恋とはつまり
※『天国で地獄』設定
※トリップ系主人公はモモンガさんがとても好き
俺の知るモモンガさんは、とてもすごい海兵さんだ。
肩書きがあって、部下もたくさんいて、身なりも綺麗に整えていて、背が高く、手も大きく、背中はぴんと真っすぐで、何というかいつもきりりと気を引き締めているような気がする。
その優しさは言うまでもないし、戦っているところを実際には見たことが無くても、あの人が強いということは知っている。
料理も上手だし、俺に比べたら随分酒にも強い。
笑うとちょっと可愛いし、何ならそこにいて息をしてくれているだけで格好いい。
モモンガさんは、とても素敵な海兵さんだ。
その、モモンガさんが。
「……あの……モモンガさん……?」
大丈夫ですか、と声を掛けた先には、玄関先の門の内側にしゃがみこんでいる人影があった。
そこにいるのは、誰がどう見てもこの家の主だ。
具合が悪いのかと慌てて近寄ったところで強く漂った酒の匂いに、俺はその人が酔っ払いだということに気が付いた。
屈みこんで見つめてみても、眼も閉じたモモンガさんは反応のひとつもしない。
この人がマリンフォードをしばらく離れるという話を聞いたのは、つい先週のことだった。
そうなんですかと相槌を打った俺にモモンガさんが家の合鍵を差し出してきたのは、玄関の内側にある植木鉢を管理してほしいと言われたからだ。
部下から貰ったというそれはちゃんと手入れをしなくてはすぐに枯れてしまう品種で、そしてサイズからして俺の家へ連れて帰るには大きかった。
そこそこの金額がする植木鉢ごと盗まれてしまう可能性があるからと玄関から外に出しておくの難しいんだと言って、モモンガさんが笑ったのを覚えている。
『なんなら、我が家のようにくつろいで行ってくれても構わないぞ』
『いえ! 玄関より先には、あ、あがりませんから! 大丈夫です!』
とんでもないとぶるぶる首を横に振って、俺がモモンガさんからその合鍵を受け取ったのは、そうすればこの人に会う口実が出来るという打算に満ちた下心があったからだった。
俺の思惑通り、戻ったら返してもらいに来る、と言って笑ったモモンガさんを見送ってから、やがて一週間。
そして今日も俺は出勤前にモモンガさんの植木鉢を世話したわけだが、仕事を終えて帰り支度をしていた時に、自分の家の鍵が無いことに気付いた。
ひょっとして鞄を置いた時に落としたんじゃないかと考えて、こうして仕事帰りにモモンガさんの家へ向かって、今に至る。
「……モモンガさん? ここで寝たら風邪ひきますよ」
声を掛けつつ、玄関の扉にもたれ混んでいる体を軽く揺さぶる。
そうしながらしげしげと体を確認したが、大きな怪我をしている様子もなかった。今回の遠征も、モモンガさんはちゃんと無事に帰ってきてくれたらしい。
そのことにほっとしつつ、頭から酒を浴びたのかと尋ねたくなるくらいに酒の匂いがする相手を揺さぶっていると、やがて、ううん、と声を漏らしたモモンガさんがゆっくりと目を開く。
「…………ナマエ?」
「はい、ナマエです。おはようございます。立てますか?」
時間からして適切じゃない挨拶をしながら、眼を少しだけ開いたモモンガさんの体を引っ張る。
酔った相手はぐったりとしていて、引き起こしても支えていなかったら扉へ頭を打ち付けてしまいそうだ。
座り込んだままのモモンガさんの傍で膝をついて、自分の方へ少し傾いてくれるよう調整しながら、俺は自分の鞄を片手で探った。
預かっていた合鍵を入れたケースを取り出して、そこから合鍵を引っ張り出す。
膝をついたままでもなんとかぎりぎり届く高さの鍵穴に合鍵を差してから、くるりと回した。
錠が開いてすぐに合鍵を片付けて、それから両手でモモンガさんの肩を掴みなおす。
「ほら、鍵開けましたよ。寝るなら家の中でにしましょう」
そう言いながら見つめた先のモモンガさんは、まだぼんやりしている。
いつもきりりとしている相手が無防備な顔をしてくるのに、心臓やそれ以外がなんだか騒がしい気がしたが、今はこの酔っている人を家の中へ入らせることの方が先だ。
少し乱れている髭を撫でつけて直してやりたい衝動と戦いながら、言葉と共にぽんぽんとその肩を叩くと、モモンガさんがこくりと頷いた。
そのままゆっくりとした動作で立ち上がるのを、横で立ち上がりながら支える。
俺がとんでもない力持ちだったら運んであげられるのに、いくら体力をつけてきているとは言え俺はまだまだ非力なので、モモンガさんの補助をするので精いっぱいだ。
