- ナノ -
TOP小説メモレス

桃色トラスト (2/2)



 まさか、ナマエまで追ってきてくれているとは思わなかった。
 それが、サンジの最初の感想だった。
 一番初めにその目撃情報を聞いたのは、ヴィンスモーク・レイジュに話を聞いた時だ。

『なんだか他とは違う目でこっちを見てた、可愛い子がいたのよ』

 ナマエっていうのね、と見せられた手配書は、あの魚人島で撮影されたナマエのものだった。
 あまり戦いを好まないナマエが、わざわざ四皇のもとへ潜入してくるとは考えていなかった。待っていてくれと言った時には頷いていたから、きっとサンジの言葉を守ってゾウにいるだろうと思っていたのだ。
 何故追ってきたのかを当人に尋ねることは出来なかったが、控えめなナマエが『政略結婚』の名目で呼び出されたサンジにヤキモチを焼いてくれたのかもしれないと思うと、こそばゆさすらあった。
 早く会いに戻りたいと思っていたし、大事な人々の命の為にはこの地獄で生きるしかないと気付いてからは、申し訳なさが強くなっていた。
 そのナマエが、この万国にいる。
 ましてや今、目の前にだ。

「あー……ナマエ?」

「…………」

 しかも何故か、女装までしている。
 袖の途中から幾重にも重なって腕を包むレースに、似たレースを裾にあしらった長いスカート。体格を隠すようなそれらには瞳の色に似せた色味の模様がつき、ナマエの大人しい雰囲気に華を添えている。首にくるりと巻いたストールは濃い青で、サンジが好んで着るシャツの色に似ていた。
 ちょうどテーブルを囲んだサンジの向かいに、彼は座っている。
 しかも、決してサンジとは目を合わせない。
 風呂に入れと言われ、風呂場へ向かう直前に顔を合わせた時からずっとだ。
 最初は気のせいかとも思ったが、着替え終えて向かい合っての態度を見れば、それは間違いだったと分かる。
 口もきゅっと閉じられたままで、眉間には少し皺まで寄っていた。
 怒っている。
 これは絶対に怒っていると、サンジは背中に少しばかり冷や汗をかいた。
 思えばこれまで、サンジがナマエを怒らせたことは無かったかもしれない。
 ナマエはいつでも穏やかで、にこりと微笑んでいることが多い男だ。優しいためかチョッパーにも好かれていたし、ブルックにパンツだのなんだのと言われても戸惑いはすれ怒りもしなかった。
 そのナマエが怒っているのだとすれば、これはとても珍しいことだ。
 しかし確かに、サンジの行動はナマエが怒っても仕方のないことなのかもしれない。
 『すぐに帰る』と言いながら、先ほどまでのサンジは、もはや船には帰れないと諦めていた。
 この地獄で、あれだけひどい目に遭わされたというのに家族を見捨てられず、もうここで共に死ぬしかないのかもしれないとすら思っていた。
 そもそも、恋人がいるというのに政略結婚を受けたような形にもなっている。よくよく考えてみれば、裏切りと思われても仕方がない。
 今更そんなことを考え至り、サンジがガクリと肩を落とす。
 何となく視線を感じて顔を上げたが、やはりナマエはこちらを見てもいなかった。まだ女性陣と船長達が身支度から戻らないので、話し合いは始まらないままだ。

「あの、ジンベエさん」

「ん? なんじゃ」

 その顔が自分の右隣を見やり、なにがしかこっそりと声を掛ける。
 分かったとジンベエが頷いたところでナマエが立ち上がり、そのままそっとソファを離れた。
 サンジのことを一瞥もせずに歩いていくその背中を、サンジが思わず見送る。
 扉の向こうにその姿が消えたところで、ごほん、と咳払いが聞こえた。
 それを辿ったサンジを、座ったままの元王下七武海が見ている。

「追わんのか?」

 尋ねて少し首を傾げられ、サンジは勢いよく立ち上がった。
 慌てたようにギャング・ベッジの部下が声を掛けてくるが、すぐに戻ると言い置いてソファとローテーブルを迂回する。
 ナマエが出て行った扉を押し開くと、通路の奥を曲がっていく影が見えた。
 女風呂と真逆になる方へ向かうそれを、サンジの足が追いかける。
 角を曲がって、一歩、二歩。
 通り過ぎた扉が半開きで、そのことにサンジが気付いたのは、後ろから手を掴まれたからだった。

「なっ!?」

 まるでどこかの恐怖物語のような強さで、扉の内側へと引きずり込まれる。
 恐ろしい力の強さに抵抗すらままならず、振り払えなかったサンジの体が部屋へ入ったところで、真後ろの扉が閉ざされた。
 思わず戦闘の姿勢を取ろうとしたところをやめたのは、自分をそこへ引き込んだ相手が、自分の良く知る人間だと気付いたからだ。

