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犬も食わぬ (2/2)

「ほら、よい」

「わっ」

 言葉と共に放られたものを、反射的に受け取る。

「……え」

 手に馴染む感触に目を瞬かせてから、それが何であるかを改めて確認して、俺は小さく声を漏らした。
 俺の両手が掴んでいるそれは、誰がどう見ても『俺の鞄』だ。
 確かにクローゼットの中にいるはずのそれは、丁寧に表面を拭かれたのか、妙に綺麗だ。
 そして、確かに壊れていた筈の金具が真新しい色味を帯びてそこにあり、破れていた筈の布地には目立たない縫い目が付いている。

「…………これ」

 誰がどう見ても修繕が施された様子に、マルコが? と尋ねながら視線を戻すと、俺の言葉に軽く首を傾げたマルコが、どかりと俺の傍らへ座り込んだ。

「他に誰がいるってんだよい」

 そうしてそんな風に言われて、そうだよな、と言葉を落とす。
 それから改めて、しげしげと手元へやってきた鞄を見つめた。
 丁寧な縫い目は、裏側から分かりにくいようにされているらしく、凹凸も少ない。
 開いた鞄の内側もきれいになっていて、まるで職人に任せたようだった。

「大事なもんなんだろい」

 クローゼットの奥に放り込んでるんじゃねェよい、と隣で言い放って、マルコはやれやれとため息を零した。

「ったく、ちまちまとしか時間が取れなかったから、こんなに時間が掛かっちまった」

 マルコの言葉に、ここ最近のマルコの様子を思い出して、そうか、と納得する。
 それから傍らへ視線を戻し、肩を竦めているマルコへそうっと問いかけた。

「……ずっと、これを直してたのか」

 部屋へ戻るのが遅かったのも、部屋から出るのが早かったのも、合間の休憩時間に姿を消していたのもこのためかと含めて尋ねた俺に、まァねい、とマルコが頷く。
 部屋じゃ出来なかっただろうと続いた言葉に、そうかもしれない、と俺も考えた。
 壊れてしまった時、とても寂しかったけど、俺が手を出すのは何だかおかしい気がして、何も出来なかったのだ。
 もしも目の前でマルコがそれを直そうとしたら止めただろうし、ひょっとしたらマルコの手が触れない場所へ隠してしまったかもしれない。
 俺のそんな性格をすでによく知っているらしいマルコが、軽く伸びをする。

「まァ、縫いもんなんてしたこともねェから、ナース達に聞きながらだったけどよい」

「ナース達に?」

「あァ、危なっかしいのか何なのか、縫ってる横できゃあきゃあ言われてうるさかったよい」

 俺へ向けてそう言って、伸びをしていた手を降ろしたマルコが、『布が燃えるわけでもねェってのに』と続ける。
 その言葉に、ナース達の目の前で繰り広げられたんだろう光景を想像して、俺はそっと鞄を傍らへ置いた。
 片手をマルコの方へ差し出すと、マルコが少し不思議そうな顔をする。

「ナマエ?」

「……指、大丈夫か?」

「指?」

 俺の言葉に声を漏らしながら、マルコの手が俺の手へと乗せられた。
 受け取った片手をくるりとひっくり返して、少し荒れたその手を確認する。
 しかし当然ながら、マルコの指先には傷一つも無かった。
 マルコは、『悪魔の実の能力者』というらしい、非現実的な超能力者だ。
 怪我をしても、その体は零れた炎と共に再生する。
 物を燃やさない不思議な炎を零している様子を見たことは何度かあるし、恐らくナース達の前でも同じ色を零したんだろう。
 そうまでして直してくれたという事実に、少し口元が緩んだのが分かった。

「……ありがとう、マルコ」

 軽く指先を撫でて、それから手を解放しようと掴んでいた片手の力を緩めると、それを受けてマルコの手がくるりと裏返る。
 そうして、今度はこちらの手を掴まれて、俺はすぐにマルコの方へと視線を戻した。

