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仕方のないこと (1/2)
※有知識トリップ系主人公は市民



 気付いたら見知らぬ場所にいた。
 しかもそこは漫画の世界にそっくりだった。
 馬鹿みたいな話かもしれないが、それが俺の現実に起こったことだ。
 何より困ったのは、この世界において『ただの日本人』である俺はとても非力で、まともに働く仕事をすぐには見つけられないということだった。
 日雇いの肉体労働者だったらもっと体格が良くて力のある人間を選ぶし、まともなところは身元不明の俺をほとんど雇わない。
 それでも、働かなくては金がなく、金が無くては衣食住を補えない。
 どうにかこうにか頼み込んで働き、自分に向いた仕事を探して、やがて数年かけて辿り着いたのが家政夫だった。
 それだって、信用を得て紹介してもらってやっとできるようになった店の仕事だ。
 俺がいる場所はマリンフォード。つまり海軍本部のある場所で、自宅を持ちながら遠くへ行く海兵も多い。
 不在の間の家を管理し、時々食事を作ったりして、店を通しているから金額が変わるとは言え確かなところから金をもらえるというのは、とてもありがたいことだった。
 特に海兵の中でも、立場のある人間の家を管理するときの金額は、他とは桁違いだ。
 契約書には書かれていなかったが、そこには多分、こういう意味も含まれていたんじゃないかと思う。

「ですから、気にしないでください」

「だが、しかし」

 笑って告げた俺へ対し、眉間にしわを寄せて言葉を零しているのは、海軍将校さんだった。
 名前はモモンガ。髪型が特徴的で、漫画で見たことのある顔で、確か中将。
 いつも背中を伸ばして堂々と歩いている彼は、俺のお得意様だ。
 おうちは少し高台にあり、背丈に合わせて高い窓ガラスを拭くのは中々大変だが、終えた後に眺める海は中々に美しい。良い眺めの立地である。
 俺は三日前も、そこへ掃除に赴いていた。
 そうして、家の鍵を開けようとしたところでふと気配を感じて振り向いたら、真後ろにどう見ても強盗にしか見えない連中が立っていたのだ。
 すぐ近くに警邏の海兵さんがいなかったら、鍵を奪われてモモンガさんの自宅に入られていたことだろう。
 彼らは海賊で、モモンガさんに恨みを持ち、家で待ち伏せするために鍵を持っている『家政夫』を狙ったということだった。
 思い切り肩を刺されたが、命に別状は無かった。治っても少し腕があげづらくなるそうで、そのことは残念だが、生きているだけありがたい話だ。
 海軍は海賊やそれ以外と敵対するもので、逆恨みされることも多い。
 肩書が上になればなるほどそれは顕著で、つまり彼らの家へ通う俺達のような仕事の人間に支払われる報酬には、多少の危険手当が含まれているということだろう。
 遠征から帰ってきてすぐに俺の話を聞いたのか、こうして病室へ見舞いに来てくれたらしい相手には、もう鍵を返してある。
 本当は、今日はモモンガさんの自宅で彼を出迎えて、『おかえりなさい』と言う日だった。
 刺された時のうやむやでどこかに行ってしまったが、あの日の荷物の中身はもう全部処分されてしまっただろうか。勿体ないが、生ものが多かったから仕方がない。

「俺が不注意でした。護身術とか、まだあんまり身についてなくて」

 この世界の人間だったら、こんな怪我だってしなかったかもしれない。
 そう思うから口から出た言葉に、それは関係ない、とモモンガさんが言う。

「それを言うなら、私の不注意が招いたことだ。敵を逃し、その行動を許した。……本当にすまない」

 苦しそうな顔をして頭を下げる相手に、そんなこと言わないでください、と俺は少し慌てた。
 本当に、モモンガさんを責めたくなんて無いのだ。悪いのは俺を襲った海賊達だし、彼らはちゃんと全員海兵に捕らえられている。
 生きていけないような怪我をしたならまだしも、俺は生きているし、片腕が無くなったわけじゃない。
 少し動かしづらくなったかもしれないが、それならそれで、考えて対応していけばいいだけのことだ。

「そうおっしゃるなら、今後もうちの店をご贔屓になさってくださいね。多分、次の担当は俺よりは強いと思うんですけど」

 次の担当は男か女かも分からないが、気遣ってくれるならそれに越したことはない。
 俺の言葉に、モモンガさんがぴくりと反応した。
 それから少しだけの困惑をにじませて、その目がこちらを見る。

「……店を辞めるのか?」

「え? あ、いえ、そう言うわけじゃないんです」

 怪我が原因で転職するのかと聞かれていると気付いて、俺は慌てて首を横に振った。
 ならばどうしてと、少し身を乗り出したモモンガさんが聞いてくる。
 何と言っていいか悩んで、それでもそれから、俺は片手で自分の固定されている腕を指さした。

