かまって! (2/3)
「……っと、こんなもんか」
ボルサリーノがしげしげと眺めている間に本を片付け終えたナマエが、そんな風に声を漏らしてからその視線を改めてボルサリーノへと向ける。
「それで、坊や、お母さんは?」
探してるんじゃないのかと問われて、ボルサリーノは首を横に振った。
見た目はただの子供でも、中身は海軍大将なのだから当然だ。母親と一緒に来た覚えもない。
「ひとりできたからァ、そんなにきにしないでェ〜」
「いやいや、気にするよ。俺は正義の海兵さんだからな」
白いコートも羽織っていないくせにそんなことを言って、ナマエがその場で身を屈めた。
真上を仰ぐようにしていたボルサリーノの首が、屈んだナマエに合わせて元に戻る。
少年の姿をした海軍大将の傍で膝をためらいも無く床につけて、目線の高さを合わせたナマエは優しげに言葉を紡いだ。
「一人でこんなところまで来たんなら、お母さんはなおさら心配してるぞ。家まで案内するのが嫌だったら近くまででいいから、ちゃんと送らせてくれ」
「ひとりでだいじょーぶだよォ〜」
「俺が心配なんだよ」
「えェ〜?」
近い顔に優しくそんなことを言われて、なんだかくすぐったくなったボルサリーノがくすくす笑う。
それを見て微笑んだナマエは、改めて立ち上がり、そしてその手をボルサリーノへ向けて差し出した。
元の自分に比べれば小さな、けれども今の自分から見れば大きなその掌にボルサリーノが首を傾げれば、手を貸してごらん、と小さな子供へ言うようにナマエが言う。
何をしたいのか理解してボルサリーノがその手に触れると、少し荒れた掌が柔らかくボルサリーノの手を包み込むように捕まえた。
「とりあえず、図書館を出ようか」
さあ行こう、と促しながら片手でカートを押したナマエが歩き出したので、それに手を引かれる形でボルサリーノも足を動かす。
短いボルサリーノの歩幅にあわせたナマエの歩みはとてもゆっくりで、カートもまばらにからからと音を立てる程度だった。
片手を引かれて歩きながら、前を向いているナマエをちらりと見上げたボルサリーノは、ふむ、と一人でちいさく頷いた。
ナマエは子供好きであるというあの噂は、どうやら事実であったらしい。
ナマエの顔がこんなにも和らぐことがあるということを、ボルサリーノは今日まで知らなかった。
なぜなら、普段のボルサリーノと接しているときのナマエの表情は、どちらかと言えば強張っていることが多いからだ。
その表情が崩れるところが見たくてあれこれと無理難題を仕掛けたり優しくないことをしたりしたボルサリーノの元で、ナマエが先ほどのように和らいだ顔をしたことなど一度も無いのではないだろうか。
いつも見下ろしていたその顔を思い浮かべてみて、何となくの不愉快さを感じたボルサリーノは、その小さな手をむにむにとうごめかせた。
掌の真ん中辺りをくすぐる格好になったその攻撃に気付いて、きゅう、と少し強めにボルサリーノの小さな手を握り締めたナマエが、くいとボルサリーノの手を引いた。
「くすぐったいなァ、悪戯はやめてくれよ」
「イタズラなんてしてないよォ〜」
心外だと口を尖らせて訴えたボルサリーノに、ナマエが困った子だと言いたげに目を細める。
その口にはやっぱり笑みが浮かんでいて、小さな子供にばかり笑みを向けてくる青年を見つめたボルサリーノは、可愛らしく首を傾げて見せた。
その仕草を見たナマエが、可愛いなあと至極当たり前のことを言いながら更に足を動かして、受付でカートを返却する。
受付の司書は、手を繋いだ海軍大将と海兵を見やって、ほほえましげな顔をした。
彼女に見送られる形で図書館を出てから、さてどっちに行けばいいんだ? とナマエが足を止めてそう尋ねて寄越した。
「えっとねェ……」
どうやら本気で家へ送っていこうとしているらしい相手に、あっち、と呟いたボルサリーノが指差したのは海軍本部があるのとは真逆の方角だった。
ナマエが子供好きであることは明白なのだから、どうせならどこか適当な飲食店にでも引っ張り込んで奢らせてしまおうと思ったからだ。
ついでに、職場の話でも強請ってしまおう。
先ほどだっていつもならはぐらかす回答を口にしたのだから、もしかしたらいつもなら聞けないような話だって話すかもしれない。
上司についての話も聞いてみて、酷いことを言われたらネタばらしもしてやろう、なんて悪質なことを考えている上司の胸のうちなど知るはずも無く、そうかあっちか、と頷いたナマエがボルサリーノの手を引いてまたも歩き出す。
ゆったりとしたその歩みに並んで、ボルサリーノもてくてくと足を動かした。
「今日はいい天気だよなァ」
「そうだねェ〜」
「俺の知ってる人に、こういう天気だと外で昼寝をする人がいるんだが、坊やは外で寝るのは好きか?」
「ん〜あんまりィ。おにィさんはど〜お?」
「俺もあんまりだなァ……虫が体にくっついたらと思うと……」
「えェ〜、そんなにおっきィのにむしがこわいのォ?」
「だって、蟻が耳に入ったら痛そうだろう?」
「あァ〜、それはコワいねェ〜」
閑散とした公園を通り抜けながらそんなのどかな会話を交わしていると、ふと何かに気付いたように、ん? とナマエが声を漏らす。
それに気付いて、手を繋いだままのボルサリーノが首を傾げた。
「どうかしたのォ?」
「いや……さっきから、なんだか坊やを知ってるような気がするんだが」
「? あったことないのにィ?」
柔らかな芝生の横を歩きながら呟くナマエに、ボルサリーノは不思議そうに言葉を紡いだ。
ボルサリーノの今の外見は、ボルサリーノが随分と幼かったころのものだ。ボルサリーノがその姿だった時、ナマエは生まれてもいないだろうし、写真だって殆ど残っていない。
だから、ナマエがボルサリーノに会ったことがあるわけがないのだ。
それとも、自分の上司に似ているとようやく気付いたのだろうか。
そこまで考えを至らせて窺ったボルサリーノに、いいやとナマエは首を横に振った。
「知ってるはずなんだよ。えーっと、どこでだったかなァ」
「ふうん?」
言葉を紡ぎ記憶を探り出したナマエを見やって、ボルサリーノが声を漏らす。
もしも大将黄猿との関係を聞かれたら『親戚だ』とでも答えようか、と現状を維持するための嘘まで考えたボルサリーノの目に戸惑いが浮かんだのは、何かに思い至ったかのようにぴたりと足を止めたナマエが、ボルサリーノの手を掴んでいたその手をぱっと離したからだった。
まるで熱いものを触りでもしたかのようなその動きに、ボルサリーノも同じように足を止めて傍らのナマエを見上げる。
そうして、そこにあった顔が真っ青になっていることに気付いて、不思議そうにその目がぱちりと瞬きをした。
← →
戻る | 小説ページTOPへ