サカズキに仮装を見せる
※『賢い子供』の身体的退行系男児とクザンさんとサカズキさん
「とっこあとりー!」
高い声と共にずいと目の前に掌を出されて、クザンはゆっくり瞬きをした。
ぐっすり眠り込んでいたソファの上から起き上がり、改めて声の主を確認する。
「…………あららら、どうしたの、その恰好」
そうして思わずそう尋ねたのは、自分の目の前に佇んでいる小さな子供が、普段とは少し違う格好をしているからだ。
わざわざあつらえたのだろう子供用の燕尾服は黒く、しかし裾や袖口が赤黒く汚れている。内側に着込んでいる白いシャツも同様で、黒い蝶ネクタイを締め、ハンカチの覗く胸ポケットのあたりには十字架を模したピンがある。
いつもなら被っている子供向けの海軍帽すらなく、そしてにんまり笑った口からは付け牙らしきものが覗いていて、そして背中に背負った鞄からは黒い羽が一対生えているようだった。
誰がどう見ても仮装をしている目の前の子供は、ナマエと言う。
海軍本部の中をうろうろできる子供というの自体がおかしな話だが、何となくそれが黙認されているのは、この小さな子供が海軍大将赤犬の引き取った子供であるからだ。
むやみやたらと危険な場所へ足を踏み込まない程度には賢く、時たま書類運びを頼まれているのも見かける。
その子供がわざわざクザンの執務室までやってきたのは恐らく、そこのローテーブルに置かれている書類を運んできたからだろう。
子供を観察してそんな結論をつけたクザンの前で、むっと眉を寄せた子供がずいとその右手をクザンへ差し出す。
「くじゃんたいしょー! とっこあとりー!」
「……なんて?」
いまだにあまり舌が回らない幼い子供の発言に、クザンは首を傾げた。
それを受けたナマエの方は、何故分からないのだと言いたげな顔だ。
「もしかして、くじゃんたいしょーもってない? おれ、いたじゅらしゅる?」
あんまり自信ないけどと続いた言葉に、自信が無いことはしないでよと答えながら、クザンは少しばかりその目をさ迷わせた。
壁に掛けたままの暦を見つけて、今日の日付を確認する。
「………………あァ〜……今日はハロウィンか」
そうして、今日と言う日付が十月の末であるという事実に、子供の奇行の理由を知った。
ハロウィンと言うのは、しばらく前にどこからともなくマリンフォードへと流れてきて定着した風習の一つだ。
いわゆる収穫祭のようなもので、そこにいくつか逸話を盛り込み、仮装した子供が大人に菓子をねだる日となった。
そういや部下が警邏に出るとか言っていたなと、午前中に決裁した書類を思い出してから、クザンの視線がナマエへ戻る。
「もしかして、おれに菓子ねだってる?」
「そういった! とっこあとりー!」
小さな胸を張って三度寄こされた呪文に、なるほど、とクザンは納得した。
ちょいと待ちなさいねと声を掛けてから、そのままひょいとソファから立ち上がる。
先程放置した書類が積まれている執務机へと近寄り、引き出しを適当に開ければ、ころりと転がった包みが出てきた。
つまんだそれを持ってきた道を戻り、子供が出している手の上へと乗せてやる。
「はいよ、これでいい?」
「チョコ?」
「そう、チョコ」
仕事頑張ってくださいねと言いながら副官がクザンへ寄こした糖分だ。
珍しい行いに笑っていたが、役に立ってくれた。クザンの部下は優秀である。
しげしげと手の上の包みを見つめたナマエが、ありがとうと言葉を口にして、それを自分の背中の鞄へ仕舞う。
ずらされた鞄にはやはり蝙蝠のような翼が一対貼りつけられていて、随分気合が入ってるなとクザンはソファへ座り直して頬杖をついた。
「それ、サカズキが用意したの?」
目の前の小さな子供を、海軍大将赤犬が可愛がっていることはクザンも知っている。
どのくらい可愛がっているのかと言うと、ちょっと彼が不在の時にマリンフォードの外へ連れ出しただけで文句を言いに来るほどだ。
