それは、きっと
※『100万打記念企画SSS』の続き
※何となくほんのりと女装系男子注意
公園で見かけたその男は、随分と寂しそうな顔をしていた。
思わずアイスバーグがその視線を向けたのは、昼下がりのうららかな日差しが注ぐ公園に、あまりにも不釣り合いに見えたからだ。
その日の後も、出勤や帰宅の合間に通りかかれば、数日に一回はその姿を見かけた。
午前より午後に見かけることが多いので、午前は仕事をしているのかもしれない。
食事をとっていることもあるし、公園の中を通り抜ける水路をただ眺めていることもある。
声を掛けてみようかと考えもしたが、しかしどうして自分がそう思ったのか分からず、なかなか踏み切れないままで時間が過ぎた。
転機が訪れたのは、接待を受けた夜の店で、オーナーが新入りを挨拶させた時だった。
「あの……初めまして」
ナマエと名乗った目の前の相手は、誰がどう見ても公園の彼だった。
きちんと化粧をして、しっかりと女物の服を着込んでいる。露出は控えめで、髪も昼間に見かけた時より長いので、恐らくウィッグだろう。
女性的な見た目だが、しかし確かに、その顔は公園の彼だ。
「……あの?」
思わずじっと見つめてしまったアイスバーグに、ナマエが戸惑いを浮かべる。
そこではっと我に返り、アイスバーグは微笑みを浮かべた。
「ンマー、悪い、随分な美人だと思ってな」
隣に座るよう示しながら言葉を紡ぐと、きょとんと眼を丸くした相手が、それから営業向きの笑みを浮かべる。
お上手ですねと囁いた言葉は少し低く掠れていて、女のものにしてはハスキーだ。
隣に座ったナマエは控えめで、アイスバーグと取引先の話を邪魔しなかった。
酒の作り方すら少したどたどしいが、まあ、それも含めて可愛らしい。
横目で見やっても、完全に女としての体裁を整えていた。
男だと分かりそうな部位はほとんど隠されていて、昼間の彼を見たことが無かったなら、アイスバーグもナマエが男だと気付かなかったかもしれない。
何故こんなところでこんな仕事をしているのか、尋ねたい気持ちが膨らんだが、けれどもそれを飲み込んで、アイスバーグはその日の夜を過ごした。
アイスバーグが『気に入り』のホステスに会うために足繁くその店に通うようになったのは、それからのことだ。
※
ナマエと言う名のホステスに会いに行くようになって、しばらくが経った。
毎日通い詰めても良いくらいだが、そこまでするとナマエにおかしなプレッシャーを与えてしまうだろうと考えて、自分で頻度を調節している。
そのつもりだったのに、急に忙しい仕事が立て込んで、夜に酒を飲みにも出られない日が続いた。
「……ああ、まったく……」
はあ、とため息を零したアイスバーグの足が、帰路につくために石畳を踏む。
時刻は平日の昼下がり、夕方にはまだ早い時間だ。
ようやく仕事から解放されたので、今日はぐっすり眠れるに違いない。
市長になってから時間は経つが、久しぶりに忙殺された日々だった。大体二週間くらいだろうか。
疲れたなと考えながら、頭に浮かんだのは夜の店で微笑む女の格好をした男の顔だった。
しばらく会いに来なくなって、少しは気にしていただろうか。
ナマエは控えめなたちで、太い客をあまり捕まえていないらしいと言うことは知っている。
そもそもアイスバーグの『気に入り』であるという噂がたち始めているようなので、他の客の方がアイスバーグに遠慮している節もあるだろう。
ナマエには迷惑な話だろうが、アイスバーグとしては都合がいい。
「…………ん?」
そこまで考えて、なんで都合がいいんだ、と首を傾げたところで、アイスバーグの視界の端に入ったのは、いつも通りかかる公園だった。
ベンチにいる人影に、視線がそのまま吸い寄せられる。
どうやら今日は公園に出てくる日だったらしいナマエが、相変わらずぼんやりと水路を眺めていた。
いつもと変わらず寂しそうな顔をしていて、薄暗い照明の下にあった顔が、何となくそれに重なる。
アイスバーグの足が公園の方へと向かったのは、ほとんど無意識だった。
不思議そうな男の視線が自分の方を見るまで、アイスバーグには相手へ近寄っているという自覚すらなかった。
「…………あの?」
不思議そうに首を傾げられて、そこで自分がずっと相手を見つめながら近寄っていたことに気付いたアイスバーグが、慌てて目を逸らす。