「ドーイタシマシテ。で、だ。ナマエ」

「うん?」

 俺の礼への返事を寄越して、その後半を潜めたマルコが、少しこちらへ身を寄せてくる。
 囁くようなそれを聞き取るために俺が体を寄せると、それに合わせてマルコの手が、捕まえた俺の片手を自分の方へと引っ張った。
 体が傾いたのを、マルコの肩に支えられる。

「さっきサッチがニヤニヤしながら言いふらしに来てたんだが、おれの為なら『何だってやる』って?」

 本当かよい、と笑いを含めた様子で言いながら、マルコの顔が近寄ってくる。
 わずかに吐息が感じられるようなほどに距離を詰められて、近寄ってきたマルコの顔が見えづらくなり、俺はわずかに目を見開いた。

「はい、そ・こ・まーで」

 けれども、それ以上距離を詰められる前に、俺とマルコの間にばさりと何かが挟まれる。
 それがぐいとマルコの顔を引っ張って行ってしまって、むぐ、と声を漏らしたマルコが俺の手を逃がした。
 すぐさま顔を捕らえていたものを掴まえ、引き剥がし、マルコが攻撃を加えてきた相手へその顔を向ける。

「何すんだよい」

「人前でそういうのは不健全だと思いまーす」

 ふざけた調子で言葉を零しているのは、コックコートの四番隊長だ。
 言われて見れば確かに、ここは甲板で、間違いなく人前だった。
 サッチが『マルコの為』のつまみを作っているのを嗅ぎつけた何人かのクルーによって、宴会がとり行われることになったのだ。
 本当はマルコと二人きりの時に酒をふるまって酔い潰したかったが、仕方ないと判断して、俺も宴会に参加することにした。
 そんなことを思い返している俺の視界で、先ほどマルコを邪魔するのに使った黄色いスカーフを首に巻き直したサッチが、マルコのむっつりー、と詰るように言葉を落としてくる。
 それを聞き、海賊に健全も糞もあるかとため息を零したマルコは、仕方なさそうにその場から立ち上がった。

「あ、」

「飲みもんでも取ってきてやる。ナマエはそこで待ってろい」

 そう言葉を寄越され、分かった、と頷くと、すぐにマルコは俺の傍を離れていった。
 いくつか酒を飲み交わしているクルー達へ近寄って、何かを話しかけている。
 酒瓶をいくつか回収して、多分俺の分だろう飲み物を手にするために更に移動したその背中を見送っていると、どす、とすぐ傍らに人が座り込む気配がした。
 それを受けて視線を向ければ、なんとも楽しそうな顔をしたサッチがそこにいる。

「どうしたナマエ、残念そうな顔して」

 からかうような言葉に、少しだけ考えてから一つ頷く。

「サッチはそのうち馬に蹴られて船から落とされるな。間違いない」

 人の恋路を邪魔するやつは、というのは日本のことわざか何かだった気がするが、間違いないだろう。
 ここ最近、俺はマルコと二人で過ごす時間が極端に少なかったのだ。
 見やってみても誰も俺達に注目していなかったのだから、軽くいちゃつくことくらい問題なかったに違いない。
 わざわざ邪魔してきた相手を見やり、それからそっと問いかける。

「…………サッチ、知ってたのか」

 どうしてマルコが秘密にしていたのかは分からないが、今日の昼間、俺が鞄を買ったかどうか気にしてきたサッチの様子からして、それは明らかだった。
 気付かれたことを隠すつもりもないのか、まァな、とサッチが頷く。

「内緒にしてほしいとか言われてたしなァ、手伝うかって言ってみても自分でやるって言ってきかねェし」

 手も怪我するしナース達に賄賂も渡さなきゃで大変だったんだぜ、と楽しそうに言うサッチの言葉に、少し眉間に皺が寄ったのが分かった。
 俺が少々不機嫌になったのを感じたのか、どうした、とサッチがすぐに問いを落としてくる。

