アイスバーグと誕生日 2020
※『100万打記念企画SSS』のお二人
※『元』女装主(女装をしている描写はありません)
「……よし、旅行にでも行くか」
「え?」
そんな、あまりにもあっさりとした会話をしたのが昨日のこと。
気付けば俺は、海列車と言うやつに乗っていた。
がたん、ごとん、耳慣れた音を立てて線路を歩く車両の外には海が広がっている。
アニメの映画か何かでみたような、あまりにも非現実的な光景だ。
「楽しんでるか、ナマエ?」
ぼんやり外を見ていたら傍らからそう声を掛けられて、俺はそのまま隣を見やった。
大きな車両の一角で、俺と並んで通路側に座っているのは、俺をここへ連れてきたただ一人だ。
ウォーターセブンから出発した車両の中で、仕事の話を持ち込まれても困るからと変装までしている。帽子にサングラスに似合わない服にと、『変装しています』と言わんばかりの格好だが、本人は楽しそうだった。
「ほら、これも食え」
「あ、ありがとうございます……」
ひょいと渡されたものを、素直に受け取る。
先程販売員から傍らの彼が買い付けていたそれは弁当で、こういうのも駅弁と言うんだろうかと少しばかり考えた。
膝の上に置いたそれはまだ温かく、温もりを感じながら、あの、と言葉を紡ぐ。
「どうして、旅行だったんですか?」
『旅行にでも行くか』なんて、まるでただの雑談だった。
けれども気付けばこの通り、今の俺は海列車の上だ。
線路通りに進むこの列車はそのままいくつかの島へと向かうのだと、そう説明してくれたのも傍らの彼だった。
「そりゃあ、おれがナマエと一緒に旅行がしたかったからだが?」
足元の荷物もそのままに、そんな風に言って隣の席の相手が笑う。
少しずれたサングラスの隙間からこちらを窺うその瞳すら楽しそうで、俺は眉を寄せて肩を竦めた。
「今の俺にそんなこと言ってたら、変な誤解を生みますよ」
夜、店の中でならいざ知らず、今の俺は誰がどう見ても『男』だと分かる格好をしている。
男相手にそんなことを言う『市長』なんて、格好の噂の種だ。
本人だって分かっているだろうに、小さく笑い声を零したアイスバーグは、その手でひょいとサングラスまで外してしまった。
窓の外が眩いからか、こちらを見る目が少しばかり細められる。
「今も何も、昼も夜もナマエはナマエだろう?」
「そりゃ……仕事も辞めましたしね……」
楽しそうに言葉を重ねられて、俺はもごりと言葉を零した。
ついこの間まで、女性の恰好をしてホステスまがいの仕事をしていたが、今の俺はウォーターセブンにいくつもあるブル屋の一つで働いている。
『今の仕事が生きがいになるほど楽しいのなら別だが』と前置いて、俺へその仕事を紹介してきた人がいたからだ。
朝に起きて夜に寝るのは久しぶりで、慣れるまでは体もきつかったが、もうすっかり生活スタイルも変わってしまった。
今まで触れ合ってこなかった生き物に戸惑いは多いけれども、ブルたちはみんな可愛い。生き物の世話なんて小学校以来だが、なかなか楽しい仕事だ。
「健康的な顔になってきたしな」
「今までだって、そこまで不健康な顔はしていなかったと思うんですけど……」
「ンマー、そいつは価値観の相違だな」
こちらを見やってそんな風に言い放つ相手に、少しばかり首を傾げる。
気にせず笑ったアイスバーグは、その手で先ほど外したばかりのサングラスをかけ直し、そうして空いた片手をこちらへと伸ばしてきた。
ぱちぱちと音がして、膝の上の弁当箱の蓋が開く。
使い捨てと言う概念は恐らくないのだろう、プラスチックとも陶器とも少し感触の違うそれの中は、美味しそうな食べ物で満たされていた。
「島に付いたらあちこち歩き回るからな。今のうちにきちんと食べておけ」
言いながら俺にフォークまで持たせて、アイスバーグも自分の膝の上に弁当を乗せる。
