モモンガさんと誕生日 2020
※『仕方のないこと』設定
※有知識トリップ系主人公は市民
〇月、◇日。
モモンガにとってその日付は、とても大切なものだ。
「あ、モモンガさん」
「待たせたか」
「今来たところですよ」
待ち合わせをした夜七時、マリンフォードの一角で、現れたモモンガを見上げた相手がそう言って笑う。
ナマエという名前の彼は、このマリンフォードで家政夫を生業としている移民の一人だ。
背丈はモモンガよりも小さく、もちろん海軍将校であるモモンガよりも非力だが、細やかな箇所に気が利く。
身じろぐ彼の動きに違和感はないが、その片腕が傷を負い、その後遺症で多少動かしづらくなっていることを、モモンガは知っている。
ナマエのその怪我の原因は、モモンガへ対する恨みから来るものだったからだ。
雇われたハウスキーパーとして鍵を預かっていたナマエを襲い、モモンガの自宅の鍵を奪おうとした不届きな輩達は、すでにすっかり捕まっている。
二度とそのような馬鹿なことを考えないようにと懲らしめはしたものの、彼らが現れなければ雇われの家政夫であるナマエとモモンガがこうして待ち合わせをするようなことも無かっただろうから、その点は少し複雑だ。
「それでは行こう。まずは食事からだ」
並び立ってモモンガが声を掛ければ、はい、とナマエが返事をする。
すでに予約を取ってある飲食店のある方向へ彼が歩き出すのを促しながら、モモンガも足を動かした。
ゆっくり足を運ぶモモンガが視線を向ければ、モモンガよりも早い速度で足を動かしながら、きちんと隣を歩いているナマエがいる。
「モモンガさん、今回の遠征はどうだったんですか? 秋島に行くっておっしゃってましたが」
「ああ、丁度秋の季節が訪れていてな。食料の補給には事欠かなかったのだが、そこで一つ変わった果実があって」
モモンガの紡ぐ話を聞いて、へえ、と声を漏らしたナマエが楽しそうにモモンガを見上げる。
寄こされたその視線を受け止めて、モモンガの口元にもいくらかの笑みが浮かんだ。
※
あれは、マリンフォードに冬の訪れた、冷えた夜のことだった。
遠征から帰還し、どうにか辿り着いた自宅に付けられていた明かりを見て、そう言えばハウスキーパーを雇っていたのだとモモンガは思い出した。
鍵を開けて入り込んだ家の中は温かく、わずかに料理の匂いがする。
家の奥には人の気配があり、時刻は遅いはずなのにと思わず玄関先の時計を確かめたモモンガの耳に、あ、と声が響いた。
『お帰りなさい、モモンガさん』
奥からひょいと顔を覗かせて、帰宅したモモンガを見やって声を掛けてきたのは、ナマエという名の青年だった。
見た目はいたって普通だ。背もそれほど高くはない。体にもそれほどの厚みは無く、彼は間違いなく、平凡な民間人だった。
けれどもその顔には穏やかな雰囲気が滲んでいて、モモンガの方へと向けられた微笑みは柔らかい。
『ご無事で何よりです』
お食事温めますね、と優しく言い放つ彼を見て戸惑いながらも、ああと答えてしまったのはなぜなのか。
モモンガがそれを自覚したのは、彼の温めてくれた夕食を口にしながらのことだ。
『誰か』が温かく迎えてくれる家のぬくもりを、モモンガはその日久しぶりに受け止めた。
その『誰か』は彼であればいいと思ったのは、もう、随分と前のことだ。
「誕生日おめでとう、ナマエ」
「え? あ、あの……」
訪れたレストランで、それなりに金額の掛かった食事をした。
個室に通されたナマエはきょろきょろと落ち着かない様子だったが、人目がないこともあって落ち着いてくれたらしい。
出された食事はどれも美味で、モモンガに比べて小さなナマエの胃もしっかりと満たしてやれたようだった。
デザートも終わり、コーヒーを出されたところで差し出した贈り物に、ナマエがぱちぱちと目を瞬かせている。
食事も奢っていただいているのにとその顔に書いてあるのが見て取れて、モモンガは微笑みながら彼の前に贈り物を置いた。
「それとこれとは話が別だろう。これは今回の遠征先の島で買ってきたものだ。ナマエに渡したいと思って選んできた」
だからただの土産だと思って受け取って欲しいと囁けば、少しだけ困ったような顔をしながらも、ナマエの手が包みに触れる。
ありがとうございます、と律儀に礼を紡いだ男に頷いて、開けてみてくれとモモンガは促した。
はいと声を漏らしたナマエの手が、するりとリボンを解く。
過剰なほどしっかりと包装されている包みを開き、出てきた箱の蓋がひょいと開かれた。
「…………くだもの……の、置物?」
箱の中身を覗き込み、ナマエが首を傾げる。
その手がそっと箱の中から取り出したのは、確かにナマエの言う通り、果物を模った置物だった。
樹木を模した枝が添えられ、大きな果物にしがみ付く動物までしっかりと作り込まれている。大きさはナマエでも持ち上げられる程度のもので、作りは精巧だ。
「厄除けらしい。玄関先にでも飾ってくれ」
「厄除け……なるほど」
放ったモモンガの言葉に頷いて、ナマエの目がしげしげと手元の置物を見つめる。
つるりと丸いリンゴのような果物を視線で撫でて、果物にへばりつく小さな動物を確認してから、あ、とその口から声を漏らした。
「モモンガですね、これ」
かわいい、と呟きつつ、その指が飾りの一部を軽く撫でる。
楽しそうに紡がれたその声に、モモンガはわずかに緩みかけた口元を引き締めた。
確かにナマエの言う通り、その置物にはモモンガと呼ばれる動物がデザインの中へ入り込んでいる。
他の動物が混ざっている置物も多かった店先で、モモンガがそれを選んだのだってそれが理由だ。
まさかすぐに気付かれるとは思わなかったが、言及されたことが何となく嬉しい気がしてしまい、モモンガの手がコーヒーカップへと触れる。
その目の前でそっと置物を箱の中へと戻したナマエが、にこりと笑ってモモンガを見た。
「モモンガさんもついてるんなら最強ですね。ありがとうございます」
とても嬉しそうな顔をして、ナマエが言う。
それを見やり、コーヒーカップを掴み直したモモンガは、そう言う考え方もあるか、とまるで今気付いたかのように言葉を零した。
わざわざ自分の名前と同じ動物を選んできたという事実に気付かれてしまったかとも思ったが、にこりと微笑むナマエの顔にからかいは見えない。
ともすれば穏やかが過ぎるその表情を見やり、コーヒーを口へ運びながら、モモンガはそっと息を吐いた。
『結婚しよう』
モモンガがそんなストレートすぎるプロポーズを目の前の彼へ行ったのは、ほんの少し前のことだ。
はっきりと断ってもよかったのに、前提とした付き合いからなら、とナマエは答えた。
そこから先へどうやって進めていくべきか、試行錯誤の最中だが、モモンガの贈り物を受け取って喜んでくれている目の前の彼の様子に、うまく進められそうな手ごたえすら感じる。
「今度、飾っているところを見せてくれ」
「あはは、いいですよ」
俺の家は狭いですけどモモンガさんが良いなら、と笑ったままで答えた相手に、もちろんだともと答えて、モモンガの手がコーヒーカップをテーブルへと戻した。
その場で『次』の約束を取り付けても嫌がらなかったナマエがモモンガの『家族』になってくれる日は、きっと、そう遠くはないだろう。
end
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