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さよならのあと
※このネタから続き
※若干のバイオレンス注意



 死ぬかもしれない、と思ったのは久しぶりだった。
 あの人が海軍を辞めて、それを見送って最後の事後処理をした後で俺自身も退役して、適当な仕事を見繕ってマリンフォードを離れた。
 あちこちの仕事を受けながら、多数の人と一緒に転々と島を移動していったのは、マリンフォードから離れたかったからなのか、あの人をそれでも追いかけたいと思ったからなのか、それとも何かから逃げ出したかったからなのかは、もうよく分からない。
 もしかしたらどこかで『元の世界』へ帰ることが出来る場所に辿り着けるかもしれない、と思ったのかもしれない。
 そして、今はこれである。
 あちこちで人が倒れ伏して死んでいて、どこもかしこも血まみれだった。
 ぜい、と息を吐いてみてもどうにもならないのは、俺自身の体からも血が流れ出しているからだ。
 乗っていた船が海賊に襲われたのは、つい数時間前のことだった。
 たちの悪い海賊だったらしく、乗っていた人間を全て切り付けて何人かは船から蹴り落とし、女の何人かと積み荷の殆どを回収していなくなってしまった。
 海賊に応戦しようとして返り討ちにあい、最後に女の子を庇ったところで思い切り切り付けられた背中が痛い。
 俺も死んだと思ったのだが、どうやら情けなくも気絶していただけだったらしい。
 生きている人は他にもいるのだろうか。さっきの女の子はどうなったんだろうか。確かめたくても、体のあちこちが痛んでも動かず、どうにもできない。
 荒く息を吐いて、どうにもならない事態から目を逸らすようにそっと瞼を閉じた。

「は……なさけない……」

 かすれた声で呟いてみても、誰かが俺を慰めてくれたりはしなかった。
 あの人が聞いたら、ぐずぐず言ったってしかたないじゃないの、と軽くため息を零してくれるかもしれない。
 そんなことを考えていたら、ひやりと周囲の温度が下がった気がした。
 血を失いすぎたせいだろうなと、そんなことを考えて息を吐く。
 死にたくなんて無いが、助かる可能性がまるで見えない。
 そういえば、もし死後の世界と言うものがあるのなら、俺は『どちらの世界』の死後の世界へ行くんだろう。
 霞みがかった頭でぼんやりとそんな風に考えたところで、すぐ間近で、ぱきり、と音がした。
 まるで何かが踏み割られたような、その音には聞き覚えがあって、あれ、と眉を寄せた。
 それから、ふう、と聞こえたのはため息だ。

「…………何やってんの、ナマエ」

 真上から落ちた低い声に、俺は恐る恐ると、閉じていた目を開いた。
 血を失っているせいでか暗い視界の中にも、はっきりと人の姿が見える。
 体を半分ほど凍らせて、呆れた顔でこちらを見下ろしているその人の顔は、どう見たってあの人だった。
 口元が、少しだけ弛んだのを感じる。最初からあまり力の入らなかった体が、ぐったりと脱力したのを感じた。
 ひょっとしたら幻なのかもしれないが、最後にその顔を見れたなら、まあ幻でも構わない。

「……そっちこそ、なにやってるんですか、クザン大将」

 そんな風に呟いたところまでが、俺の記憶だった。







 もう一度目を覚ました時、俺の体は近くの島の診療所にあった。
 俺以外にも居たらしい生存者たちも、みんなそこで治療をうけているらしい。俺が庇った女の子も、何とか無事だったようだ。
 あの酷かった海賊達は、俺が目を覚ますまでの間に捕まって、海軍に突き出されたらしい。
 それを俺に話して聞かせてくれたのは、今俺の横に座っている誰かさんだった。

「…………」

 じっと視線を送った先で、椅子に座ったままのその人はむっつりと黙り込んだままでいる。
 俺が目を覚ましてから、状況に混乱する俺へ淡々と説明した後、ずっとその状態なのだ。
 いい加減気まずくて仕方ない。

