悠悠緩緩
※男子猫転生ネタ
カリカリと、ペンが紙を擦る音がする。
紙面をしばらく眺めて眉を寄せたマルコが、ふと思いついたことをもう少し記そうとペンを動かすと、どす、とその腹に少しばかりの衝撃が走った。
「おっと」
声を零して体を少し後ろに倒したマルコの腹に、少しばかりの重みが乗る。
そのことに笑ったマルコが患部を見やると、大きな猫の頭がそこにあった。
「どうしたんだよい、ナマエ」
「なあん」
呼びかけたマルコへ、虎と見まごうほどの大きさの猫が返事をする。
その顎をぐりぐりと押し付けられて、くすぐってェよいと笑ったマルコの手が、大きな頭をよしよしと撫でた。
昼下がりのモビーディック号の上、マルコの為にあてがわれた一室で、マルコは自分の机に向かっている。
傍らにはいくつも積まれた医学書やらそれ以外の本があり、それらを調べては新たな療法を書き出しているところだった。
普段ならこんなことをしている時間はないが、今日は別だ。
「おれが休みだってのに、構われなくてさみしいって?」
笑いを含んだ声で言い放ったマルコに、さすがに猫は答えない。
けれども頭を押し付ける角度の調整が終わったのか、顎をマルコの腹にめり込ませるようにしながら前足までもマルコの太腿へ添えて、目を閉じた猫がごろごろと喉を鳴らした。
大所帯の白ひげ海賊団では、船医を担うマルコのところへも、ひっきりなしに患者がやってくる。
やれ二日酔いだのやれ小競り合いをして喧嘩をしただのと、ふざけているのかと言いたくなるような軽い症状もあるが、どちらにしてもマルコやナース達が対応をする事柄だ。
だからこそ、ひと月に一回程度、決してそういった仕事を振らないという休息日がマルコ達には設けられていた。
見張りの当番やそれ以外の作業も全て取り上げられて、休む以外にやることのないその日一日をマルコが机仕事に当てているのは、日常では出来ないことだからだ。
一日ゆっくり休めと言われているが、しかしやるべきことは探せばいくらでもある。
天気が良ければ甲板で日光を浴びながらにしても良かったが、あいにくと偉大なる航路の空模様は曇り空、航海士によればもうじき雷雨の雲が近づいて来るらしい。果たしてそれは雨時々雷なのか、雷時々雨なのか、遭遇してみないと分からない。
マルコが部屋に引きこもったからか、やってきたナマエもずっと同じ部屋にいるのだが、さすがに猫でも飽きてしまったようだ。
マルコの手がペンを置いて、少しばかり身じろぐ。
マルコのそれに気付いたナマエが頭を浮かせて前足をどかしたので、マルコは椅子の上で体の向きを変えた。
自分の横からくっついてきていたナマエに向かい、椅子の背もたれに肩を預けるようにしながら、向かいにある大きな猫の体を両足で挟む。
大きな毛皮の塊は温かく、そして柔らかだ。
「にゃあ」
どうしたの、と言いたげに鳴く大猫に笑って、マルコはその頭を両手で撫でた。
わしわしと首の下まで擦ってやると、気持ちよかったのかナマエがまたぐるぐると喉を鳴らす。
その両方の前足が改めてマルコの足へと乗せられて、体重が掛けられた。
ぐいとその体が伸びあがり、マルコの両肩にナマエの前足が移動する。
「なあん」
鳴き声を零した猫の頭が、今度はマルコの頬へと寄せられる。
するすると触れる毛並みはつややかで心地よい。マルコが丁寧にブラッシングしている毛皮でもあるし、ナマエ自身も手入れに余念がないからだ。
ぐいぐいと押し付けてくる仕草にマルコが少し後ろへ体を傾がせると、ナマエがずいとさらに体を寄せてくる。
「おおっと」
好きにさせながら体を傾けていたら、マルコの体はそのまま椅子の上から上半身をはみ出させる形で転がった。
そのまま頭から落ちてしまわないのは、上にのしかかる大きな猫がマルコの体をがしりと抑えているからだ。
