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目覚めたら天使
※このネタから



「ナマエ」

 クルーがよくたむろっている部屋の一つである食堂へ足を運んだマルコは、その部屋の端に座っている青年へ向けて声を掛けた。
 それに気付いて身じろいだ彼が、和気あいあいと楽しげに何やらカードゲームを楽しんでいるクルー達から視線を動かして、マルコの方へと視線を向ける。

「マルコ」

「まァたそんなんでぼんやりしてんのかよい」

 名前を呼んできた相手にため息を吐きながら、近づいたマルコの手が青年の頭に乗せられているタオルに触れた。
 濡れている髪をかき混ぜるようにガシガシとタオルで拭いてやると、うぷ、と小さく声を零しつつナマエが体を強張らせる。
 構わず髪を拭いてやってから、マルコが最後にその髪をかきあげるようにしてやると、小さく息を吐いたナマエが顔を上げた。

「もう少ししたら、ちゃんと拭くつもりだったのに」

「その『もう少し』の間に風邪引くだろい」

 呟く彼に言葉を落としつつ、マルコの手がナマエからタオルを取り上げる。
 残念そうな顔をしながらも、ナマエは手を伸ばすことは無く、ただタオルが奪われるのを見送った。
 マルコ達のやり取りが見えたのか、カードゲームに興じていた一人であるエースが、おーいと軽く手を上げた。

「ナマエ、暇だったらお前も混ざれよー」

「てめェエース、また自分の負けをナマエに押し付けようとしてんだろう」

「ちっげーよ! おれはナマエと共同戦線を張ってサッチを倒すんだよ!」

「それ今言っちゃってどうするのさ」

 そんな会話をにぎやかに交わしながら、他のクルーもこいこいとナマエへ向かって手を招く。
 少しためらうようにそちらを見やったナマエに軽く息を吐いて、マルコの手がとんとナマエの背中を叩いた。

「呼ばれてんだから行ってこいよい」

「あ、いや……えっと……分かった」

 促されて、ふらりと立ち上がったナマエの足がエースたちが囲むテーブルの方へと向かう。
 おずおずと歩いた彼がエースに腕を掴まれて、そのまま椅子に座らされるのを見てから、やれやれとマルコは肩を竦めた。
 一見して整って見える顔立ちの彼が、風呂上りにどうして今のように髪もきちんと拭かずに椅子に座っているのかを、マルコは知っている。
 頭からかぶったタオルで、周囲を窺うその視線を隠すためだ。
 マルコがつい先日、海上で発見した小舟から拾い上げたナマエという名前の青年は、少し変わった青年だった。
 なぜかは分からないが急にグランドラインに放り出されていたのだと言い、行くあても無いというナマエを船に乗せると決めたのはマルコ達が敬愛する船長『白ひげ』だ。
 言い渡された時には嬉しそうな顔をしたくせに、ナマエはいまひとつ、この船のクルー達から一歩引いているように見える。
 マルコ達からすればよく分からないようなところに恥じらいを感じるらしく、風呂だって誰かと共同で入るのを避けようとして、遅い時間にこそこそと入ることが多い。
 体のどこかにどこぞの海賊の刺青でも入っているのかと気にしたエースが無理やり風呂に付き合わせようとしたときは猛烈な勢いで逃げ出して、半裸のまま涙目でマルコの後ろに隠れてしまったほどだった。
 共同部屋で眠る時も部屋の隅にいることが多く、身動きもほとんどしない。
 あまりにも縮こまって眠るものだから、体が強張ってしまうんじゃないかと気にしたクルーがハンモックの一つを明け渡そうとしたが、部屋の殆ど中央に張られたハンモック達を見たナマエは頑として首を縦に振らなかったらしい、とは同部屋のエースから聞いた話だ。
 それがただの遠慮なのか、それとも他人に取り囲まれた場所で眠ることへの抵抗感なのかは、ナマエでは無いマルコには分からない。
 ただ分かるのは、ナマエがいつも離れたところから、クルー達を観察しているということだった。
 『家族』らしく『兄弟』らしく和気あいあいと過ごす彼らの方へ、ナマエはその足を踏み出していこうとはしない。
 ただ遠くから眺めて、観察して、それで満足しているようなナマエの様子を、マルコは何度も眺めてきた。
 どうせ眺めるなら、もっと近くで眺めていればいいのだ。
 ナマエがその内側にどういった感情を抱えているのかは分からないが、その目を見れば、よその海賊からはおかしなものを見る目で見られることもある『白ひげ』の息子達に負の感情を抱いていないことくらいは分かる。
 気になるなら自分もそちらへ行けばいいのに、何かがナマエの足を引き止めているのなら、マルコはその背中を押してやるまでのことである。
 前のめりになって転んだところで、向かい側にいる『家族』の誰かがナマエを受け止めることくらい、マルコはちゃんと知っているのだ。