「……あー……あの」

 どうしたものかと思って声を掛けたところで、じろり、とその目がこちらを見る。
 冷やかにも思えるその視線に、身動きもとれないベッドの上で肩を竦めると、その口からため息が漏れた。

「…………何で、マリンフォードにいないわけ」

 それから、低い声でそんな風につぶやきが寄越される。
 何の話だろうと瞬きをした俺の横で、待ってるって言ったでしょうや、と彼が唸った。

「そのくせ会いに行ったらいないだなんて、嘘吐きもいいとこじゃない。探すのにおれがどんだけ苦労したと思ってんの。せめてどこに居るのかくらい教えときなさいや、会えたからまァ良かったものの」

「えっと……」

「でかくない体で、親しくない女の子まで庇っちゃって。そのくせ頑張りきれずに気絶しちゃうし」

 意味ないでしょうが、と人へ向けて詰るような言葉を寄越されて、俺は軽く眉を寄せた。

「……何でそんな、理不尽なこと言ってるんですか」

 どれもこれも、俺にはどうしようもないことじゃないだろうか。
 向こうが俺を懐かしんで会いに来るなんて思わなかったし、居場所なんて知らないんだからどこに居るかなんて伝えようがないし、女の子を庇ってしまったのだって考えるより先に体が動いていたのだ。
 頑張りきれなかったのは俺の体が普通の人間だったからで、そこはもう仕方の無いことだと思う。
 彼だって、俺がそう言う奴だと言うことくらいは知っているはずだ。
 俺の言葉に、元海軍大将が眉間に皺を寄せた。

「何でナマエが、そんな顔するわけ?」

 不機嫌ですと言いたげなその顔を見つめれば、俺の方を見たままで人のベッドに頬杖をつき、彼はその顔を少しだけ俺の方へと近付けた。
 身を引いて逃げ出したいところだが、背中が痛いのでそれも難しい。
 俺の顔をじっと見つめて、彼が口を動かした。

「機嫌悪くなるのはおれの方でしょうが」

「まあ、不機嫌そうな顔はなさってますけど」

 俺へ向けて言い放つ相手へ、俺はひとまず頷いた。
 ついでに言えば、個室の中の気温が少しだけ下がっているような気がする。気のせいだと思いたいが、すぐ傍らに座る元海兵がヒエヒエの実の能力者であることを考えると、そうとも言い難い。
 そう言えばサカズキ大将はよくマグマを散らしていたななんてことまで考えてから、俺はベッドの上に横たわったまま、ちらりと自分のものに比べて大きな手を見やった。
 俺の視線に気付いて、何、と彼が言葉を落とす。

「いえ。火傷、もう平気なのかと思って」

 大きな怪我がある程度治ったところで退院してしまった彼は、火傷まみれのその体を衣服で隠して、そのままマリンフォードから去っていってしまった。
 あの時はまだ、その手は火傷を負っていた筈だ。今は不自由なく動いているようだが、完治したんだろうか。
 俺の言葉に、彼が少しだけ変な顔をする。
 それからため息が落ちて、あのね、と言葉が放たれた。

「状況分かってんの? 人の心配する前に、自分の心配しなさいや。おれが来なけりゃ、そのまんま死んでたでしょうが」

「はい、久しぶりに、ああもう死ぬなァって思いました」

 寄越された言葉に頷いて、そういえば、と言葉を続ける。

「クザン大将に死にそうなところを助けてもらったのは、二回目ですね」

 ありがとうございました、とそういえばまだ言っていなかった礼を口にしてから、俺はへらりと笑みを浮かべた。
 この世界に来て海を彷徨い、死にそうになっていた俺を助けてくれたのは、この人のその手だった。
 あららら、と声を漏らして俺を拾って、そのままマリンフォードへと連れて帰ってくれた。
 だから俺は、この世界が『どういう世界』なのかを知っても、この人が『誰』なのか分かっても、いつか置いて行かれると分かっていてもその時までは一緒にいたくて、海軍に入ったのだ。
 もう二度と会わないだろうと思っていただけに、今さらながら何だか嬉しくなった。
 そんなことを考えていた俺の頬が、むにり、と何かに捕まれる。
 驚いて目を瞬かせると、頬杖をついているのとは逆の手を動かした彼が、どうしてか俺の頬をつまんでいた。