しかし、さすがにいくらマルコが鍛えているとは言えど、なかなか無理のある姿勢である。
「ナマエ、ナマエ、ちょっとタンマだよい」
「なあん?」
大きな体をぺしぺしと叩いたマルコに、鳴き声を漏らしたナマエが少し体を浮かせる。
もはや自身がマルコの足と椅子に乗り上げるような格好になりながら、じっと見下ろして首を傾げた大きな猫の眼差しに、マルコは悪戯を面白がる光を見つけた。
「わざとだろい」
こいつめ、と笑ったマルコが片手で猫の顔を捕まえ、もう片方の手で椅子の背もたれを捕まえた。
腕の力と腹筋でぐいと体を起こせば、押しやられたナマエがにゃあともみゃあともつかない悲鳴を上げる。
それを押しやりひょいと椅子から立ち上がると、四つ足を床についたナマエがぷるぷると顔を振り、それからマルコを見上げた。
「にゃあ、にゃ、にゃあ」
「なんだ、今日はよく喋るじゃねェか」
何事かを話しかけてくる猫に笑いつつ、マルコの手が椅子を机へ戻す。
その間もマルコの足にまとわりついてきた大きな猫は、マルコがそのままベッドへ移動して腰を下ろすと、我が物顔でマルコの横へと乗り上げた。
ぎしりとベッドをきしませながら、マルコの左から乗ってマルコの背中を通り、顔と前足をマルコの右側へのぞかせてそこに落ち着く。
柔らかい毛皮の主に腰へと寄り添われて、更にはその尻尾がマルコの前側へ移動した。
するりとむき出しの腹を擦られて、こそばゆさに笑ったマルコの手が尻尾を掴む。
猫の中には尾を触られることを嫌うものもいるらしいが、ナマエがそれで怒ったことは一度もない。
小さな頃から船にいて、すくすくと恐ろしく大きくなったこの大猫は、猫の分類でいえば恐らく大人しい方だった。
食べ物さえ絡まなければただの愛玩動物だ。鼠や他の獣ですら中々狩らず、たまにナース達から好きなように着飾られている。
この間は尻尾にたくさんリボンをつけられていたなと思い出したマルコの手の中で、ぴこぴことナマエの尻尾が動いている。
それを指で弄びながらゆっくりとマルコが体重を後ろへ掛けてみても、ナマエは嫌がって逃げることも無かった。
もちろん小さな猫相手にこんな恐ろしい真似は出来ないが、相手は虎かなにかと尋ねたくなるような大型の猫だ。マルコが少し枕にしたところで問題はない。
やがて遠くに小さく雷鳴の音が聞こえだした頃、すっかり力を抜いたマルコはそのまま目を閉じて、猫にもたれかかったままでぐっすりと眠り込んでいた。
「……ん?」
そうして目を覚ました時、マルコの体はベッドにきちんと横たわり、タオルケットまで被っていた。
すぐそばには大きな猫が潜り込んでいて、手触りの良い毛皮を抱き枕にしている。
すよすよと眠り込む猫を見下ろし、それから少しだけ体を起こしたマルコは、はて、と首を傾げた。
ベッドに腰かけた格好になっていたはずなのに、一体いつの間にベッドへ足を上げてタオルケットを被ったのだろうか。
見やった足からはサンダルすらも外れている。無意識にやったのだろうか。
少し考えて、しかし寝ぼけた頭ではまとまらず、まあいいか、と胸の中で呟いて浮かせていた頭をシーツへ乗せる。
ちらりと見やった机の上には自分が置いてきた本や紙があり、そろそろ起きて触りたいなとも思うのだが、抱き込んだ毛皮のぬくもりが邪魔をした。
遠くではまだ雷鳴の音がしている。きっと甲板は雨水で水浸しだろう。
それにしても、せっかくの貴重な休みを、猫と寝て消費するだなんて。
「休みの使い方としてどうなんだよい……」
低く唸ってはみるものの、しかしこの気持ちよさに勝つ手段を、マルコは持ち合わせていなかった。
end
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