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100万打記念企画SSS
※女装系男子注意


 俺がこんな仕事をしているのは、訳も分からないまま意味の分からない世界に放り出されて、それでも生きていかなくてはならなかったからだ。
 所持品は何一つ役に立たず、武器になるのは持って生まれたこの顔と、『この世界』では小柄の部類に入るこの体だけだった。

「どうした、ナマエ。暗い顔だな」

 傍らに座って笑う相手へ視線を向けて、そんなことないですよ、と曖昧に微笑みを向ける。
 照明の暗い店内で俺を指名した彼は、行儀よく酒を飲んで気持ちよく金を払ってくれるお得意様だった。
 市長がこういう店にくるのは嗜みなのかもしれないが、声を気にしてあまり楽しい話も聞けない俺をよく指名してくれるものだと思う。
 とりあえずいつものように酒をつくってグラスを拭き、手元のそれを相手へ差し出す。

「はい、どうぞ。アイスバーグさん」

 酒やけだと誤魔化した声で言いつつ相手へ向けた俺の手は、きれいに整えて爪に色まで塗られた、恐ろしく女々しいものだった。
 『この世界』で生きていくと決めてから、俺の仕事はプログラマーから水商売になった。
 しかしその肩書が『ホスト』ではなくて『ホステス』なのは、雇い主が俺をそうやって扱うと決めたからだ。
 顔が美人だった母親似の女顔で、体つきがこの島に多い船大工達よりも大分華奢で、長らく屋内で働いていて肌が焼けていなかったせいでか、客は誰も俺が『男』だとは気付いてくれていない。
 ドレスも化粧道具も最初は店主が貸してくれたもので、その後で仕方なく自分で買った。ちなみに、今俺の体を包んでいるのは傍らの誰かさんからの贈り物だ。
 同僚である女性たちが着込んでいるものより露出の少ないものであるのは、彼が俺の好みをきちんと考えてくれた結果だろう。
 微笑んだ市長の手が俺からグラスを受け取って、軽くその唇を潤す。
 うまいと言って笑ってくれる相手にほっとしながら、自分用のグラスに手を触れた。
 殆ど水のそれを舐めると、ナマエ、と傍らから声が掛けられる。
 それを受け止めてグラスに向けかけていた視線を戻すと、どこか真剣な顔をしたアイスバーグがこちらを見つめていた。
 まっすぐに注がれる視線に、どきりと胸が跳ねたのを感じて、少しだけ身を引く。
 けれどそれを逃がさないとでも言うように伸びて来たアイスバーグの手が俺の手を掴まえて、俺はびくりと体を震わせる羽目になった。
 どれだけ手入れしていても、俺の体は『男』のものなのだ。
 折角掴まえた上客に逃げられてはたまらないし、そうでなくても、市民には基本的に分け隔てなく平等に接してくれるはずの『彼』に軽蔑されたら、その日のうちに海列車のチケットを買ってこの島から逃げ出さなくては耐えられない。
 強張った俺の掌を握りしめて、少しだけ身を寄せたアイスバーグが、それから優しげに口を動かした。

「そう怯えるな。何も取って喰おうってわけじゃァない」

「……そう仰るなら、手を放してくれたっていいのに」

 言葉と裏腹にしっかりと握りしめられている手を軽く揺らして見せながら、抵抗はせずに微笑みを向ける。
 そうだななんて言いながら、しかしやっぱり俺の手は離さないまま、アイスバーグはそっと口を動かした。

「話があるんだが」

「お話?」

 ひそめた声に囁かれて、仕方なくそれを聞き取るために相手の方へと体を寄せる。
 こちらを見つめてそうだと頷いたアイスバーグが、実はな、と呟きながら言葉を続けた。

「おれは、お前が好きだ」

 そうしてすぐ横から放たれたその台詞に、ぱち、と目を瞬かせる。
 俺の傍らに座っている誰かさんは微笑んでいるのにどこか真剣な顔をしていて、酔っぱらっているようには見えなかった。
 まるで本気で言っているようで、俺は困惑しながら相手を見つめる。
 市民に平等な『市長』は、その任についてから特定の誰かと言うものを作ったことが無い、なんていつだったかどこかの雑誌で読んだ記事を思い出した。
 気まぐれに誰かに愛を囁くような不誠実な人間じゃないことくらい、この島に住んでいれば嫌でも分かる。
 もしも俺が女だったなら、これはとてつもない玉の輿の始まりだったんじゃないだろうか。
 惜しかったなあなんて思いながら、俺は微笑んでアイスバーグの手の間から自分の手を引っ張り出した。

「もう、そんなこと言って。冗談がお好きなのね」

「ンマー、おれは真剣なんだが」

 距離を取りつつ微笑んで詰れば、アイスバーグが軽く頭を掻く。
 それを見やり、とりあえず両手でグラスを掴んでから、ぷい、とわざとらしく顔を逸らした。

「夜にこんなお店でそんなこと言ったって、信用できません」

 俺の台詞に、従業員の台詞とは思えないなと傍らでアイスバーグが笑っている。
 楽しげなその様子に、俺はきちんと『冗談』に出来たらしい、と言うことが分かった。
 簡単に笑ってしまえるアイスバーグの様子からして、もしかしたら最初から俺がこうやることだって分かっていたのかもしれない。
 もう元通りだ、とほっと息を吐くのと同時に、少しだけ胸が苦しくなったような気がする。
 よく分からない症状を押さえる為にもう一口酒を舐めると、仕方ねェな、とすぐ横でアイスバーグが呟いた。

「夜が駄目なら、昼間に言いやァいいのか」

「……同伴は駄目だって言われてるんです」

 知ってるでしょうと視線を戻して言うと、こちらを見やって笑ったアイスバーグが『知ってるさ』と頷いた。

「まァそれでも、『偶然』会っただけならその限りじゃない。そうだろう、ナマエ?」

 とても楽しそうな顔をして言い放つアイスバーグに、俺は眉を寄せた。
 昼間の俺はただの『男』で、恰好だって振る舞いだって『名前』だって、アイスバーグの傍に座る今の俺とは違う。
 昼下がり、公園でぼんやりしているところでアイスバーグと遭遇したことも数回あるが、アイスバーグは昼間の俺が『ナマエ』だとは気付かなかったのだ。
 気付かれるのが怖くて会話なんてほとんど交わしたこともないし、名乗った名前だって違うのだから当然だろう。
 他の客だって、みんなそうだった。
 もしやこれは暗に『他には内密で同伴しろ』と誘っているのかと窺った先で、アイスバーグが先ほど俺が開いた分の距離を詰めて、その唇が俺の耳元で囁き声を落とす。



「明日公園でな、」



 その言葉の後ろに紡がれたのは、この場で呼ばれるはずもない名前だった。
 驚いて目を見開いた俺の前で体を離したアイスバーグが、悪戯っぽく笑って立ち上がる。
 そのまま会計に向かってしまう相手を見送ってしまった俺は、いつもなら店の外まで見送るのにそれも出来ないまま、先ほど囁きが寄越された片耳を軽く押さえる。
 顔が何だか熱くて、楽しげなアイスバーグの声音を反芻すると、何故だか動悸が激しくなった。心臓が痛い。

「……何、で」

 思わず呟いたって、俺に返事をくれる相手は誰もいない。
 他のテーブルから呼ばれるまでの数分の間、俺はそのまま一人になってしまった席に座り込んで、明日『公園』へ行くべきかどうか迷い続けていた。
 

end


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