「……クザン大将?」

「酷い目に遭ったくせに、何笑ってんの」

 そんな風に言いながらさらに何かを確認するようにむにむにと指を動かして人の頬をつまみ、やや置いてその手が離れた。

「それにしたって、海軍にいた時よりずいぶん笑えるようになったみたいじゃない」

「あれ……そうですか?」

 自覚はあまりないが、そうだろうか。
 まあ、物売りの仕事をすることも多かったし、愛想よくする必要があったから、確かに前よりは笑ったりするようになったと思う。
 何より、統率の厳しい海軍の中にいる時よりは格別に自由があるし、生きていくのにそれほど必死にならなくてよくなった、というのも一つの原因かもしれない。
 俺の顔を眺めて、無自覚なわけね、と呟いた彼は、どことなく面白くなさそうな顔をしていた。
 それがどうしてかは分からないので、軽く首を傾げてから、そうだ、と口を動かす。

「クザン大将、この島にはいつまでいらっしゃるんですか?」

 多分、俺の退院はまだ先だろうし、俺が動けるようになる前に彼の方が旅の続きに戻ってしまうだろうけど、それまでの間は時々でいいから見舞いに来てくれないだろうか。
 きょろりと白い壁にカレンダーを捜しながら尋ねた俺が、目的のものを見つけられなくて仕方なく傍らに視線を戻すと、彼がまた妙な顔をしていた。
 不機嫌と言うより、どちらかというと拗ねているように見える。
 俺よりずいぶん年上な大将青雉がそんな表情をするはずもないのに、不思議に思って視線を注げば、さっきまで俺の頬を好き放題にやっていた手が動き、まだ点滴につながれている俺の腕を軽く捕まえた。

「ナマエ、さっきも言ったけどさ」

「? はい」

「おれ、ナマエに会いに来たんだけど?」

 なのにわざわざそんなこと訊くわけ、と問われて、だってもう会ったじゃないですか、とそれへ返事をする。
 彼が何をしているのかまでは俺は知らないが、この人はグランドラインの『新世界』へ進んでいるべき人間なのだ。
 だからそこまで戻ってしまうだろうと思っての俺の問いかけに、彼は眉間にもう一度皺を寄せた。
 その口がもう一度ため息を零して、幸せが逃げますよ、とそちらへ助言する。

「……誰のせいだと思ってんの」

 俺へ向けてそんな風に唸ってから、彼はがくりと肩を落とした。
 俺の言葉のどこに、気落ちするような部分があっただろうか。
 よく分からないが、目の前で肩を落とされてしまった俺が不思議に思って見つめた先で、少し間を置いてから彼がうつむいていた顔を上げた。
 ぐっとその手が俺の腕を掴まえて、ちょっとだけ痛い。

「あの時言ってたことは、まだ覚えてるか」

「あの時?」

「おれの病室で、ナマエが言ったことでしょうや」

 おれの病室、という単語に、俺が頭の中に思い浮かべたのは、俺の腕を掴んでいる元海兵が、その体に火傷を負って入院していたあの時のことだった。
 海軍を辞めると言った彼に、そうですかと頷いたのだ。
 そうなることを俺は知っていたから、止めようともしなかった。
 あの時交わした言葉を思い出そうとしている俺の横で、彼が口を動かす。

「だから、迎えに来たんだけど」

 寄越された言葉に、自分が言った言葉をよくやく思い出した。

『もし寂しくなったら、迎えに来てくださいね。ついていきますから』

 ぱち、と瞬きをして、俺はしげしげと彼を眺める。
 俺の視線を受け止めて、どうなの、と尋ねながらも、彼は俺の腕を放すつもりはなさそうだった。
 その握力でなら俺の骨なんて簡単に砕けてしまうだろうと思うので、一応の手加減はしてくれているようだが、やっぱりちょっと痛い。
 けれども、痛いから放してくれと言うのも何となく憚られて、俺は関係の無いことを口にした。

