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ふしぎのくにの (1/2)
※子マルコ



 この世界には、不思議と危険が満ちている。
 ひょんなことから死んでやり直した人生を過ごす羽目になったこの世界は、俺が四十になるまで生きて過ごした日本とはまるでかけ離れた世界だった。
 海には化物が棲んでいるし、海原を行くのは海賊と海軍だ。
 動物も植物も俺の知らないものばかりで、図鑑を見ても全く納得が出来なかった。まず初めにそういう生態系であるという理解をしなくてはいけないのだろうが、俺の中の常識は『日本』で培った常識であって、この世界のものじゃない。
 けれどそれでも、どうにか親元で育つことが出来て、普通の大人に成長することができた。
 海賊だの賞金首だの、人間オークションだの天竜人だのというのは全部が全部俺にとっては遠い話で、このまま改めてのんびりと生きていくつもりだったのだ。
 だと言うのに俺が今命の危険を感じているのは、俺が絶賛落下中であるからだった。
 見上げた先にあった丸い空は、もう随分と遠くになってしまった。
 こんなに深く掘り進んで、街は一体下水道をどうしようと言うのだろうか。ついに上下水道を完備してくれるというのなら俺としては大歓迎だが、まずこういう危険な場所にはしっかりマンホールなりで蓋をしておいて欲しい。
 生きて帰れたらまずは役場に訴えることにしよう、と心に誓って、俺はそっと両手で体を抱きしめた。
 相変わらず足元は真っ暗で、落下しているという感覚しか感じられない。
 いい加減胃がひっくり返りそうだ。そうしたら今日の昼飯が口から出ていくんだろうか。ご遠慮したい。

「……つうか……このまんま行ったら死ぬよな、普通……」

 背中を冷やす恐怖を感じながらそんな風に呟いたところで、俺は自分の足先から体に向けての違和感に気が付いた。
 何やら、落下速度が落ちた気がするのだ。
 暴風のように俺の顔へ向けて吹き抜けて来た空気の流れも弱まり、内臓を上へ引っ張るような重力の暴力も軽減されていくのを感じる。
 そして、それと同時に、自分が足を向けている先が、ゆるりと明るさを灯し始めた。

「…………は?」

 そこに思わず声を漏らしてしまったのは、真下にあるその灯りの中に、何やらカラフルなものが見えたからだった。
 下水道にそんなものがあるだなんて、誰が想像できるだろう。
 困惑する俺をよそに、先ほどとは打って変わってゆっくりと降下した体が、ついにそこへと降り立つ。
 ぎゅむ、と靴裏に感じる柔らかな感触に、俺は自分の足元に敷き詰められているそれがカラフルなジョイントマットだと把握した。
 見回した周囲は、俺が最近借りた賃貸のリビングぐらいの空間だった。
 真上には俺が落ちて来た遥か彼方まで続く穴があるが、まわりには下水道の配管の一つもない。丸く大きく削られたようなその壁にも足元の物と同じものが貼り付けられていて、明かりを落としているのはその隙間に設置されたランタンの様だった。火事になったらどうするつもりだろうか。いいやその前に、この場の酸素は大丈夫なのか。
 意味が分からないが、改めて周囲を見回して、出口を探すことにする。
 部屋と呼んでいいのかも分からないその空間の端に、テーブルが一つあった。
 その上には鍵と、それから何やらカラフルな包みがごっそりと入った木皿がある。
 恐る恐る近付いて、それを摘み上げた俺は、どうやら飴らしいそれの包みに書かれた数字と、それに並んだ英単語に、は、ともう一度声を漏らした。

「……何だこれ、夢でも見てるのか」

 『私を食べて』だなんて、『日本』で生きていた頃に見たことのある海外の子供向けアニメみたいだ。何とかの国の何とかとか言う、もうタイトルも思い出せない有名アニメを思い出す。
 ひょっとして、落下してすぐに地面にでも叩き付けられて、今の俺は夢でも見ているんだろうか。
 そうは思って見るものの、つまんだ頬は痛くて、どうにも今が夢だとは思えなかった。
 二十余年も生きて来たと言うのに知らなかったが、この世界ではこれが普通なんだろうか。
 そんなことを考えながら、俺はそっとその場に屈みこんだ。
 小さな子供くらいの視線から周囲を見回して、目的の物を見つけて、やっぱり、とため息を零す。
 壁に押し付けるように置かれたテーブルに隠されるように、小さなドアがあったのだ。
 成人した俺の体では通れそうにないが、あのアニメの彼女のように小さくとまでは行かなくても、例えば小さな子供なら這って通れそうな大きさだ。
 そっとドアノブに触ってみたが、さすがにドアノブが喋ったりはしなかった。
 軽く回して、鍵がかかっていることを確認してから、テーブルの上を手探りで漁る。
 指に触れた鍵を掴んでドアノブの鍵穴へ押し込めば、ぴたりと合ったそれによって扉が開かれた。
 押し開いた扉の向こう側は、何やら茂みのようだ。
 あれだけ落下したのに、そこに太陽の光が差し込んでいると気付く。ますます意味が分からない。

