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ふしぎのくにの (2/2)

「そんなに睨まなくたって、何にもしない」

「うそよい! マルは、オヤジとみんないがいはしんじないよい!」

 何とも大雑把なくくりだ。みんなというのは誰のことだろうか。
 よく分からないが、どうやらまだこちらを警戒しているらしい相手に、俺は肩を竦めた。
 せっかく出会った人類だが、俺をそれほど警戒すると言うのなら、まあ仕方ない。
 少しだけ耳を澄まして、海の音がする方に顔を向けて、そちらへ向けて歩き始めることにする。
 俺の動きを目で追いかけた子供が、どこいくのよい、と言葉を紡いだ。
 そういえば、その『よい』『よい』言うのは口癖なんだろうか。

「あっち、海だろ。砂浜の方が足にも優しいかと思ってな」

 言いつつ前方を指差すと、むぎゅっと顔をしかめた子供が、更には唇まで突き出した。
 何だお前ヒヨコか。手が届いたらその口をつまんでやるところだが、俺の手の届く範囲にはいないので、仕方なく諦める。
 放っておいて歩き出すと、数秒を置いて、後ろからついてくる足音がした。
 ちらりと振り返ると、まるでそう言う遊びをやっているかのように、子供がぴたりと動きを止める。
 数歩進んで振り返る、というのを三回繰り返してから、俺は子供の方へと向き直った。

「……ついてくるのか?」

「…………べっつに、ついてってないよい」

 つん、と顔まで逸らされたが、いやどう考えても明らかについてきている。
 一体なんだと言うのだろうかと首を傾げて、俺はもう一度周囲を見回した。
 小さな子供の大きさになってしまったこの体では、本当に見上げるしかないような巨大な木々があちこちにひしめき合っていて、苔むしたそれらの圧迫感がものすごい。
 目的の方向からの音が無かったら迷子になりそうだとまで考えてから、はた、と気が付く。
 木々から視線を子供へ戻すと、子供はまだじとりとこちらを見ていた。

「……なによい」

「…………もしかして、迷子か?」

「………………なっ!」

 俺の発言に、子供が見る見るうちに表情を変える。
 ちがうよい! と声を上げたが、不安そうなその顔は、どう見ても迷子だ。
 そう言えばこの島は無人島だと言っていたし、きっとこの子供も誰かと一緒にこの島を訪れたのだろう。『オヤジ』とか言っていたし、家族で船旅でもしているんだろうか。
 だったら海の方角に行けばいいのに、それすら考えつかないほど一生懸命うろうろしていたのかもしれない。
 何となく可哀想になって、俺はくるりと子供に背中を向けた。
 手を引いて行ってやってもいいが、俺を警戒してる子供に手を差し伸べたところで、向こうだって手を繋いだりしないだろう。

「俺は砂浜に行くだけだし、ついてくるなら好きにしろよ」

 後ろへ向けてそう言って、再びゆっくりと歩き出す。
 少し間を置いて、躊躇うようにしながらも、子供の足音が後ろからついてきた。







 辿り着いた砂浜は、細かい砂で柔らかかった。
 ああ助かった、と痛む足を投げ出して座り込み、広がる大海原を眺める。
 見回したところ船は見えないが、子供だって馬鹿じゃないだろうし、後はこの海沿いに歩いていけば最悪でも一周回りきる前には家族の下に帰れるだろう。
 自分自身がどうすればいいのかは分からないまま、そんなことを考えつつ子供の方を見やる。
 座り込んだ俺のすぐそばで、目を丸くして海を見やった子供が、それからキラキラとその目を輝かせて海へ向けて突進した。

「うみよい!」

 とっても嬉しそうに歓声を上げて、その足が砂浜へ押し寄せる白波に踏み込み、そこでどうしてかべちょりと転ぶ。
 そこへやってきた大波が子供の体をずぶ濡れにして、あーあ、とそのさまを眺めた俺は、子供の様子がおかしいのに気付いて目を丸くした。
 さっさと起き上がればいいのに、子供の体は砂の上にへたり込んで突っ伏したままで、どんどん寄せてくる波を受け止めているのだ。
 それどころか引いていく波の力に海へと吸い込まれそうにすらなっていて、おいおい、と声を零して立ち上がった。
 シャツを膝丈で結んでいると言う何ともみっともない恰好のままで、子供へ近付く。
 寄せて来た波が俺の足を濡らして、案外冷たいことにも顔をしかめた。

「何してるんだよ、さっさと立てって」

 声を掛けながら、子供の体をひょいと抱え起こす。
 むっと眉間に皺を寄せたまま、子供はどうしてか弱々しくその手で俺の腕を掴まえた。
 まったく力の入ってない指に、それでも縋るようにされて、意味が分からないながらも子供の体を乾いた砂の方へと引っ張る。
 大人の体だったなら簡単にできるかもしれないが、今の俺の体は子供とそれほど大差のない姿をしていて、中々に疲れる仕事だった。
 それでもどうにか子供を運び終えて、波に攫われる心配のないそこへぽいと子供を転がす。
 砂に突っ伏す形になった子供が、うぶ、と小さく声を上げてから、やや置いてジタバタと体を身じろぎ仰向けになった。
 顔中砂だらけになっていて、目を守るためかぎゅっと瞼を閉じているその様子に笑って、傍らに屈みこむ。

「悪い悪い、大丈夫か」

 声を掛けながらその顔から砂を払い落としてやると、恐る恐る目を開けた子供が、じろりとこちらを睨み付けた。

「ひどいよいっ! めぇいたいいたいするよい!」

 一生懸命訴えているが、そんなもの自分の手で払ってどうにかすればいいだけの話じゃないだろうか。
 そうは思ってみるものの、こんな子供に言っても伝わらないだろうと判断して、悪かった、ともう一度謝る。
 濡れてぺしょりと萎れてしまっているその髪からも砂を落としてやりながら、俺は子供の顔を覗き込んだ。