「ナマエ……?」

 しっかりとサンジの手を捕まえたまま、扉に片手をついてサンジの前に佇んでいたのはナマエだった。
 まるで閉じ込めるような姿勢だ。
 わずかに身じろいだサンジの手が離されて、その代わりに自由になったその手も扉へとつく。
 ナマエの両腕に挟まれて、サンジの背中が扉に触れた。
 少し背の低い相手が、下からサンジの顔を見る。
 間近で見たナマエの顔は、どことなく困っているようだった。
 もの言いたげな瞳でじっとサンジのことを見つめている。風呂上りにきちんとスキンケアもしたのか、肌はしっとりとしていて、好ましいにおいがした。指やそれ以外で触れたくなる。
 欲望に突き動かされて良いものか、少しばかり悩んだサンジの前で、そっと、ナマエの口が開かれる。

「…………むり……」

「むり?」

「ナミには内緒にして……」

 唐突に寄こされた言葉に、サンジの頭には疑問符ばかりが浮かんだ。
 けれどもサンジがそれを問うより早く、扉につけられていたナマエの掌がすべり、その両腕がそっとサンジを抱く。
 その動きがゆっくりなのは、ナマエが人並外れた怪力になっているからだ。
 もともとの原因は、どうやらサンジの料理らしい。他の仲間に振舞ってもそうはならないというのに、ナマエにはすっかりその力が染みついていて、ナマエの方が加減を覚えた。
 サンジを痛めつけない強さで抱きしめたまま、その頭がそっとサンジの肩に押し付けられる。

「サンジだ……」

 ぎゅっと抱き着き、何かを確かめるように額をこすりつけるようにしながらそんなことを言い出したナマエに、サンジはそっとその背中に手を添えた。
 抱きつく彼を許すように両腕を相手へ回して、頬を相手の頭に寄せる。
 女性的な格好をしているとはいえ、腕に抱く体はやはり男のそれで、けれどもサンジにとっては、この世で一番愛おしいものだ。

「……ナマエ、なんで女装をしてるんだ?」
 モモイロ島ではそれが普段着だったが、本人がそれほど望んでいないらしいということを、サンジは知っている。
 事実、サニー号へ連れて行ってからは、スカートなんてほぼ履いていなかった。
 だというのにわざわざここでそんな恰好をしている相手に尋ねると、潜入だから、とナマエが答えた。

「変装した方がいいって話になって、…………あと」

「あと?」

「サンジが……メロメロになる格好してたら、連れて帰りやすいんじゃないかって」

 誰かに言われたらしい言葉を零すナマエは、何かを思い出したのか、少し恥ずかしそうだ。
 どこの誰が言ったのだろうかと、サンジは少しばかり考えた。
 麗しの航海士だったり可愛らしいミンク族だったなら怒りもしないし許せることだが、音楽家あたりだったら少しばかり怒ってもいいかもしれない。ナマエを恥じらわせるのは、基本的にサンジの仕事であるべきだからだ。
 可愛らしい恋人を抱きしめて、そうか、とサンジが声を漏らす。

「おれァ別に、ナマエがどんな格好をしても変わらねェよ」

 それこそナマエが女装をしていようがそうでなかろうが、サンジには関係のないことだ。
 抱きしめていた腕の力を少し緩めると、サンジの動きに気付いたナマエの腕からも力が抜けた。
 お互いの体を離して、間近なその顔を見下ろす。

「いつでもメロメロだからな」

 言葉を放ってぱちりと片目を瞑ると、それを見たナマエがまだ赤い顔のまま、花が咲くようににっこりと笑った。

「言うと思った」

 言葉を紡ぐ声は少しばかり嬉しげで、天使のごとく可愛らしいそれにサンジも少しばかり口が綻ぶ。

「サンジの今の服も格好いいけど、お風呂の前の恰好も素敵だったよ」

「あ? ドロドロに汚れてたろ、そんな素敵なもんじゃねェよ」

「ううん、王子様みたいで格好良かった」

 さすがだねとほほ笑むナマエに、サンジの胸のうちが温かくなる。
 そうしてそこで、そういえば、と声が漏れた。

「さっきの、ナミさんに内緒にしてってのは?」

 なんの話だ、と尋ねたところで聞かされたのは、麗しの航海士がとても怒っているという事実だった。
 戻ったところで現れた彼女にサンジが改めてしっかりと謝罪したのは言うまでもないが、何故だかナマエも一緒になって謝っていた。
 そのことで察したのか、約束を破った事実にも怒って、けれどもそれからすぐに許してくれた彼女は、いつもの通り美しく素敵なレディだった。



end



戻る | 小説ページTOPへ