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貴方がいい (1/2)
※短編『優しい温度』設定
※微妙に名無しオリキャラクルー出現につき注意




 『イセカイ』とやらから来たらしいナマエと言う名前の『人間』は、ジンベエ達魚人族よりずいぶんとか弱い存在だった。
 だからこそ、ジンベエ達は彼に対して注意を払ってきた。
 例えば木々の密集した場所へ降り立つ時には体の殆どを厚手の衣類で覆うよう勧め、波の荒れる海域では甲板にもあまり出ないようにと言い含める。
 『大丈夫なのに』と困ったように笑いながらも、ナマエはそれらを殆ど嫌がりもせず、ジンベエ達の要求を飲んできた。
 けれどそれでも、『人間』はあっさりと蝕まれてしまうのだ。

「ん? どうした、ナマエ」

 その日のナマエは朝からぼんやりとしていて、ジンベエが気付いてそう声を掛けたのは、朝食の進まないナマエを見やった時のことだった。
 わずかにうつろな目がジンベエを見やり、ジンベエさん、とナマエの口が言葉を紡ぐ。

「何か今日、寒くない……?」

 そうしてそのまま言葉を寄越されて、寒い、と言うその発言にジンベエが首を傾げる。
 現在船が航行しているのは春島の海域で、ナマエの言う寒さなどジンベエには微塵も感じられなかった。
 魚人と人間との違いかとも思ったが、昨日のナマエは、暖かくなってきたねと喜んでいた筈だ。
 どういうことだと視線を送った先で、寒いよ、ともう一度ぼんやりと言葉を零したナマエの手から、カランと音を立ててスプーンが落ちる。
 殆ど減っていない料理の横で弾んだそれに目を丸くしたジンベエの目の前で、ナマエの体が横に傾いだ。

「ナマエ!」

 慌てて声を上げたジンベエが、テーブルを迂回する。
 あいていた隣の席に上半身を預けるような格好でその場に横たわったナマエは、目を閉じ、わずかに息を荒げていた。
 揺り起そうと手を伸ばして触れると、いつにない温度がジンベエの掌を攻撃する。
 ナマエは自己申告の通り少し体温の高い人間であるようだが、普段よりも更に熱い。ただ事ではないとすぐに分かり、ジンベエの両手が小さな彼を抱き上げた。
 ジンベエの大声でジンベエとナマエの方へ注意を向けていた室内のクルー達が、ざわざわと騒ぎ始めている。
 近くにいた一人に船医を連れてくるよう伝えて、ジンベエはそのまま、小さな人間を彼のための部屋へと運び込むことにした。







 ナマエの熱は『疲労』からくるものだというのが、船医から寄越された診断だった。
 ジンベエの率いる海賊団はグランドラインを航行している。
 気象の違う島々を経由してあちらこちらへと移動しているが、その気温の変化に、疲れたナマエの体が耐えられなかったのだろう。
 ジンベエ達にとっては取るに足らない事柄でも、ひ弱な人間には違う。
 そして、毎回色々な島々で喜びの声を上げて『すごいすごい』とはしゃぐナマエは、このグランドラインとは別の場所から来た人間なのだ。
 海を渡るたびに変化する季候に、体がついていかなかったとしても仕方がない。
 船医からそう説明を受け、もう少し気を配ってやれば良かったと反省したジンベエが、その大きな体で向かったのは、ナマエを眠らせている彼の部屋だった。
 この船に乗る誰よりも小さな体を持つナマエが、大部屋で他のクルー達に潰されてしまったりしないように、と与えられた小さなそこは、かつての物置だ。
 診察を終えて薬を飲んだナマエが眠っている筈のその部屋の扉を開こうとして、ふと聞こえた小さな声に、ジンベエの動きが止まる。
 どうやら薄い扉の向こうから聞こえるらしいそれに、ジンベエの体がそっと扉へと寄せられた。
 それでもよく聞こえずに、ナマエのそれに比べれば随分と大きな手が、音を立てずにゆっくりと扉を開く。

「……ふ、う……っ」

 隙間から漏れてきたそれは、荒い息遣いだった。
 ひく、と時折漏れる嗚咽交じりのそれに、室内から漏れたそれが泣き声だと言うことにジンベエが気付く。
 狭い部屋の中には一人しかいないのだから、それはつまり、ナマエの泣き声だ。