「……俺、死んだんじゃないだろうな……」

 明らかにあのアニメの影響すぎる光景に、俺は自分の体の心配をした。死ぬ間際は走馬灯を見ると言うし、今の俺のこれがそれなんだろうか。そんな馬鹿なことを考えて、ふるりと首を横に振る。
 やっぱり、生きて帰れたら役場に訴えよう。そしてよそ見をして歩いたりはせず、基本的に足元を見て生活しよう。心に誓って、もう一度手探りでテーブルの上を漁る。
 そうして掴まえた木皿の中から適当に飴を掴みとって、包みを開いて出て来たそれを見つめた。
 毒物だったらどうしようか、と少し考えてみるものの、他に状況の打開策が思いつかなかったので、ひとまずその一粒を口に運ぶ。ソーダ味だ。
 見やった青い包みには、『5』と数字が掛かれていた。







「んっと……」

 予想通り小さくなった体で扉の向こうへ這い出して、俺はひとまず息を吐いた。
 見やった体は大人用のシャツを纏っていて、みっともないことこの上ない。
 体の大きさから言って、多分十歳にもならないだろう。
 脱げてしまったパンツは惜しいが、今の体には合いもしないだろうと諦めて、仕方なくシャツの裾を膝のあたりで結ぶ。
 何とも不格好だが、今はとりあえずこの現状を打開する方が先だ。
 がりがりと口の中の飴をかみ砕いて飲みこみながらそんなことを考えつつ、俺はひとまず裸足で茂みの中へと踏み出した。
 自分の背丈ほどもある草をそっとかき分けて、虫が出てこないことを祈りつつ先へと進む。
 裸足で歩くことはあまりないので、足の裏は少し傷むが、まあ歩けないほどじゃない。
 それでも、どこかで靴は調達したいな、なんてことを考えた俺が更に一歩足を踏み出そうとしたところで動きを止めたのは、少し離れた場所で何かががさりと音を立てたからだった。
 がさ、がさがさと移動するそれは俺と同じか少し小さいくらいの大きさのようで、一生懸命草をかき分けて移動している。
 犬か猫に似た生き物だろうか。それともまさか蛇じゃないだろうな。
 見回す限りうっそうと生い茂る茂みと木々の中、たらりと背中に冷汗をかいた俺をよそに、がさがさと移動するその物音は、だんだんとこちらへと近付いてくるようだった。
 これはまずい、と身を引こうとしたところで、俺の手に何かが触れる。

「っ!」

 驚いて俺が身を引いたのと、はじかれたようにそれが俺から離れたのは、ほとんど同時だった。
 がさささ、とひときわ大きく音を立てて、俺の手を触った何かが茂みの向こうで動きを止める。
 正面を見据えて、どきどきと嫌な風に高鳴る心臓を抱えながら様子を窺う俺の向かいで、その何かが声を上げた。

「……だれよい!」

「…………あ、人か」

 少し高いそれは、どう聞いても人の声だ。
 どうやら子供らしい、と判断して、ほっと小さく息を吐く。
 それと共に両手で目の前の茂みを開くと、こちらを睨み付けている小さな子供の姿が現れた。
 なんとも特徴的な髪形だが、それは親の趣味なんだろうか。それともそう言う風に生える頭なんだろうか。もしもそうなんだとしたら、やっぱりこの世界は変わっている。

「こんにちは」

 とりあえず友好的に聞こえるだろう挨拶をして、俺は茂みから足を踏み出した。
 前に進む俺を警戒したように、同じだけ一歩を後ろに引いた子供が、その目でじとりとこちらを睨み付けている。
 酷い警戒具合だなとそれに笑ってから、ひとまず俺は相手に両手を晒してみせた。

「悪い、迷っちまったんだ。ここの近くに民家はあるか?」

 ここがどこかは知らないが、とりあえずもう少し文明的な場所に移動したい。
 そう思っての俺の発言に、しかし子供は更に怖い顔になる。そんなに眉間に皺をよせて、小さな頃から皺の跡が取れなくなったらどうするつもりなんだろうか。

「ここはむじんとーだって、オヤジがゆってたよい! おまえ、だれよい!」

 きい、と威嚇するように言葉を投げられて、え、と思わず周囲を見回す。
 うっそうと木々の生い茂る周辺には、確かに人の住んでいる様子はない。
 ますます意味が分からない。俺はついさっきまで、確かに普通の町中にいた筈なのだ。どこかに落下したのだとしても島から出るわけがないし、港まであるあんな大きな町のある島を『無人島』だと言う人間はいないだろう。
 首を傾げながら子供へ視線を戻して、おずおずと問いかけてみる。

「……この島の名前、分かるか?」

 俺の言葉に子供は返事をくれたが、それは聞いたことも無い名前だった。
 例えば夢の世界だったとしても、俺が知らない名前が出てくることはないだろう。やっぱり、ここは現実か、そうでなければ死後の世界なんだろうか。
 おかしな世界に生まれ変わりはしたものの、うまくやっていけていると思っていたのに、テレポなんたらを体験することになるとは夢にも思わなかった。
 はあ、とため息を吐いてから、とりあえず体からまとわりついていた草の切れ端を払い落とす。
 ちらりと見やった先では、まだ子供が怪訝そうにこちらを睨んでいた。




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