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拝啓、神様 (1/3)
※『所有の証はただひとつ』の続き
※逆トリップ→トリップな無知識主人公
※微妙に名無しオリキャラ注意



『テンリュービト? 何だそれ』

 そんな風に言ってけらりと笑う人間を、ロシナンテはその日生まれて初めて見た。
 後から知った事実によればそこはロシナンテや兄が生きて来たのとは違う世界で、天竜人など存在していなかったのだから彼の反応は当然だったのだが、今まで『人間』に疎まれ虐げられ続けてきたロシナンテにとって、そして恐らくは彼の兄にとっても、『ナマエ』という名前の彼は特別だった。
 『ナマエ』は突然現れて食べ物を奪ったロシナンテとその兄を叩きだしたりせず、食事をくれて寝床をくれて傷の手当てをしてくれて、とにかく優しくしてくれた。
 死んでしまった母親がロシナンテにそうしたように頭を撫でてくれて、優しい声で『ロシー』とロシナンテを呼んだ。
 世界に生きるすべての人がナマエのようだったならどれだけ平和だったろうと小さな頭で想像してみたことだって、一度や二度じゃない。
 『元の世界』においてきてしまった父親を思い出すと涙が出たけど、『どうしたんだ? 怖い夢でも見たのか?』なんて言いながら温かくて大きな掌で背中を撫でたナマエが慰めてくれた。
 ロシナンテの兄だって『ナマエ』のことを気に入っていたのを、ロシナンテは知っている。
 『ナマエ』の姉だと言う女性が営んでいる保育所で、一緒に昼寝をしている時にひそひそと交わしたロシナンテと兄の内緒話は、もしもナマエを『連れて帰る』ことが出来たらどうするかと言うことだった。
 ロシナンテはただ『ナマエ』を父親に紹介して、平穏に一緒に暮らしたいと口にして、兄はそれだけじゃあ駄目だ自分たちのものにしなくては、と譲らなかった。
 それでも、もうロシナンテも兄も『天竜人』ではないのだから、奴隷を合法的に持つことなど出来ない。ロシナンテはナマエにおかしな首輪を掛けたり、兄が昔連れていた死んだ目をした奴隷達のようにはしたくなかった。
 それでも、たとえばいつかすべてが許されて、小さな家でロシナンテと兄と父とが、平穏に暮らしていけるようになって。
 そして、その時にナマエが自分達とずっと一緒にいてくれたら、それはどれだけ幸せなことなんだろうと、そんなことだけは少し考えてしまった。
 そう、だから。
 だからきっと、罰が当たったのだ。

「……ナマエ?」

 そうっと呼びかけたところで、どこにもナマエの姿は無い。
 ロシナンテがぐるりと視線を動かした先には同じように座り込んでいる兄がいて、彼もまた同じように呆然としていた。
 その目が見つめる先を同じように見たロシナンテの体が、びくりと震える。
 二人して座り込んだ小さな廃墟は、ロシナンテの記憶にもある、汚らしい家屋だった。
 母親が体を壊して息を引き取ることになった、その家屋が殆ど焼け焦げているのは、天竜人を憎んだ人間達がロシナンテとその家族の家に火を放ったからだ。
 それが分かったからこそ、ロシナンテの体には冷汗がにじんだ。
 帰ってきたのだ、と言うことが幼いロシナンテにも分かった。
 帰ってきてしまった、と言うことが分かってしまった。
 ここはロシナンテとその兄が生まれて育ち虐げられてきた『あの』世界で、ナマエがいるのとは全く別の世界だった。
 つい先ほど、本当にほんの数分前まで、ロシナンテと兄はナマエと一緒にあの部屋にいた。
 アイスでも食べるかとナマエが言って、キッチンの方へ歩いて行ったのをロシナンテは座って見送った。
 そして瞬きをした次の瞬間には、ここだ。
 じわりと涙が浮かび、ひぐ、と嗚咽が漏れて、ロシナンテは慌てて自分の口を両手で覆った。
 大きな声で泣いたら、『天竜人』を憎む誰かがやってくる。
 もしもその手に武器があればロシナンテや兄は滅多打ちにされるだろうし、そうでなくても拳をふるわれることは間違いない。
 ロシナンテと兄はドンキホーテの一族で、元天竜人で、そして今はただの無力な子供の姿をした罪人なのだ。
 過去に『天竜人』が『下々民』相手に行った悪逆は限りなく、そしてそれを憎む人々は、あの世界の『ナマエ』達のようにロシナンテ達を扱ってくれたりはしないことを、ロシナンテは経験として知っている。
 泣き声を出来る限り殺して、それでもボロボロと泣くロシナンテの隣で、ゆらりと誰かが立ち上がった。
 焼け落ちた廃屋で、ロシナンテの傍らにいるのは当然ながら兄のドフラミンゴだけだ。
 涙でぼやけた視線をそちらへ向ければ、俯いていたロシナンテの兄が、やや置いてその口をへし曲げ、それから小さく吐き捨てる。

「……おれ達のものにならないなら、殺せばよかった」

 どうしてここにいないのだと、そう呟く小さな声が誰に向けてのものなのか分かって、ロシナンテの目からは更に涙がこぼれる。
 こわいよ、そんなこといわないでと言いたいのに嗚咽ばかりが漏れる口は言葉を紡げず、やや置いて近寄ってきた兄の両腕が不器用にロシナンテを抱きしめた。
 いつだったか母を恋しがるロシナンテを慰めた父のように、涙を浮かべたロシナンテを慰めたナマエのように、加減を知らない二本の腕に抱きしめられて、ロシナンテの片手も兄の背中に回る。

「……ナマエ……っ」

 涙交じりの声でその名前を呼んでみても、ロシナンテと兄を纏めて抱きしめてくれていた『彼』は当然ながら現れなかった。







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