「やだ、も……ぅ〜……っ」

 室内を覗き込むことも出来ないジンベエの耳に、己以外誰もいない部屋で泣くナマエの声が届く。
 かえりたい、と続いたそれに、ジンベエはわずかに目を見開いた。
 思わず力の入ってしまった手から無理やり力を抜いて、開けた時よりさらに慎重に、そっと扉を閉める。
 音もなく扉が閉ざされると、ナマエのすすり泣きも殆ど聞こえなくなった。
 それでも、耳にこびりついたそれは離れないまま、ジンベエの目が己で閉じた扉を見やる。

「……『帰りたい』、か」

 牙の間から漏れた声が、通路を転がる。
 『イセカイ』という平和に満ちた場所から現れたナマエは、明るい子供だった。
 帰る場所がありながら帰り方も分からないままで海賊船にいると言うのに、その顔に暗い影が過ったところを、ジンベエは見たことがない。
 しかし、熱に浮かされたあの声はどう考えてもナマエのものだ。
 たとえば熱が出ていることによるつらさや心細さから漏れた弱音だとしても、恐らくは本音なのだろう、とジンベエは思った。
 思えば長らく、ナマエはこの船に乗っている。
 友人や家族とも別れて、たった一人で己とは違う種族の傍にいるのだ。
 心細くないわけがないと、そんな風に思いながらも妙な寂しさと、そして己に対する苛立ちを感じて、ジンベエの手が軽く拳を握る。
 どうしてか『海軍はいやだ』と拒絶したナマエのために、ジンベエは彼を『イセカイ』へ送り届ける為の手段を捜し続けていた。
 しかし、その努力が最近おざなりになり始めていたのではないだろうかと、そんなことまで考えて申し訳なくなる。
 ナマエはすっかりこの船の上に馴染んでしまっていた。
 かつてのことを思い出して人間を乗せると言うことに眉を寄せていたクルー達までも、今ではすっかりナマエのことを『仲間』と認めている。
 魚人街にいる人間嫌いの魚人達に見せれば明らかに拒絶を受けるだろうが、ジンベエ達にとってはもはや、ナマエがすぐ近くにいると言うことは当たり前だったのだ。
 だから、彼を己の傍から離したくないと、そんな風に感じてしまっていた自分に気付き、ジンベエの眉間に皺が寄る。

「……全く、わしゃあ酷いことを」

 漏れたため息とともに言葉を吐き出し、ジンベエはその場からそっと歩き出した。
 いくらジンベエが海賊だとは言っても、そんな自己中心的な考えが許される筈がない。
 ナマエには帰る場所があるのだ。
 ひょっとしたら、ジンベエ達の前では気を使ってそんな顔をしなかっただけで、一人きりになるあの部屋では、先程のように泣いていたのかもしれない。
 窓の無い物置で膝を抱えているナマエを想像してみると、その哀れさと己のふがいなさにジンベエの眉間のしわが深くなった。
 そのままその足が甲板へと向かい、現れたジンベエへ声をかけてきたクルーに、島へ船を急がせるよう指示を出す。
 その間に自らが狩りに向かうと告げて、ジンベエは一人でそのまま海へと飛び込んだ。
 春島の海域に満ちたわずかに冷たい海水が、ジンベエの体を受け止めて、そのまま底へといざなっていく。
 穏やかな日差しの差し込む海の中は、もしもナマエに見せたなら、綺麗だとはしゃいで喜びそうな場所だった。
 いつだったかジンベエが海の中へと連れて行った時のナマエの喜びようを思い出しながら、ジンベエの目が油断なく周囲を見回し、離れた場所にいる獲物を見つける。
 今も泣き続けているだろうナマエを思うと、妙に気が急いた。
 とりあえずナマエには栄養を取らせて、早く体調を戻させなくてはならない。それから己のふがいなさを詫びて、改めて彼を『元いた場所』へ返すことに尽力しなくては。
 そんな決意を瞳に秘め、気を張ったジンベエの手が、獲物へ向けて海水を掻き始めた。







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