気付けば自身はベンチのすぐそばにいて、座ったままの男から不思議そうな視線を向けられているのが分かった。
「あ……あー……」
まさか、何の『きっかけ』もなく接触することになるとは思わず、アイスバーグの目が話題を探す。
けれども、のどかな公園には何の事件性もなく、自然な話題は見つからない。
「……いや、悪いな、兄ちゃん。ちょっとぼうっとしてた」
「はあ……」
仕方なく謝ったアイスバーグに、ナマエが曖昧な相槌を寄こした。
耳に届いたそれは、夜の店で聞いたものとそれほど変わらない。
久しぶりに聞いたそれにアイスバーグがほっと息を漏らしたところで、とん、と木材を叩く音がした。
それを辿って見やれば、ベンチに座ったままだったナマエが自分の傍らを叩くようにして汚れを払い、そうして少し横にずれたところだった。
「……どうぞ。おつかれ、みたいですし」
座れと示されて、アイスバーグがそこへ座る。
店で座るときよりも距離を開かれて、そのことに違和感を抱くアイスバーグをよそに、ナマエが言葉を漏らす。
「市長さんって、お忙しいんですね、やっぱり」
「……ンマー、最近は特にな。今日やっと落ち着いたんだが、この二週間は酷かった」
世間話のように言葉を紡がれて、アイスバーグが相槌を打つ。
大変だったんですね、と気遣うような声が耳に届いて、そのことが妙に嬉しい、という事実にアイスバーグは動揺した。
忙しくしている市長を、気遣ってくれるスタッフは大勢いた。
それらの全てに感謝しているが、それと、今の感情は違う気がする。
何故だと考え込んだアイスバーグが答えを見つける前に、傍らに座っていたナマエが立ち上がる。
「それじゃ、ごゆっくり」
「あ」
「え」
そのまま立ち去ろうとする相手に思わず声が漏れて、そのことに驚いた様子のナマエが足を止めた。
振り向いたその目が、怯えたようにアイスバーグを見つめた。
その視線だけで気付いてしまったアイスバーグは、努めて気にしないふりをして、相手を安心させるために笑みを浮かべる。
「ベンチを奪い取ってしまうようで悪いな。知っているとは思うが、おれは市長のアイスバーグだ。……そっちは?」
尋ねた先で、ナマエはアイスバーグの予想の通り、『ナマエ』とは違う名前を答えた。
別の名前を名乗るということはつまり、夜の自分がナマエであるということを隠したいという証だ。
そのことにどうして傷付いたのか、アイスバーグが自覚するのにはしばらくの時間が必要だった。
※
ドレスを贈れば、嬉しいという。
ナマエの趣味に合わせたものだったなら着ていてくれるし、贈った装飾品も身に着けてくれた。化粧品には好みがあるようだが、スキンケア関係のものも渡せば素直に使ってくれて、香水もアイスバーグの好みに変わった。
いつの間にか、夜の店で会うナマエのつま先から頭まで、全てアイスバーグがかかわったものになっている。
そのことがとても嬉しくて、だからこそアイスバーグが来る前に他の卓で接待をしているナマエを見かけたときの不快感に、アイスバーグは自分の恋心を自覚した。
相手は確かに美しいが夜の店の『女』で、そして本当は男だ。
なんともイバラの道ではあるが、好きなものは好きなのだから仕方ない。
夜のナマエと昼間の男、同一人物である二人と話しているうちに、ナマエがどうやら移民であるらしいということも知った。
身よりはなく、生活費の為にここにいる。
借金があるわけではないというのは良い情報だ。もしも借金があったら、肩代わりをして相手を囲っていたかもしれない。
夜の『彼女』に聞く限り、『ナマエ』と言うのはどうやら本名らしい。それが本当なら、公園で出たあの名前は咄嗟に考えた偽名と言うことだ。随分と頭の回転が良い。
酒にはあまり強くないので、自分の為に作る水割りは薄い。
聞いた限りの食事の好みは、アイスバーグにとっては好ましい部類だった。
同伴をしない方針の店であるからどこかでともに食事をしたことはないが、テーブルマナーをもし知らなかったならそれはそれで、教える楽しみもありそうだ。
そしておそらく、ナマエもアイスバーグのことを、憎からず思ってくれている。
となれば、話をして、酒を飲んで、ほんの数時間を共にするだけの関係を踏み越えたくなってしまうのに、時間は掛からなかった。