手慣れた様子で蓋を開く相手を見てから、俺はそっと両手を合わせた。
「いただきます」
慣習になっている挨拶を口にして、そのままフォークで掬った一口目を口にする。
フォークの隙間からするりと滑り落ちそうな水水肉には俺の知らない味付けがされていて、とても美味しい。
「……おいしい」
「そいつは良かった」
思わずの呟きに相槌をされて、もっと食えと促される。
言われるがままに食事をすると、すぐに弁当箱の中身は無くなってしまった。
空になった弁当箱の蓋をしたところで飲み物まで渡されて、ありがたくそれを受け取る。
「……なんだか、至れり尽くせりですね」
「そりゃあそうだろう」
傍らの相手へ向けての言葉に、アイスバーグがそんな風に言う。
ちらりと見やったその唇には笑みすら浮かんでいて、何とも満足そうだ。
どこかで見たことのある表情だなと思って、薄暗かった店内を何となく思い出した。
贈られたドレスを着た俺に向けていたのと、少し似ている。
ウォーターセブンの『市長』は、かなり尽くす男だった。
市民の為に、より良い暮らしを送ってもらうために身を粉にして働いている。きっと『誰かのために』何かをするのが好きなんだろうなと言うのが、俺からの印象だ。
『おれは、お前が好きだ』
ましてや傍らのこの人は、俺にそんな言葉を投げてくるような男だった。
あれからも何度か一緒に過ごしてはいるものの、下心なんて一度も感じたことはない。
今だって、隣に座ってはいるものの、別に手を握られたりもされなかった。
別にそうしたいわけではないけれども、そんなことを考えて何となく、アイスバーグの片手へ視線が向いてしまう。
俺の視線など知ってか知らずか、ンマー、といつもの口癖を漏らしたアイスバーグが言葉を続けた。
「今日は〇月◇日。主役はドンと構えておくもんだ」
「ただの誕生日じゃないですか」
「一年に一度しかない記念日だろう?」
祝いたいんだから祝わせてくれと、そんな風に言葉が続く。
「誕生日おめでとう、ナマエ」
「……もう三回目ですよ。ありがとうございます」
明日は誕生日だな、何が欲しい。
そんなことを聞かれたのが、つい昨日のこと。
急にそんなことを聞かれたって、何かを思いつくはずもない。
だから戸惑った俺を見て、それから急な『旅行』を決めてしまったアイスバーグは、見た目のわりに強引な男だった。
店長には前から休みを頼んであると言われて、俺の勤務を掌握されているという事実には戸惑ったけれども、結局こうして俺は海列車に乗っている。
ただの『誕生日』をこうして祝ってくれる人がいるなんて、この世界に紛れ込んだ頃には考えもしなかったことだ。
何なら店での話の種にするくらいしか考えたことも無かったし、もしもアイスバーグが仕事を紹介してこなかったら、今日の夜頃はそうしていたはずだった。
つらつらと取り留めのないことを考えながらぼんやりしている俺の目の前で、アイスバーグの手がそっと動く。
視界からそれが逃れたのと同時に何か温もりが自分の手に触れて、それを追うように視線を動かした俺は、自分より大きな手が俺の右手を捕まえているのを目撃した。
驚きのあまり、思わず傍らの男を見やる。
けれども、俺の手を握っている相手は大して気にした様子もなく、似合わない変装のまま、にこりと笑った。
「どうかしたか、ナマエ?」
囁くような声に甘さが含まれているような気がして、とても居たたまれない。
逃げようとしても掴んだ手の力がそれを阻んできて、一度、二度と振り払おうとしてそれに失敗した俺は、せめてもの抵抗として相手から視線を引きはがした。
まだまだ青い海と空が、窓の外に広がっている。
すぐそばでくつくつと笑いをこらえる音がしたが、俺は決して振り返らなかった。
end
戻る | 小説ページTOPへ