで力の入らなかった足で無理やり立ち上がって、俺は男へ両手を伸ばした。
あいにくと水は持っていなかったので、ひとまず両手でばしばしと羽毛を叩く。掌に熱さを感じたが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
ついたばかりだったからか、俺の攻撃だけでどうにか火を消すことが出来て、あとに残ったのは少し焦げた羽毛だけだった。
『よ……良かった……』
助けてくれた相手が目の前で焼死するだなんて、笑える話ではない。
ほっと息を吐いて手を降ろそうとした俺の両手を、伸びてきた大きな手が掴まえる。
え、と声を漏らした俺の方を、口に煙草をくわえた男がサングラスの向こうからじろりと見ているのが分かった。
ぐいと引っ張られた両掌が、男の面前に晒されている。
何だろうかと目を瞬かせてから、改めて至近距離で男を見ることになった俺は、男が『どこの誰』に似ているのかに気が付いた。
何度か雑誌の上で見た、平面の世界にしか存在しないキャラクターだ。
あの絵を人間に現すとこうなるのかと納得しそうなくらいに似ている。
コスチュームプレイという奴だろうかと考える自分と、一般的な平均身長である俺を上から覗き込むように見下ろしてくる相手の、ギネス級の大きさに対して違和感を抱く自分がいた。
『……あの、助けてくれてありがとうございます』
『…………』
そっと言葉を述べて、両手を掴まれたまま頭を下げた俺の前で、『元』羽毛人間は沈黙していた。
ゆらりとその口元の煙が揺れて、男の手が俺の腕をようやく手放す。
下ろすことができた自分の手を見やり、しっかりと火傷してしまったらしい掌を確認してじりじりと痛むそこを隠すように拳を握ってから、俺は男へ恐る恐る尋ねた。
『…………その、お名前を……』
『あ! いたー!』
俺の言葉を遮るように、後方から高い声が上がる。
それと同時に俺の横を小さな影がするりとすり抜け、驚いて見やった俺の視界に、可愛らしい女の子が『元』羽毛人間の足にしがみ付いたのが入り込んだ。
頭の上に大きなリボンをつけた黒髪の彼女が、どこに行ったのかと思って探しちゃった、なんて子供らしいことを言いながらニコニコと笑って、ねえ、と言葉を紡ぐ。
『コラさん!』
無邪気な彼女の紡ぐその呼び名こそが、目の前の相手が『そう』なのだと、俺へ明確に示していた。
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