あれはいくらかの誤解も折り重なった結果だったが、クザンは久しぶりに悪鬼の顔をした同僚を見た。海軍の最高戦力ともなれば共に遠征へ出ることも少なくなるので、本当に久しぶりだった。
だから違和感はないが、『あの』赤犬が子供の衣装を用意したと考えると、それはそれで大変面白い。
けれどもクザンの問いかけに、鞄のチャックを閉め終えた子供がふるりと首を横に振る。
おやとクザンが眉を動かすと、子供の手が自分の胸元へ添えられた。
「これ、ぼるしゃりーのたいしょーがくれた」
「ボルサリーノが?」
そうして出てきた名前に、クザンはわずかに目を丸くした。
今日がハロウィンだと教えてくれたのもボルサリーノだったと、ナマエは言う。
「きっとね、しゃかじゅきはいそがしくって、ひじゅけもわかんなくなってるんだよ」
「……あららら……」
気の毒そうな顔をした子供に、クザンは自分の同僚が養い子にどう見られているのか分かった気がした。
確かに仕事が好きな男だが、ただ単にハロウィンなどと言った行事に疎いだけではないだろうか。逆に言えば、ナマエに衣装を用意したらしい海軍大将黄猿は、そう言った方面は気にする方だ。
そんなことを考えはするものの、口から吐き出す前に億劫になり、そうかもね、と適当な相槌を打つ。
「それじゃ、その恰好を見せに行かなきゃね。サカズキがお菓子持ってなかったらどんな悪戯すんの?」
「しゃかじゅきにそんなヒドイことしない」
きっぱりと胸を張って言った子供に、おれにはしようとしたじゃねェの、とクザンは笑った。
※
「こちら、おーしゃめください」
執務机の端へそっと並べられた菓子類に、サカズキはわずかにその目を眇めた。
なんじゃと尋ねれば、おかし、と答える声がある。
発しているのは小さな子供で、ナマエと言う彼は、朝とは違う服にその身を包んでいた。
着せていいかと前に問われていたため、それが誰が持ち込んだ衣装なのかをサカズキは知っている。
今日はハロウィンだ。
巷では子供が仮装する日で、そして大人に菓子をねだる日でもある。
どことなく王下七武海の剣豪を思わせる格好のナマエもまた、そうやってあちこちで菓子をねだっていたという話も聞いていた。
なかなか戻らないと思ってはいたが、ついに帰ってきたナマエはしかし、その『呪文』を唱えることなくサカズキの傍へ寄り、あちこちからせしめて来たのであろう菓子をサカズキの机に並べている。
どういうことだと片眉を動かしたサカズキの視界に、執務机の隣に寄り添うようにして手を伸ばしていた子供の姿が入った。
寄こされた視線を受け止めて、仮装したナマエがにんまり笑う。
「にあう?」
自分の服を示して言い放ち、ほうじゃのう、とサカズキが相槌を打つと、それなら良かったと嬉しそうな顔をした。
そうしてそれから、また鞄から取り出した菓子がサカズキの執務机の端へと乗せられる。
「ちゅかれてるときは、あまいものだから!」
たくしゃんもらったからたくしゃんたべてね、と言い放つ子供の顔は、善意に満ちている。
可愛らしいことは間違いないその顔を見下ろし、サカズキは眉間のしわを深めた。
今日はハロウィンだ。
おおもとの由来などサカズキは知らないが、マリンフォードの外からやってきてそのまま定着した祭日である。
子供がはしゃぐのを想定したようなその日付で、いそいそと着替えたのだろうナマエもまた、それにはしゃいでいるのだろう、と思っていた。
しかしどうやら、その考えは過ちであったらしい。
あちこちを回って菓子を集めていたのはもしや、こうしてサカズキへ献上するためだったのか。
あり得そうな事実に、サカズキの口が低く声を漏らした。
「……わしはそこまで甘いもんは食わん」
「あまったらおれがたべるよ、だいじょーぶ!」
任せろ、と胸を張る小さな吸血鬼に、引き出しの中のキャンディをくれてやる方法を、サカズキはそれからしばらく考えていたのだった。
end
戻る | 小説ページTOPへ