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しあわせなせかい (1/3)
※トリップ主が人魚に
※若干のサッチ生存ルート表現



 ふと目を覚ましたら異世界だった、なんて話は、映画やアニメや本の中だけのものだとナマエは思っていた。
 その認識を覆されたのは、あの日、階段を降りていたら『何か』に引っ張り上げられた時のことだ。
 うわあ、なんて悲鳴を上げても誰にも聞こえず、困惑したナマエの体は駅の天井すら通り抜けて上へと上昇し、驚きと恐怖のあまりナマエは失神した。
 そして、目を覚ました時には『異世界』に居たのだった。
 何せどう考えても海の底で、見たことも無いような大型の生き物があちこちを泳いでいるのだから、『異世界』以外の何物でもないだろう。
 何より驚くべきことにスラックスを穿いていた筈のナマエの両足は魚のようなそれに変化していて、水の中だと言うのに呼吸にすら困らなかった。
 ナマエはいわゆる『人魚』の風体となっていた。
 男の人魚なんてどうなんだよ、とひとり呟いてみたが、ナマエに同意してくれるものも意見してくれるものも周囲にはいない。
 一人きりで、泣いても喚いても寝ても起きても状況など変わらず、やがてナマエはひとまずそこから泳ぎ出すことにした。
 元の世界に帰るにしても帰らないにしても、じっとしていたって始まらないと気付いたのである。
 水泳はそれほど得意でも無かったはずだが、下半身のおかげで難なく泳ぐことが出来た。
 他の魚や生き物たちよりも早く泳ぐことが出来て、何やら魚達とは片言ながら言葉を交わすこともできた。
 あまりにも体が海になじんでいたから、もしも上半身を日本製と書かれた服で隠していなかったら、ナマエは自分がもともとこの世界の生まれだと錯覚してしまっていたに違いない。

「……ん?」

 今日もまた、あても無く海の中を進んでいたところで、ふとナマエは自分の真上が騒がしいことに気が付いた。
 どぼんどぼんと何かが海面を叩く音が響いて、怯えたように先ほどまでナマエにまとわりついていた魚たちが逃げ出していく。
 名残惜しくそちらを見送ってから、海の底へと体を沈めつつ、ナマエはもう一度海面を見上げた。
 とても大きな船が、ゆっくりと海底へと影を落として来ているところだった。
 すぐ傍らには、全く比べ物にならないほど小さな船がいくつか見える。
 どぼんどぼんと水を叩く音は大きな船と小さな船の間から響いていて、白い泡を零すそれが爆発物なのだとナマエはようやく気が付いた。

「……まーた海賊かよ」

 思わず呟いて、口の端から泡を零す。
 この『異世界』には、海賊と呼ばれる生業の悪者がいるらしい。
 それは魚達から聞かされた知識で、いわゆる『人魚』に該当するナマエは絶対にその姿を見せてはいけないのだと、ナマエも重々言い聞かせられていた。
 何でも『人魚』というのはとても珍しい生き物で、もちろん女の方が人気だが、男であっても海賊達に狙われてしまうのだということだ。
 上半身が水を吸い込んだカッターシャツの男人魚を狙うなどマニアックにもほどがあると思うのだが、思わず呟いたナマエへ『まにあっく?』と魚が不思議そうな声を零したので、ナマエのボキャブラリーは少なくとも海の中では通じないものであるらしい。
 『海賊』が『人魚』を狙う、と聞いて漫画を思い出してしまったナマエは、自分の平穏な脳に小さく笑って、海底の岩にそっと手を触れた。

「何か落ちてこないかなー」

 死体は遠慮だが、いい加減ボロボロになったシャツの替えぐらいは欲しい。
 そんなことを考えて海面を仰いでいたナマエは、ふと白い泡に混じって何かが沈んでくるのに気が付いた。
 ん、と声を漏らして目を凝らして、それが人の形をしていると気が付く。
 必死になって海面へ向けて泳ごうとしているが、その足に大きな鉄球が括り付けられていて、それが泳ぎを邪魔しているのだとすぐに分かった。

「うわ、ひどっ」

 思わず呟いて、ナマエの体が海底から泳ぎ立つ。海賊と関わりたくないとは言っても、さすがに目の前で死なれるのは困るのだ。
 海の中では最速とも思える人魚の尾は簡単に沈みゆく人間の体までたどり着き、もがく動きが緩慢になりつつあった男の腕を、ナマエはがしりと掴まえた。

「大丈夫か?」

 問いかけながら、ナマエの目がその顔を覗き込む。
 茶色の少し長い髪を水の中に揺蕩わせて、半ば閉じかけた男の目がナマエを見やった。
 左の目の横あたりに切り傷があって、溢れた血が水の中へと溶けていっている。
 男がゆっくりとそのまま目を閉じ、ナマエの掴んだ腕からゆっくりと力が抜けたのを感じて、ナマエは慌てて両手で男の体を抱え直した。

「す、少しだけ我慢しろよ、すぐ海面に出るからっ」

 声を掛けながら、必死になって尾を動かす。
 重たい鉄の塊が邪魔をしていたが、それでもどうにかナマエは男を海面まで運ぶことが出来た。
 ぷは、と水を口から吐き出して、すぐに男の頭を水の上へと引き上げる。

「なあ、おい、目ェあけろって!」

 声を掛けつつ、両手で男の体を抱えたまま、ナマエはごちごちと頭で男の頭を叩いた。
 本来なら片手でも支えられる筈だが、男の足元のものがそれを邪魔しているのである。
 ナマエからの頭突きを受けても、男はうめき声の一つも零さない。
 男の体をそれ以上沈めないよう必死になって尾を動かしながら、どうしよう、とナマエは慌てて周囲を見回した。
 けれども、そこは深い海底が広がる海原の真ん中で、当然ながらちょうどいい陸地や岩場などは見当たらない。
 このままでは自分の腕の中でこの男が死んでしまうのではないかと、冷汗すら掻いたナマエのすぐ近くで、怒号のようなものが聞こえた。
 あまりにも大きなそれにびくりと体を揺らしてから、ナマエがそちらを振り返る。
 その目に、海原に悠々と浮かぶ巨大な船と、それから逃げるように離れていくいくつかの小さな船が映りこんだ。
 どうやら、海賊達の小競り合いは、大きな船の方が勝利を収めたらしい。
 海賊船にしては可愛らしい船首の船を見やりながらそう把握して、は、とナマエはもう一度男を見やる。

「な、なあ、お前、あっちの船か?」

 大きな船の方を示しながら声を掛けてみたが、気絶している男はやはり返事を寄越さなかった。
 もしも大きな船の方なら、声を掛ければ助けてもらえるのではないだろうか。
 そう判断して、男を抱え直したナマエが船を仰ぎ見る。
 もしも違えば、『敵船』の船員などこの船の海賊にとっては知ったことでも無いだろうし、それよりも人魚であるナマエの方に注目するだろう。
 海賊には近寄っちゃいけないんだと何匹もの魚に言われたことを思い出すが、いまだ意識を取り戻さない男の体を抱えたままで、勇気を出すべく息を吸い込む。
 行動しなければ腕の中の人間が死ぬだけなのだから、ナマエには賭けるしか道が残されていない。

「……なあ! ちょっと! そこの船のひと!!」

 結果として、賭けはナマエの勝利だった。





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