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木製人形の恋 (2/2)
「ほら」

「……ん?」

「これを、カクにやろうと思って持ってきたんだ」

 そんな風に言葉を紡いで差し出されているそれは、少し厚みのある本だった。
 やはり古びた様子のあるそれに、ぱちりとカクが目を瞬かせる。
 それから小さな手が恐る恐ると伸ばされると、ナマエはその本をそのままカクへと押し付けた。
 表紙には人形姿の少年がいて、カクにそっくりな長い鼻をしている。
 見たことも無いそれに目を瞬かせたカクの前で、今日が誕生日だって昨日言ってたもんな、とナマエが呟いた。

「子供にやるようなもの、他には持ってなくてさ」

 だから受け取ってくれと続いた言葉に、カクがちらりとナマエの顔を見上げる。
 確かに、今日はカクの誕生日だった。
 つくべき嘘と言って構わない真実をないまぜにするのが潜入捜査で成功する秘訣だと訓練を受けていたカクが、その口から漏らした真実のうちの一つだ。
 そうなのか、おめでとうと一日早く祝福を述べてくれたナマエへ対して、『なんじゃ、プレゼントはくれんのか』とわざとらしく口を尖らせたのは確かにカクだ。
 しかし、本気でねだるつもりは無かったのだ。
 こんな古びた、恐らくはずっとナマエが大事に扱っていたのだろう物をその手に掴んで、カクはとても戸惑った顔をした。
 それを見下ろし、よしよし、とナマエがもう一度カクの頭を撫でる。

「俺が『ここ』に来る前に買った本でな、まあ本当は渡す相手がいたんだけど、もう会えないから」

 何かを諦めるようにそんなことを言って、貰ってくれると嬉しいな、とナマエは続ける。
 『誰か』を懐かしむようなその顔に、自分へその『誰か』が重ねられたのを感じて、ぎゅう、とカクの心臓が痛みを零した。

「……?」

 意味の分からぬそれに軽く片手を胸に当ててみるが、痛みを与えるような外傷などもちろんそこにはない。
 不思議そうに自分の胸元を見下ろしたカクへ、どうしたんだ、とナマエも少し不思議そうな声を出した。
 それを聞き、すぐに顔を上げたカクは、なんでもないとそちらへ返事をする。
 今はもう痛まない胸から手を放し、両手で本を掴み直した。

「これ、なんのほんじゃ?」

「うん? そうか、知らないか」

 誤魔化すように尋ねたカクへ、気にした様子もなく声を漏らして、ナマエの手がひょいとカクの持っている本へと伸びる。
 ぱらりとそのまま開かれた本の中は、特殊なインクを使ったのか、色鮮やかな絵が描かれていた。
 記されている文字はカクのよく知る常用文字ではなくて、少しだけ眉を寄せたカクの前で、ナマエの指が鼻の長い人形の姿を軽く撫でる。

「この子が主人公で、嘘を吐くと鼻が伸びるんだ。ちょっとカクにも似てるよな」

「なんじゃ、だからくれたのか」

 続いた言葉に口を尖らせて、ひどいナマエじゃとカクは自分が座っている膝の主を詰った。
 生まれつきの鼻をからかわれることは多いが、そこにばかり注目されるのは納得がいかない。カクだって、好き好んでこの鼻に生まれたわけではないし、何より嘘を吐いて鼻が伸びた覚えはない。
 カクの言葉を受けて、何で酷いんだ? と首を傾げたナマエが、優しげに微笑みを浮かべる。

「カクに似て可愛いじゃないか」

「…………オトコがカワイイといわれてよろこぶとおもうとるんなら、おおまちがいじゃぞ、ナマエ」

 まるで嘘の見当たらない声音で寄越された言葉に、カクは出来る限り低く唸った。
 怒っているぞ、とぎゅっと眉を寄せて主張しているというのに、それを見下ろして更に笑みを深めたナマエが、とても楽しそうに言葉を紡ぐ。

「そんな嬉しそうにされたら、喜ばれると思うしかないなァ」

「……よろこんどらん!」

 言いながら覗きこまれた顔を必死になって逸らして、どうにかそう言葉を張り上げたけれども、カク自身、自分の顔がゆるんでしまっていることは分かっていたのでまるで説得力が無い。
 けれども、お前がそう言うならそう言うことにしてもいいけど、と言って、ナマエはあっさり身を引く。
 その日はそのままナマエがカクの為に本を読んで、カクの知っている限り一番穏やかだった『誕生日』は終わった。







「……おお、懐かしいのう」

 ふとした拍子に出てきたものを軽く広げて、カクがぽつりと呟いたのは、彼がその身に実力を積み重ね、CP9という立場を勝ち取ってしばらくしてから与えられた私室でのことだった。
 その手にある一枚の紙切れは少し古びていて、折り目がいくつも付き、その真ん中に鼻の長い少年の人形が描かれている。
 名前も忘れてしまった彼は、かつてカクが初めて一般人から贈られた『プレゼント』の主人公だ。
 同行していたCPに『捨てろ』と命じられて持ち帰ることの出来なかったあの本のうち、カクが隠し持っていくことが出来たのはただの一ページで、たったの一度しか読んで聞かせて貰えなかった本のタイトルやあらすじですら、もはや思い出すことも出来ない。
 ただ、カクに似ていると言って大きな手が撫でていたあたりに指を這わせて、カクは軽くため息を零した。

「全く、未練がましいったらありゃあせんわい」

 あの日、『任務』の付き添いで訪れたあの島は、カク達が去ってしばらく後に、海賊によって滅ぼされてしまった。
 幾人かは生存者がいたらしいが、その中に『ナマエ』という名前はなく、生存者達の行方ももはやカクは知らない。
 最初の頃は『ナマエ』が死んだと言う実感もなく、やがて理解してひっそりと泣いた時も抱きしめていた紙切れは、端々がぐしゃぐしゃに折れ曲がっていた。
 それでも捨てられなかったのは、カクが彼を忘れたくなかったからだ。
 もはやナマエのその顔も声も記憶の向こう側にあって、ぼんやりとしか思い出せない。
 それでも完全に忘れることなど、どうしたって出来る筈も無かった。
 初恋は実らないと言う俗説を聞いたことがあるが、全くその通りだと、カクも思う。
 あの日カクの心を奪った不届き者は、もはや二度とカクの目の前には現れないのだ。
 カクの指がそっと折り目に合わせて紙を折り畳み、その両端を軽くつまむ。
 それから軽く左右へ引くと、ぴり、と小さな音がして、紙の中央辺りにわずかな切れ目が入った。

「…………」

 しばらくそれを眺めてから、そっと片手を紙から離し、折り畳んだそれを手にして、本棚から適当に引っ張り出した本の間に挟みこむ。
 そして本を片付けたカクは、女々しい自分に軽く肩を竦めて、すべてを見なかったことにした。
 それから、先ほど本棚を弄っていた理由に当たる本を手にして、ソファへと戻る。
 船の構造をある程度図解したその本は、来月からカクが受けることになる『任務』にある程度必要な知識が備わっているものだ。
 まったく無知の素人としていくつもりではあるが、それでも少なくとも基礎知識は知っておかねばならないだろうと、勤勉なCP9の手がぱらりと本をめくる。
 水の都と呼ばれるとある島で、そこにいるはずのない知り合いから『カクじゃないか』と声を掛けられたのは、半年ほど後のこと。
 殆ど年齢を重ねた様子のないナマエという名前の男が、どういう存在だったのかを、カクはまるで知らなかったのだ。



end



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