「よっしゃー!」

「エース、そんなに喜んだら手札を隠す意味が……」

「お! 何か引きやがったな。だが、このサッチ様に勝てるかな?」

「おれはナマエの手札がなんかすごく怖い気がするんだけどねー……」

 楽しそうに声を上げたエースの横で、困ったような声をナマエが出して、サッチやハルタ達がそれを囲んで笑っている。
 楽しそうなその様子に、先ほどナマエから取り上げたタオルを軽く畳んだマルコは、それを片付けたら自分もそのテーブルへ混ざることに決めて、とりあえずは食堂を後にした。







 乱入したマルコがそれなりにカードゲームを楽しんだ頃、ようやく本日の遊戯がお開きになった時には、時刻は真夜中に差し掛かっていた。
 明日の仕事もあるのだからとその場で解散して、マルコの足が隊長格に宛がわれた私室へ向かう。
 その足がふと止まってしまったのは、先に食堂を出たはずの背中が、甲板へ向かう通路の奥に見えたからだ。

「……ナマエ?」

 思わず名前を呟いて、その後を追いかける。
 甲板へ出て行ったナマエを追って甲板に出たマルコは、見回した広い甲板に何人かいるクルー達の中に先ほどの背中が見えないのに、少しばかり首を傾げた。
 きょろりと周囲を見回すマルコに気付いてか、甲板で酒を飲んでいたクルーの一人がマルコに酒瓶を放る。
 一緒に飲んでいけと言う誘いに笑って断りを入れてから、受け止めた酒瓶を投げ返したマルコの足は甲板の端へと向けられた。
 上のデッキから見渡せば見つかるか、と階段へ向かおうとしていたその足が、階段わきに並べられた酒樽の影に見えた人影に動きを止める。

「ナマエ?」

 マルコが呼びかけると、酒樽の影に座り込むようにしていた青年が、その目をちらりとマルコへ向けた。
 不思議そうなその顔に、何してんだよい、と尋ねながらマルコの眉間に皺が寄る。
 何故なら、ナマエの体の半分が、どうやら持ち出してきたらしい毛布によっておおわれているからだ。
 まるで見張り台のクルーのような恰好だが、背中を酒樽に預けてくつろごうとしていたその体勢は、誰がどう見てもその場で『眠ろう』としていたように思える。
 今は確かに春島の近海で暖かな陽気だが、そうだとしてもわざわざ甲板で眠る必要がどこにあるだろうか。
 マルコの視線を受け止めて、ナマエがおずおずと視線と顔を逸らした。
 いたずらが見つかった子供のようなその動きにため息を吐いてから、マルコがどかりとナマエの傍に座り込む。
 ぐいと体を押し付ければ、慌ててナマエが身じろいで、マルコと自分の間に隙間をあけた。

「こんなとこで寝て、風邪引いたらどうすんだよい」

「最近は暖かいから、大丈夫かと思って」

 マルコの言葉に、ナマエが答える。
 そういう問題かとそれへ唸ってから、マルコの手がナマエの頭を捕まえた。
 がしりと掴んだそれを無理やり自分の方へと向けるようにすれば、ぎりぎりと体を軋ませながら、それでもどうにかナマエの目がマルコを見やる。
 痛い、と呟く馬鹿には構わず、マルコが口を動かした。

「そんなに、あそこで寝るのがいやかい」

 ナマエの寝床に宛がわれているのは、他のクルー達が何人も寝ている大部屋だ。
 ナマエはまだこの船のクルーでは無い『客人』だが、女ならともかく、男に気遣って個室をやるようなスペースの余裕などモビーディック号には無いのである。
 危険な相手、油断ならない相手ならその限りではないが、ナマエが馬鹿な真似をしでかさない人間であることなどすでにマルコも『白ひげ』も他のクルー達も知っているし、信用されていることくらいナマエだってわかっているだろう。
 マルコの言葉に、おずおずとナマエが頷く。

