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世界の損失は免れた
※『愛ある魂胆』からの続編で『こいの犯行』の直接的な続き
※トリップ系主人公は赤髪海賊団クルー
※ほぼペローナ


 その日、ペローナはゾンビを見た。

「モ、モリア様……!?」

 思わず周囲をきょろきょろ探してしまったのは、人から影を抜き死体に放り込んで『配下』にできる、ペローナの大好きなあの人が近くにいるかもしれないと思ったからだ。
 けれども、どれだけ耳を澄ませてみても良く通る高い笑い声は聞こえないし、なんなら嗅ぎなれた腐臭も感じない。
 そのことに眉を寄せ、丸い目をぱちりと瞬かせて、ペローナは改めてゾンビを見やった。

「……あれ?」

 なんと残念なことに、それはゾンビではなかった。
 げっそりとした幽鬼のような顔をして、壁に頼り、体のあちこちに傷を負い、ふらふらと筋肉が足りていないような歩き方をしているが、人間である。
 昨晩城で大騒ぎをしていた赤髪海賊団の、なんとかいう名前の無謀な男だと、優秀なペローナは思い出した。
 このヒューマンドリルの蔓延るクライガナで、装備の一つもなく一人で城へ向かったのだという男だ。

『今さっき降ろしたからな、迎えに行ってやってくれよ』

 電伝虫が自分で乾いてしまいそうなくらいにかにかと笑って発した言葉に、分かった、と短く答えたミホークをペローナは見た。
 その手が素早く受話器を置き、きちんと出かける装いに変えて黒刀も背負い。
 そうして、そこでペローナと目が合ったのだ。

『……貴様もついてこい』

 あの顔はとても怖かった。
 昨日の今日だが、頭にこびりついて離れない黄金の眼差しは、ふと思い出したペローナの背中をぞわぞわさせる。
 ペローナが発見しミホークが救出した件の男が、何故だかペローナの目の前でフラフラしている。

「おい、お前」

 ふんわりと体を漂わせ、幽体のまま近寄ったペローナは、さかさまになってその顔を覗き込んだ。
 ものすごく緊張して眠れなかったかのような、真っ青でひどい顔をしている男だ。
 触ったら冷たいんじゃないかとも思ったが、残念ながら今のペローナは何者にも触れられない。
 けれどもきちんと声は聞こえたのだろう、ふらりともう一歩を踏み出しかけた男が、そのままで足元の方へ向けていた顔を上げた。

「…………あれ?」

 声も少ししわがれている。水が足りないのではないだろうか。
 少し考えて、それから昨晩のことを思い出したペローナは、さかさまになったままでポンと手を叩いた。

「キッチンの場所を教えてやるから、私にココアをいれやがれ!」

 そう言えばこの男には、昨晩の約束を果たしてもらっていなかった。







 キッチンへ案内する間に交わした会話で、ペローナは少しだけ男に詳しくなった。
 男は、ナマエと言う名前らしい。
 赤髪海賊団の一員で、年齢はペローナより上。
 何故そんなにゾンビのような顔色をしているのかと尋ねたペローナに、一晩命の危険にさらされたからだと男は答えた。
 ひょっとしたら、四皇ともなると酒盛りで殺し合いでも発生するのかもしれない。ゲッコー・モリアやジュラキュール・ミホークが王下七武海でよかった、とペローナは思った。
 昨晩から明け方まで続いていたらしい宴はすっかり終わり、ほとんど全員が酔いつぶれているらしい。
 城主であるミホークもすっかり気分よく眠っているのだと聞いて、ペローナは少し驚いた。
 赤髪のシャンクスと鷹の目のミホークはよほど仲が良いようだ。まあ、そうでなかったら、わざわざ相手の根城まで押しかけて酒盛りはしない。

「よっと……これでいいかな?」

「ホロホロホロホロ! お前、やるじゃねェか!」

 ふんわり甘い香りの漂うココアを提供されて、ペローナは喜びの声を上げた。
 案内した先で難しい方のココアだなんだと言いながらうろうろしていたが、ペローナが生身で戻るまでの間に提供できるのだから、ナマエはかなり手際のよい男だ。
 温かなココアは柔らかな甘さを出していて、口に含めば幸せの味がする。とても美味しい。
 これでベーグルでもあれば完璧だったが、さすがにペローナもミホークの客人のおまけにそこまでは求めていない。客人の手には、自分で用意したのだろう紅茶があった。

