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サッチと誕生日 2020
※『しあわせなせかい』から続く人魚主シリーズ
※主人公は有知識トリップ系人魚でサッチと付き合ってる



 波が砂浜を撫でる音がする。
 リズムよく聞こえるそれを感じながら、俺は砂の上にごろりと寝転がっていた。
 水面は立ち上がれば胸までしかないような高さの場所にあって、海中から見上げるそこでゆらゆらと空と雲と光が揺れている。海の沖から波が寄せては返して、体の下の砂もそれに合わせて行ったり来たりだ。
 水の中で尾を揺らして、海へ戻されることのないように、そして砂浜へ打ち上げられることのないように気を配る。
 この体が『人魚』になってから、もう随分と時間が経った。
 海の中で過ごすのもすっかり慣れていて、近寄ってきた小さな魚に肌をつつかれても、驚いたり慌てたりすることもない。
 片手を添えて動かすと、小さな尾びれと胸びれを動かした小魚が目の前へとやってきた。

「大丈夫だよ、ありがとうな」

 こんなところにいたら戻れなくなるよと声を掛けてきた小魚にそう声を掛けて顔を近づけると、つん、と鼻先をつついた小魚が、何かに驚いたようにぱっと俺の手元から逃げ出していく。
 それを見送った俺は、自分の方へ近寄ってくる影があるのに気付いて、海底の砂に背中を預けたままでそちらへ視線を向けた。
 水面に浮かんだまま、滑るように近寄ってきた相手が、俺の真上までやってくる。
 海水の中で目を開いたまま、両手と両足を動かして水面に留まっているのは、俺の大事な海賊だった。

「サッチ?」

 名前を呼んだ俺の口から少しだけ泡がこぼれて、海面へ向けて流れて行ったそれが顔に当たったサッチが、くすぐったそうに笑う。
 何かを言おうとその口が開いて、けれどもごぼりと空気だけを零した相手に、俺は慌てて体の位置をずらして起き上がった。
 口に空気が入り込んで、水の中での呼吸から空気中でのそれに切り替わる。毎度不思議な感覚だが、もうすっかりそれにも慣れた。

「サッチ、どうかしたか?」

 そうして尋ねつつすぐそばに浮かぶ相手へ声を掛けると、ぶは、と息を零しながら砂の上に足をおろしたサッチが、びしょ濡れの髪をかき上げた。
 太い腕やその肌を濡らしている海水が、水面へと滴り落ちる。

「水の中で話せるかと思ったけど、なかなか難しいもんだなァ」

「そりゃあそうだよ」

 おかしなことを言い出した相手に、俺は思わずそう言い返した。
 人魚でも魚人でもない人間が水の中で話をするなんて、さすがに難しいことだ。
 道具を使えば可能かもしれないが、先ほど俺の真上にいたサッチは着の身着のままいつも通りで、特別な何かも持っていない。
 俺の言いたいことが伝わったのか、それもそうか、と笑ったサッチが、水をかくようにしながらこちらへと近寄ってきた。
 差し出された腕に気付いて、ひょいとそちらへ身を寄せる。

「冷えてんな」

「海の中にいたから?」

 俺自身が寒いなんてことはないが、ずっと海水の中に寝転んでいたから、その分体温も周囲に合わせて変わっていただろう。
 俺の返事に、寒くねェならいいけどよ、と笑ったサッチが腕へ力を込めて、俺の体をひょいと抱え上げた。
 海中の浮力を使って、簡単にその腕へと座る。
 サッチは陸上でもこれをやる。海賊と言うのがみんなそうなのかは分からないが、サッチはとても力持ちだ。

「水の中でずっと動かねェから、寝てんのかと思ったぜ」

「浅瀬の砂の上で転がって寝てたら流されるから、そんなことはしないな」

「なんだ、経験があんのか?」

 面白がるように尋ねられて、過ぎた発言をしたと気付いた俺はそっと口を閉じた。
 けれどもサッチはそれすらも面白いのか、わずかに笑い声を零して笑っている。
 すぐそばから聞こえるそれに眉を寄せて顔を逸らしてから、俺は遠くにいるモビーディック号を見やった。
 今日訪れたこの春島は、おだやかな浅瀬が遠くまで広がる場所だった。
 さらさらとした砂が多くて、森には食料もある。
 小さな島だからか人もいないようで、モビーディック号から降りた『家族』達は思い思いに過ごしているようだ。
 サッチもそのうちの一人だと、俺はちゃんと知っている。
 俺がこうしてモビーディック号からいくらか離れた場所にいるのは、サッチのここ数日の『本拠地』が、こちら側の砂浜にあるからなのだ。

「サッチ、もう寝るところ作りは終わったのか?」

「おお、そりゃもちろん。ほらな」

 尋ねた俺へ答えたサッチが、砂浜の方を示す。
 寄せて返す波うち際のその先、白い砂浜の乾いた場所に、太い棒が数本立てられていた。
 クロスするようにしてロープでしっかりと縛られたそれには布が掛けられていて、サッチが昨日寝ていた寝床も見える。
 どうせなら陸で寝ると言って、サッチがモビーディック号を降りたのは昨日のことだ。
 昨日はただ砂の上に寝転んでいるだけだったけど、今日は寝床を作りだした。
 ふかふかと柔らかそうな葉っぱを集めて布を掛けた寝床は柔らかかったし、乾いた砂浜に寝転ぶのは初めてのことで、なかなかに楽しい。
 俺も今日はこの遠浅の入り江で過ごしていて、目を醒まして海面から顔を出してすぐに顔を合わせたのはサッチだった。

『よォ、ナマエ。おはよう』

 今日もいい日になりそうだな、なんて言って笑っていた少し眠そうなサッチを思い出して、少しばかり笑う。

「なんだ、面白ェもんがあるか?」

「いや、サッチはすごいなァと思って」

 寝るところも自分で作れるんだもんなと俺が言うと、海賊なんだから当然だろうとサッチが言った。
 サバイバル技術と海賊は関係が無い気もするけど、サッチがそう言うならそうかもしれない。
 今日は、〇月◇日だ。
 その日付が記すのは俺の『誕生日』で、サッチはそれを知っている。
 誕生日に何が欲しい、と聞かれたのはついこの間のことだ。

『サッチと一緒にいられたら、それでいいかな』

 俺がそう答えたのは、本当にそう思っていたからだった。
 サッチは俺に色んなものをくれるし、もともとそんなに欲しいものなんてない。
 それでも誕生日を祝ってもらえるというのは嬉しいもので、だから朝から一日一緒にいたいなんて、そんなわがままを言ってみた。
 樽にでも入ったままキッチンに連れていかれるかなと思っていたのに、なんとサッチはこうして、砂浜で俺と過ごしてくれている。
 今日は、俺が寝るまで一緒にいてくれるらしい。
 そんなに長い間水の中で過ごしたらサッチは体力を消耗するだろうから、今日は早く寝なくちゃな、と考えているところだ。
 けれどもどうにもサッチが傍にいるとドキドキしてしまうから、なかなか寝付けなくてサッチを困らせてしまうかもしれない。
 悪いなとは思うけど、でもきっと、サッチなら許してくれると俺は知っている。

「おれのすごいとこは他にもあるんだぜ、ナマエ」

「たとえば?」

「これから昼にめちゃくちゃうまい飯を食わせてやれる」

 今日はお前だけだ、特別だぞ。
 そんな風に笑ってぱちりと片目を瞑ったサッチに、それはすごいな、と笑う。
 特別扱いの特別な誕生日は、まだあと半分以上も残っていた。


end


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