「その……大人数で眠るのに、慣れなくて」

 そっと呟いて、ナマエの目が伏せられた。

「何かその……ハムスターみたいにまとまって寝てたりするし」

「……はむすたー?」

「他の人を抱き枕にしたりだとか……エースなんて暑がりだから時々脱いでるし……そのくせくっついてきたりするし……どうしようかと」

 ぽつぽつ呟きつつ目を逸らしたままのナマエに、ああ、とマルコが小さく声を漏らす。
 雑魚寝をしているのだから当然だが、寝相のいいクルーばかりでは無い。気付けば誰かと位置が入れ替わったりしているなど、よくある話だ。
 自らも経験のあることだが、その光景を想像してみると何ともむさくるしく、マルコはそっと自分の想像図を頭から追い出した。
 恐らくはその光景をその目にしたのだろうナマエが、ふるりと体を震わせている。
 酒樽の影になっているので顔色はよく分からないが、もしかしたら思い出して気分が悪くなっているのかもしれない。
 その傍らで、ナマエの頭から手を離したマルコは、そうは言ってもねい、と肩を竦めた。

「これだけの大人数だ、隊長にでもなりゃあ別だろうが、一人だけの部屋なんてなかなかやれねえよい」

「うん……その、だから今日はここで」

「それはダメだよい」

 馬鹿なことを言い出す相手に言い放ち、マルコは首を横に振る。
 目の前の天候があてにならないのがグランドラインでの常識だ。
 今は晴れているが、急にどんな悪天候にならないとも限らない。
 そんな空の下で眠りこけていたら、いくら他より大きな船であるモビーディック号の甲板の上からでも海に放り出されてしまわないとも限らないだろう。
 何より、こんな場所では体調を崩すに決まっている。
 きっぱりとしたマルコの言葉に、うう、とナマエが小さく声を漏らす。
 困った顔をしている相手をちらりと見やってから、マルコは軽くため息を零した。
 そのままナマエの横から立ち上がって、身を屈めて手を差し出す。

「ほら、船内に戻るよい」

 マルコがきっぱり言い切ると、眉を下げたままのナマエは、けれども小さく頷いた。
 ナマエがマルコの決定に逆らわないのはいつものことだ。
 助けてくれとマルコに縋ってきたあの日から、ナマエはマルコに絶対服従だった。
 それが自分の命を助けてくれた相手に対する精一杯の返礼なのか、それともただ単純にナマエがそういうふうに誰かに服従する環境で生きてきたのかは、マルコには分からない。
 とりあえず分かるのは、マルコが『大部屋で寝ろ』と『命令』すれば、ナマエは大人しくあの部屋で今まで通り寝る努力をするだろうということだ。
 慣れるまではそうさせるしかないのだろうが、最初から慣れない場所に放り込んでいては、そのうち寝不足になってしまいかねない。
 ただでさえナマエは大人数での生活に慣れていないようなのだから、じわじわと慣らしていく必要がある筈だ。
 それなら、その『慣らす』役目は、ナマエをこの船へと連れてきたマルコのものだろう。
 そこまで考えて、仕方ないねい、と小さく笑ったマルコの手が、おずおずと伸びてきたナマエの手を掴まえる。

「よい」

「わっ」

 そのまま腕を引っ張れば、体を引っ張り上げられたナマエが勢いよく立ち上がった。
 勢い余ってその体が少し前に傾いだのを肩で支えてから、姿勢を直したナマエの足元の毛布を拾い上げて、マルコはそのまま歩き出す。
 片手はしっかりとまだナマエの手を掴まえているので、当然ながらマルコの歩みにナマエもついてくることになる。

「マ、マルコ?」

 手をつながれていることに困惑しているのだろう、戸惑い交じりの声が後ろから放たれて、マルコはちらりと肩越しにナマエを見やった。
 しっかりと手を掴まえたままで、マルコの口が言葉を零す。

「『誰か』と寝るのに慣れるまでは、おれんとこを貸してやるよい」

「え?」

「ベッドは一つしかねェから、寝袋で我慢しろい。なんなら一緒に寝てもいいけどよい」

「え」

 抱き心地は悪そうだが慣れさせるためなら我慢してやってもいい、と考えて呟いたマルコの後ろで、ナマエが何とも間抜けな声を落としている。
 随分整っているはずの顔が幼い戸惑いを浮かべているのを見て、何変な顔してんだよいとそれへ笑みを向けてから、マルコはそのままナマエを自室まで連行した。
 ナマエは少しばかりの抵抗を示したが、結局はマルコに促されるままに寝袋を纏って、床に転がされて眠りについていた。

 朝、中々起きないナマエにため息を吐いたマルコが、抱き上げて起こしてやった時に変な悲鳴を上げていたのは、中々に面白かった。




end


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