「まァそれでも、『偶然』会っただけならその限りじゃない。そうだろう、ナマエ?」
だからこそ、自分の告白を素直に受け入れてはくれないナマエに、アイスバーグは微笑んだのだ。
裏に意味を考えたのか、ナマエは少し険しい顔をした。
そんな顔をしても可愛いだけとは、まったくもって恐れ入る。
身を寄せて、その耳元で言葉を零す。
「明日公園でな、」
後ろに続けたのは、ナマエがアイスバーグに以前名乗った『偽名』だった。
そうして体を離すと、ナマエが驚きに満ちた顔をしている。
普段の憂いを帯びた面立ちとは違う、どことなく幼く見えるそれが可愛らしくて、笑ったアイスバーグはそのまま立ち上がった。
振り向きもせずに会計を済ませて、店を出れば、往来は静かなものだ。
「ンマー……明日が楽しみだ」
思わずそんな風に一人で呟いて、アイスバーグはそのまま店を後にした。
※
公園に現れた男は、随分と緊張した顔をしていた。
恐らくあまり眠れていないのだろう、目元は少し眠たげで、しかし身なりはきちんとしている。それでも、しっかりと男だと分かるそれだ。
そのままずかずかと近寄ってきた相手に、アイスバーグはベンチに座ったままで微笑んだ。
「随分怖い顔だな」
どうしたんだ、とベンチに座ったままで尋ねたアイスバーグに、ナマエはわずかに躊躇うような顔をした。
アイスバーグの正面に佇んで、そのまま少し視線を逸らした相手に、アイスバーグの手が伸びる。
捕まえたナマエの指は冷たかった。
「こんなに冷えちゃあ寒ィだろう、可哀想に」
「……あの、俺、」
「だが、おれが緊張させてるんだとすれば、まァ、悪くない」
そんな風に言って笑ったアイスバーグに、ナマエがぱちりと目を瞬かせる。
戸惑いを浮かべた相手の手を引けば、ナマエはアイスバーグの誘導に従ってすぐ隣へ腰を落ち着けた。
そのまま二人で、しばらく水路を眺める。
その間に、アイスバーグが触れている手がもぞりと身じろぎ、逃げ出そうとしたそれをアイスバーグが掴み直すと、びくりとナマエの体が揺れた。
怯えの滲んだそれに、アイスバーグの視線が傍らを見やる。
寄こされた視線に、ナマエがゆっくりとアイスバーグの方を見やった。
「……あの、俺……ずっと、騙してて……」
一生懸命に言葉を紡いでくれているナマエの顔は、真剣そのものだ。
色々考えてきてくれたらしい相手の手を握りしめたまま、アイスバーグはその口元の笑みを深める。
「ンマー、それを言うなら、おれもずっと騙してきたようなもんだな」
『アイスバーグが騙されている』とナマエが思うように、と気を配ってはいたのだ。
公園ではナマエの名前を出したこともないし、夜の店で昼間の彼の名前を出したのは、昨日が初めてだった。
何故かと言えばそんなもの、傍らの彼を逃がしたくなかったからに決まっている。
「おれが最初に好きになったのは、こっちのお前の方だったんだが」
「え……」
あっさりと告白したアイスバーグに、傍らの男が困惑に満ちた声を漏らした。
女の俺を好きになったんじゃないのかと聞かれたが、いいやとアイスバーグは首を横に振る。
寂しそうな顔をした彼が、一番最初にアイスバーグの視線を奪った。
「昼間に何度か見かけてたから、店で初めて会った時にすぐ分かった」
思えば店にいる時のナマエは、完璧に女に化けていた筈なのだ。
オーナーや他のスタッフはともかく、店の客がナマエを男だと思っていた様子はなかった。
それでもアイスバーグは、ベンチに座っていた彼だということがすぐに分かった。
「な、なんで」
「さァて」
当然の疑問を寄こされて、アイスバーグは言葉を零した。
相変わらず握ったままの手を引き寄せて、しっかりと相手が逃げられないようにする。
外でこんなことをしていたら、そのうち号外でも出されそうだが、それはそれだ。責任はとるつもりなので問題ない。
ナマエの想いなんて、今日この場に来てくれただけでも分かるというものだ。
「愛の力ってことにしておくか」
片目を閉じて笑ったアイスバーグに、な、とナマエが言葉を途切れさせる。
ぱくぱくと口を開閉させて、それから『何を馬鹿みたいなこと言っているんですか』と初めてこちらの姿で詰られたが、顔色からして照れ隠しなのは間違いなかった。
end
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