「美味しかったならよかった」

 ほっとしたように微笑むナマエは、まったく海賊らしくない顔をしている。
 その頬に張り付けられたガーゼは痛々しく、昨日無謀を仕出かした男と同一人物とは思えなかった。
 先程より少し顔色がいいのは、飲み物を口にしたからだろう。

「昨日全然眠れなかったんなら、後で客室の方に案内してやろうか?」

 あとは休息が必要そうだと考えて、ペローナはそう尋ねた。
 掃除などしていないから埃っぽいだろうが、床で寝るよりは多少柔らかいだろう。
 ペローナが普段使っている部屋から、シーツなどを運んでやってもいい。
 ペローナの提案に、ああ、ともうう、ともつかない声をナマエが漏らす。
 どうしたのかと思ってその顔を覗き込んだペローナは、男が困ったように眉を下げているのを目撃した。

「ナマエ?」

 どうしたんだ、と尋ねた先で、ナマエがそっと片手を自分の口元に当てる。

「……ここにいると、今度こそ死ぬかもしれないから、船に帰ろうかと思ってるんだ」

「死ぬ……?」

 放たれた不穏な言葉に、ペローナの首が傾げられる。
 そこからはっと目を見開き、慌てたようにその足が床を踏みつけた。

「ま、まま、まさか鷹の目の奴、赤髪と一戦交えるんじゃねェだろうな!?」

 王下七武海と四皇の衝突など、恐ろしいことこの上ない。空が割れて海も裂けるのではなかろうか。
 どこかへ逃げなくては自分の身すら危ないのではないかと慌てたペローナに、ナマエは素早く手を横に振った。

「いや、それは無いと思う、手合わせはするかもしれないけど、うん」

 あの二人仲が良いし、と続いた言葉に、そうか、とペローナの口が少しだけ息を零す。
 避難しなくていいならそれに越したことはない。
 胸をなでおろしてから、はた、と気付いたその目が改めてナマエを見やった。

「それじゃあ、何に巻き込まれて死ぬんだ?」

 クライガナにはヒューマンドリル達が住み着いてはいるが、連中は決して城には近付かない。
 それはここがミホークの根城であり、ミホークの強さを野生の獣たちが認めているからだ。
 目が覚めれば鍛錬に出るロロノア・ゾロは時たまミホークに挑んでいるが、その余波で城が崩れたこともない。
 となれば、『死ぬ』原因はそもそも何なのか。
 思い浮かばず不思議そうな顔をしたペローナに、ナマエは先程よりさらに困った顔をした。
 何故だかその目がおどおどと逸らされる。

「た……たかの……ミ、ミホークに、その」

「ん?」

「…………心臓が破裂するかもしれなくて……」

「……んん?」

 意味の分からなさに、ペローナが声を漏らす。
 どういうことだろうか。
 まさか、鷹の目のミホークは刀すら使わずとも人の心臓を破裂させることが出来るのか。
 世界一の大剣豪だ、そのくらいの芸当は出来てしまってもおかしくない。
 今後出来る限り幽体でのみ近付くことにしよう、と心に誓って、ペローナの手がマグカップを掴み直す。
 まだ温かいココアは、ペローナの舌を満足させる甘さのままだ。
 自分でいれたココアに勝るとも劣らぬその味に、ペローナはふうと吐息を零した。

「仕方のねェ奴だな」

 この美味しいココアが失われるのは世界の損失だ。
 いくら無謀な男だからと言って、一人で船まで戻るのは至難の業だろう。
 その点、ペローナなら安全に送り届けて帰ることが出来る。
 ホロホロの実の利点を十分理解しているペローナからの提案に、ナマエは嬉しそうにその瞳を輝かせたのだった。







 ペローナは、大変困惑していた。
 出かけることはそんなことなかったはずなのに、戻ってきた城の空気がひりついている。
 何故かと言えば、居間で、くつろぐわけでもなく椅子へ座っている海賊のせいだ。
 あれこれと皿や酒瓶は転がっているが、たむろしていた海賊達の姿も無い。

「ホロ……ホロホロホロ! 何してるんだ、鷹の目?」

 わざとらしく笑って声を掛けるも、ぎろりと鋭い眼差しが寄こされるだけだった。
 これは怖い。生身だったら色々大変なことになっていたかもしれない。
 思わず身を引いたペローナをよそに、おーい、と声がかかる。
 思わず見やったペローナは、この空気のミホークへずかずかと近寄る赤髪の男を見つけた。