「……俺の知らないマルコを見てたサッチを妬んでる」

 正直にそう言うと、真っ向からおれに言うか普通、とサッチが笑った。
 ナース達は妬まねえのかと続いた言葉に、ナース達も羨ましいけど、と言葉を落とす。
 俺の前のマルコは、大体が『頼りになる一番隊長』なのだ。
 たまに可愛いこともするし、二日酔いやらで唸っている時の情けない顔だって好きだけど、頻度が少ない。
 俺の為に何かを一生懸命にやっているマルコなんて、絶対に見たい光景だった。
 ナースの誰かが写真の一枚でも撮っていないだろうか、なんてあり得そうもないことを考えながら、傍らに置いた自分の鞄を膝へ乗せる。
 その表にある目立たない縫い目を軽く撫でて、小さくため息を零した俺の横で、ナマエ、と俺の名前を呼んだサッチは、しかしその言葉の後ろを慌てた様子の声音に変えた。

「うおっ」

 それと同時に何かを叩くような音がして、視線を傍らへ向ける。
 俺の横に座っていたサッチは、どうしてかその姿勢を崩していて、その片手には先ほどまで持っていなかった酒瓶があった。
 どこに持っていたんだろうかと見つめた俺とサッチの上に、軽く人の影が落ちる。

「あ、マルコ」

「ほらよい」

 飲み物を持ってきてくれたマルコが、言葉と共に俺へ向けて飲み物を差し出した。
 とてつもなくアルコール度数の低い表示がされているそれを、ありがたく受け取る。
 自分の分の酒瓶を開けて、それからマルコは俺の横へと一歩踏み込み、どかりとそのまま座り込んだ。
 少し押されてしまったのか、サッチがきゃあともわあともつかない悲鳴を上げている。
「マルコ、お前な」

「うるせえよい」

 サッチとそんな風に言葉を交わしながら狭い場所へ入ってきたものだから、マルコの体に寄り添うような格好になってしまって、俺も少しだけマルコから身を離した。
 しかし、サッチに押し返されたのか、マルコがすぐにその距離を詰めてくる。
 二回やって二回ともくっついてしまったので、そこで諦めて座る姿勢を崩した俺の横で、マルコが酒瓶のコルクをサッチの方へと軽く放った。
 それからその目でこちらを見やって、ゆるりと言葉が寄越される。

「何話してたんだい?」

「え?」

「さっき。すげェ顔してたじゃねェかよい」

 そんな風に言って、マルコの手がひょいと伸びてくる。
 ぐりぐりと眉間をならすように押されて、慌てて身を引くと、ごつりと真後ろに頭をぶつける羽目になってしまった。
 痛い、と頭の後を押さえると、大丈夫かとマルコが俺の頭を撫でてくる。

「大丈夫。……さっきは、別に何も話してない」

 少しサッチを妬んだだけだが、さすがにそんな子供みたいな感情を出していたとは言いづらくて、俺はそう言葉を放った。
 見間違いじゃないかと言葉を重ねてみると、そうかい? と首を傾げたマルコが俺から手を放す。
 それからその顔がサッチの方へと向けられて、その視線を受けたサッチが、そうそう何も話してねーよ、なんて言うふうに話を合わせながらその手に持っている酒瓶のコルクを抜いた。
 旨そうに酒を呷る様子に、そういえば今日の昼間に買ってきた酒はどうしよう、なんてことを少しだけ考えつつ、自分の瓶からもコルクを抜く。
 目的は消失してしまったが、強すぎる酒過ぎて俺には飲めないから、何か理由をつけてマルコに渡そうか。
 鞄を直してくれた『礼』も、何か考えなくては。

「マルコ、顔怖いって顔」

「え?」

 口元へ酒を運んだところで聞こえたサッチの声に慌てて顔を向けると、サッチの方を向いていたマルコがこちらをちらりと見やった。

「どうしたよい」

「あ……いや、何も」

 しかしその顔は普段と何も変わらなかったので、どうやらマルコの『怖い顔』とやらは、サッチの見間違えだったらしい。



end



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