「お前、海が苦手とかか?」

 海水に触れただけでへたり込んでいた子供の様子を思い出して尋ねると、む、と子供が口を尖らせる。
 さっき見たのと同じアヒルかヒヨコのようなその口をひょいとつまむと、むずがるように子供が顔を逸らした。

「マル、あくまのみたべたのよい。だから、うみはへろへろよい」

「……アクマノミ?」

 何処かの熱帯魚のような、何だか聞いたことのある名前だ。自分には関わりのないことだと思って除外した気がする。本で読んだのだったろうか。
 少し考え込んだ俺の前で、でもまだうまくつかえないんだと子供が言う。
 今いちよく分からないが、それは何か超能力的なものなんだろうか。
 弱点が海だなんて漠然としているし、船乗り一家の一員だろうこの子供には何とも酷な話だ。さっきの様子を見るに、海水に触れると動けなくなるようだし、嵐のときは全く船の操舵を手伝えないんじゃないだろうか。
 まだ起き上がらない子供を見下ろして、ふうん、ととりあえず言葉を零す。

「それじゃ、体が乾いたら元気になるのか?」

「……なるはず、よい」

 尋ねた俺に、子供は少し自信なさげだった。
 まあ、まだ全身濡れているし、体には力も入らないんだろう。
 タオルか何かで拭いてやればましだろうかと考えてみるものの、見回したところで当然ながらタオルは手元にない。
 仕方ないので、俺はそっとシャツのボタンをはずした。

「……なにしてるのよい?」

 そっとシャツを脱いだ俺に、子供が不思議そうな顔を向けてくる。
 その視線を遮るように、とりあえず俺は自分が着ていたシャツで子供の頭を覆った。
 さすがに同性の子供とはいえ、全裸を見られるのは恥ずかしいものがある。俺は恥じらいの国で生まれ育った日本人だったのだ。

「よ、よい?」

「まあ、そんなに変わらないかもしれないけど、少しはマシになるだろ」

 じっとしてろよ、と声を掛けてから、ごしごしと子供の髪から海水を拭き取る。
 手元のシャツが濡れてしまうまでその体を擦り倒して、最後に広げたシャツから砂だけ適当に落とした後でそれを着込むと、濡れたシャツがぺたりと肌に張り付いた。
 少し冷たいが、見上げた空から注ぐ太陽は何とも暑苦しいし、すぐ乾くだろう。
 濡れて硬くなったボタン穴にどうにかボタンを通して、改めて膝丈でシャツを結んだ俺のとなりで、子供がぽかんとした顔でこちらを見ている。
 さっきより少しマシな顔になっているのは、俺のシャツが犠牲になった成果だろうか。

「どうだ?」

 濡れたシャツで体を隠してから尋ねると、子供がむくりと起き上がった。
 その手が自分の体の調子を確認するように両手を閉じたり開いたりして、それから改めてその顔がこちらを見る。

「…………おまえ、なんてのよい?」

 それからそう尋ねられて、俺は首を傾げた。
 何の話だろうかと見つめた先で、マルはマルよい、と子供が言う。
 その手が俺のシャツを掴まえて、なまえ、と口にしたのを聞いてようやく、俺は自分が子供に名を聞かれていることに気が付いた。

「ナマエだよ」

 だからそれに返事をして、『マル』を見やる。
 ナマエ、と人の名前を口の中で繰り返してから、子供がすくりと立ち上がった。

「ナマエ、ここでマルとオヤジまつよい」

「は? 探しに行かないのか?」

「はぐれたらうみのそばでまってろって、オヤジがいったのよい」

 だからまつよい、と言い放つ子供に、なるほど、と納得する。
 相手が船を持っているのなら、この小さな子供が歩くより、船で島の外側をくるりと回った方が見つけやすいだろう。
 建設的な意見だなと頷いた俺の腕を掴まえて、『マル』が俺の体をぐいと引っ張る。
 小さくなったままの俺の体はそれに傾ぎ、仕方なく立ち上がった。

「待つのに付き合ってくれってことか」

「そうよい! ナマエ、すなのおしろつくれるよい?」

 さっきまでの警戒はどこに行ったのか、そんな風に言いながら、子供が両手を広げて見せる。
 こーんなおおきいのをつくるんだと言い放ち笑う子供に、仕方ないなと俺は小さく息を吐いた。
 何がどうなってこうなったのか分からないことだらけだが、元の場所に戻る方法も分からないことだし、まあ、少しくらい子供に付き合ったって罰は当たらないだろう。

「バケツもスコップも無いから、そんなにすごいのは作れないと思うぞ」

「つくるまえからそんなこというなよい! マルはやればできるおとこよい!」

 俺の言葉を聞いて、子供が何やら燃えたぎった様子で拳を握る。
 はいはいとそれへ頷き子供の遊びに付き合った俺が、子供に謀られたのだと知ったのは、ジョリーロジャーを揺らして現れた『マル』の『オヤジ』を前にした数時間後のことだ。
 何が『ナマエをマルのおとーとにしてくれよい!』だ。まず俺の意見を聞いてほしい。『オヤジ』とやらも、グラララと笑って受け入れようとしないでくれ。
 その日のうちに元の姿に戻れたおかげで俺のポジションは『弟』から『兄』に変わったようだが、断り続けても諦めない子供に押し切られてしまった俺は、どうやら流されやすい日本人としての性根のままだったようだった。



end


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