「少し動かしづらくなるようなので、小さいおうちに配置換えをお願いしていて」

 リハビリを頑張っていくつもりではあるが、医者の宣告は重要だ。
 そもそも海軍の上の人達は体格の良い人が多くて、その分家も広い。
 腕を上げ下げする作業も多くなるから、せめてもう少し小さい家でなくてはやっていけないだろうというのが上司の判断で、俺もそれには頷いた。
 収入は減るが、仕事が出来ないという評価をされるよりはずっといいし、仕方のないことだ。

「……それはやはり、私のせいで」

「いや、俺が小さいせいですよ、モモンガさん。大きかったら気にならなかったことなので」

 申し訳なさそうな顔をする相手に、努めて明るく言い放つ。
 痛み止めが切れ始めてきたのか、じくじくと肩が痛む気がする。
 それでも、痛いですなんて顔をしたら、きっとこの人はもっと悲しそうな顔をするだろうなと思った。
 だから何でもないような顔をして、そっとベッドヘッドに背中を預ける。やわらかい枕も大きいしベッドも大きい。まるで自分が子供にでもなった気分だ。

「たくさん食べて寝て、大きくなったらまた配置戻してもらえると思うので、その時はまたよろしくお願いしますね」

 成長期なんてとっくの昔に終わっているから、そんな未来がないなんてことは分かり切ったことだ。
 それでも、気にしてほしくなくて、俺はただそう言った。
 俺のことを見つめていたモモンガさんが、それからそっとベッドわきの椅子から立ち上がる。
 帰ってくれるのかとそれを見上げていたら、どうしてか相手はこちらへと近寄ってきた。
 椅子をベッドのすぐそばへ寄せて、まるで寄り添うようにまた座る。

「……モモンガさん?」

「結婚しよう、ナマエ」

「へ?」

 どうしたのかと思って見上げた先で、あまりにも突拍子もないことを言われて、俺の口からはとても間抜けな声が出た。
 ぱちぱちと瞬きをして、一度相手から目を逸らし、夕闇が広がり始めた窓の外を見やって先ほどの言葉の裏の意味を探す。
 しかし、ここ三日で見慣れた窓の外のヤドリギが俺へ返事をしてくれるわけもなく、俺は視線をモモンガさんへと戻した。

「結婚しよう」

 そうして、もう一度言葉を繰り返される。

「………………俺達、お付き合いしてましたっけ……?」

 もしもそうだったら大変失礼かもしれないが、俺はひとまずとても重要なことを尋ねた。
 けれども、それに対してのモモンガさんの言葉は『いいや』だった。
 俺の記憶に間違いはなかったらしい。
 そのことにほっとして、その拍子にずきりと痛んだ肩に反射的に顔を顰める。
 自分が痛みを示してしまったことに気付いて慌てて顔を緩めたが、俺のそれを見たのだろうモモンガさんは、やっぱりとても申し訳なさそうな顔をした。

「付き合ってはいないが、私は君と結婚したい。海軍に入ると決めた時に実家を継ぐのは別の者に決まったからな、同性であっても問題はない」

「マ……マリンフォードって同性でも結婚できたんですか……」

「? 知らなかったのか?」

 不思議そうなモモンガさんの言葉に、ええまあ、と俺は曖昧に頷いた。
 そんな話は聞いていない。そんなところだけ日本より進んでいるのか。ここが漫画の世界だからだろうか。
 ぼんやりとそんなことを考えてしまったが、今はそれどころじゃなかったと気付いたのは、伸びてきたモモンガさんの手にそっと手を握られてしまってからだった。
 思わずびくりと反応してしまったが、モモンガさんは気にせず俺の手を両方の掌で挟んでいる。

「今まで、自宅はただ寝に戻るためだけの場所だった。誰が家事を代行していようが気にしていなかったし、報酬を支払っているのだからそれで構わないと」

「はあ」

 確かにそれはその通りだ。モモンガさんの生活スタイルがどうであれ、俺達は派遣された家を綺麗に保つのが仕事だ。
 けれどもモモンガさんは言うほど無機質な生活はしていなかったと思う。
 ちゃんと帰ってくる日を教えてくれていたし、『おかえりなさい』と言えば『ただいま』と返してくれた。
 俺が作った料理だって、そんなに美味しいはずないのに美味しいと言って食べてくれて、仕事ぶりを褒めてくれる。
 これからは他の誰かにそれをするんだと思えば少し寂しい気もしたけど、仕方のないことだ。
 俺の方を見つめたモモンガさんが、だが、と口を動かした。



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