「……寂しくなったんですか?」

 俺が知っている『青雉』は、確か新世界では大きなペンギンも連れて行動していた筈だ。
 それに、どちらかと言えば一人であちこちを放浪したり、サボった後でだらだらと昼寝をするのが好きなこの人が『寂しい』なんて思うことがあるなんて、思いもしなかった。

「悪い?」

 俺の言葉に眉を寄せて、彼が軽く呟く。

「やっと捕まえたんだから、逃がすつもりもねェけど」

「そうですか」

 寄越された、すこし我儘な言葉へ返事をしてから、俺はそっと自由な方の腕を動かした。
 そんな風に言ったって、俺が嫌だと言ったらきっと、この人は俺のことを逃がしてくれるんだろう。
 体力が落ちているのか、随分重たいその腕をどうにか運んで、人の腕を握り込んでいる彼の手へと重ねる。
 いつもだったらひんやりとしているように感じるはずなのに、相手が手袋をしているからか、それともまだ俺の体に血が足りていないのか、自分と相手の温度の違いも分からなかった。
 捕まえたつもりでその手を掴んではいるけど、俺の体にはほとんど力が入らないので、いやだったら向こうの方から俺の手を振り払うだろう。
 そうせず、触れられるがままに俺の手を受け入れたその手は、まだしっかりと俺の腕を掴まえている。

「それじゃあ、ついていきますね」

 ベッドに殆ど寝たままでそう告げた俺の前で、彼がわずかに口元を弛ませた。
 笑ったように見えたけど、それを確認しようとしたところで、ずっと頬杖に使われていた方の手がこちらの頭へと伸びてきて、無理やり目が塞がれる。

「わ」

「それじゃ、早くその怪我治しなさいや。怪我人つれて進めるほど、グランドラインは甘くねェんだから」

 目を塞がれたせいか、聞こえた声は随分と優しげに聞こえた。
 俺が触れていた方の手がするりと手の下から逃げて行って、代わりのように動かした腕を元の位置まで戻され、少しめくれていた布団が直される。
 そのまま立ち上がろうとした気配に、俺は慌ててまだ頭に触れている手を片腕で掴まえた。

「ナマエ?」

 俺のそれに気付いて、動きを止めたらしい彼が俺の名前を呼ぶ。
 どうしたのか、と問いたげなそれに、何で自分がその腕を掴んでしまったのかも分からない俺は、えっと、と声を漏らしてから改めて腕を降ろした。

「すみません……なんでもないです」

 帰ってしまう、と思ったら、思わず手を動かしてしまったのだ。
 むしろ、自分の行動にこそびっくりだった。引き止めても、俺はただ寝ているだけだし、相手を退屈させるだけじゃないか。

「ふうん?」

 俺の目をふさいだまま、そんな風に声を漏らしてから、彼はどうやら椅子へと座り直したようだった。
 ぎし、ときしむ音が聞こえたのは、あまり見ない大きさの彼に対して、この診療所の備品である椅子がけなげな努力をしているからだろう。

「仕方ねェな。ナマエが寝るまで、ここで待っててあげるから」

「え? あ、いえそんな、俺のことはお気になさらず……」

「いいからいいから。置いてかれるのは、妙に寂しいもんなァ」

 しみじみとそんな風に言葉を落とされる。
 自分が考えもしなかったそれが真実のように思えて、ぶわりと汗をかいたのを感じながら、そんなことありませんよ、と慌てて口を動かした。
 しかし、慌てたせいで妙な声になってしまって、全く説得力が無い。
 喉で笑うような音が聞こえたので、多分彼が笑ったんだろう。さっきまで怒っていたくせに、いまやすっかり上機嫌だ。
 それが何とも恥ずかしくて、どうにも出来ない状態のまま、とにかく眠りに逃げようと努力した俺がその逃亡に成功したのは、それから一時間近く経ってからのことだった。



end


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