「見つかったから安心しろよ、な!」

 にっかりとどこかで見たような笑顔で言いながら、近寄ってきた男がばしばしとミホークの肩を叩いている。
 それを煩わしそうに片手で退けて、ミホークが促すように赤髪の方を見た。
 それに対してまた笑い、赤髪のシャンクスが言葉を続ける。

「ナマエの奴なら、船に戻ってるとさ!」

「えっ」

 思わず、ペローナの口から声が漏れた。
 慌てて口を押えたが、それが相手の耳に届いたという事実は変わらない。
 ゆるりと立ち上がったミホークがペローナの方へその顔を向けたので、ペローナはいよいよ命の危機を感じた。
 ミホークの横でようやくペローナに気付いた赤髪が、おお? と面白がるような視線をペローナへ向けているが、今は静かにしていてほしい。いや、もっと話せ。もっと話して鷹の目の注意をひいてほしい。

「何か知っているか」

 低く地を這うような声がして、ペローナはぶんぶんと首を横に振る。
 それでも近寄ってくる相手におずおずと下へさがって、ペローナの足が腰まで床に沈んだ。
 下へさがったペローナへ、足を止めたミホークが視線を寄こす。
 上へ逃げなかったのは、自分の体が上の階にあることをペローナが分かっていたからだった。万が一にも壁を切り払って追われたら、ペローナの無防備な体が可哀想なことになってしまう。
 なんでこんなに威圧されなくてはならないのだと、ペローナは少々涙目になった。

「な、なんだよ……私はただ、送ってっただけだぞ……」

「お、ナマエを送ってくれたのか嬢ちゃん。ありがとうなァ!」

 震えるペローナの声に、何故だか赤髪の方が返事を寄こす。
 ミホークの方は無言で、じとりと注がれる視線ときたらペローナが生身だったら七つくらいに斬られていそうだ。
 理由を問われているのが分かる。反応が欲しくてあれこれ話しかけながらまとわりついたこの一年、ペローナは無口なミホークの言いたいことが少しは分かるようになったのだ。
 無言の圧に耐え切れず、ああもう! とペローナは声を上げる。

「死にそうだっていうから送ってっただけだ! 私は悪くないんだからな!」

 悲鳴を上げつつ逃げ出そうと地面へもぐり込んだところで、どん、と何か音を聞いた。
 遠かったそれに石と土の間でびくりと体を震わせて、ペローナがゆっくりと横に体をずらす。
 恐らくは部屋の隅だろう場所からそっと浮上し、鼻から上だけをのぞかせると、居間にはすでにミホークの姿は無かった。
 赤髪は残っているが、なぜか身を折り曲げて伏している。
 ふるふると震えるその姿にペローナが困惑していると、ぶは、と大きく息を吐きだす音がした。
 くくくく、と声を漏らして震える赤髪のシャンクス。どう見ても笑っている。大笑いである。

「…………何を笑っていやがるんだ?」

 周囲を確認し、鷹の目のミホークがいないことを確認してからそろりと相手へ近付いて、ペローナはそう尋ねた。
 腹を抱えて笑っていたらしい男が、近寄ったペローナに気付いて、ああ、と笑いを混じらせた声を漏らした。

「いや、あいつのあんな慌てた顔、久しぶりに見たからよ」

 いい発言だったぜ嬢ちゃん、と笑いながら伸びた片腕がペローナの体をすかりとすり抜け、大地を叩いた赤髪は気にした様子もなくまた笑う。
 なんとも楽しそうなその顔に、わけが分からないままでするりと地面から抜け出したペローナは、体を全て宙に浮かせてから首を傾げた。
 先程の音が何だったのかは分からないが、鷹の目はどこかへ行ってしまったらしい。
 となればきっと、向かった先はつい先ほどペローナが後にしてきた船だろう。

「ナマエの奴、死なねえといいなァ……」

 思わず呟いてしまったが、ペローナにはどうすることも出来ない。鷹の目のミホークの加減を願うばかりだ。
 ほんとになァ、と他人事のように言ってまた笑った赤髪のシャンクスは、そこで懐から子電伝虫を取り出した。
 仲間達とかわす連絡の中で、ナマエがどうだの鷹の目がどうだのと聞こえてくるのを放っておいて、ペローナの体がふわりと宙を泳ぐ。
 今日はとても疲れたので、もう一度休むとしよう。
 できたらいずれ、またあのココアが飲めたらいいな、なんて願いを抱きつつ、ゴーストプリンセスは自分の寝床へ戻ることにした。
 彼女の小さな願いが叶ったのは、それからしばらく後のこと。
 ナマエは死んでいなかった。めでたいことである。



end


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