家の中へ入った後、またすぐにその場で座り込もうとする相手に慌てて声を掛け、靴を脱がせたり廊下の灯りをつけたりして、俺は合鍵を預かってから初めて、玄関の先へと足を踏み入れた。
きちんと綺麗に清掃されている室内は、相変わらず広い。
さらに初めて足を踏み入れたモモンガさんの寝室も同様だった。薄暗い室内のベッドの上に寝転んだモモンガさんからコートをはぎ取ったのは、このままじゃ皺になると思ったからだ。
背伸びしてぎりぎりになりそうなコートハンガーへ、引き寄せた椅子を使ってコートを掛けて、ついてしまっている皺を伸ばすようにしながら、ついでに少し汚れを払い落とす。
モモンガさんから離れた正義のコートからは煙や海の匂いが少しだけしていて、今日帰ってきたばかりなんだろうな、と思わせた。灯りをつけていない部屋はうす暗いから分かりにくいが、大きな汚れもなさそうだ。
「ん……」
丁寧に皺をのばしていたら、後ろでモモンガさんが身じろいだ気配がした。
振り返ると、シーツの上に体を横たえた家の主が、眉間にしわを寄せながら自分の胸元を触っている。
シャツの襟を引っ張ろうとするようなその仕草に、寝苦しいのかと気付いて椅子を降りた。
近寄ってからスーツのジャケットのボタンをはずして、少し弛んでいるネクタイを解いてあげようとしたところで、自分がモモンガさんの顔を覗き込むような姿勢になっていることに気付く。
モモンガさんはすっかり夢の中で、少し汗ばんだ肌へ、廊下から入り込む灯りで落ちた俺自身の影が重なっていた。
「…………」
ごくり、と息を飲んでしまったが、他意はない。
酔って前後不覚な相手に何かをするなんて卑怯なことこの上ないし、というよりいくら俺がモモンガさんを好きだからと言って、モモンガさんにはそんなつもりがまるでないのだ。
合意でない相手に何かをしでかすなんて、それこそ人間の屑だ。
モモンガさんにそんなつもりは無いとしても、ここまで無防備な姿を見せて構わないと思われているかもしれないのに、その信頼を裏切るなんて馬鹿な真似、出来るわけが無い。
一つ、二つと深呼吸をしたら余計モモンガさんの匂いを感じてしまったので、俺はひとまず息を止めてモモンガさんのネクタイを、出来るだけ丁寧に静かに解いた。
そのままの勢いで二つほどシャツのボタンも外して、端に畳んでおかれていたタオルケットを広げて目の前の体を隠す。
本当はベルトも外してあげた方がいいかもしれないが、さすがにそんなことは友達でもしない、と思う。
「っ、はァッ、は、」
そのまま少しモモンガさんから距離を取ったところで呼吸の限界が来てしまったので、口から思い切り息を吸った。
モモンガさんに背中を向けて明るい廊下側に向き直り、呼吸を整える努力をしながら手に持っているネクタイの皺を伸ばす。
これはクローゼットにでも片付ければいいんだろうか、と手元へ視線を落とした俺は、それが『前に俺がモモンガさんへ送った物』だという事実にそこで初めて気が付いた。
ぶわ、と顔が赤くなったのが分かる。
仕事でまで使ってくれているということは、少なくとも気に入らない柄じゃなかったということだ。
そのことが嬉しいような、それはそれとして恥ずかしいような気持ちで、口がニヤついてしまう。情けない顔をしていることは間違いないので、そそくさとネクタイから視線を外した。
そのまま見やった先のベッドの上の住人は、まだぐっすり夢の中だ。
仕事帰りに酒を飲みに行って、つい飲み過ぎてしまったんだろう。
いつでも素敵で格好いいモモンガさんの、小さな可愛い失敗に、そっと息を漏らす。
とりあえずモモンガさんの寝室へ戻った俺は、クローゼットの中にネクタイを片付けようかとクローゼットの前へ移動した。
しかし、相手に断りもなくクローゼットを開けていいのか悩んだあと、とりあえずさっきコートを掛けるのに使った椅子の背中にネクタイを預けることにする。
ついでに動かしただけの椅子も元の位置へ戻して、モモンガさんの寝室に自分が何か忘れていないかを確認してから部屋を出た。
飲み物でも用意しようかと思ったが、家主が寝ている間にあちこちをうろつくものでもないだろう。
そのまま玄関へ戻って、さっきモモンガさんが脱いだ靴を揃えながら少しばかり周囲を確認すると、モモンガさんの植木鉢のすぐ横に、見慣れた鍵を発見した。
そもそもここへ来ることになった原因である忘れ物を回収して、最後に廊下の灯りを落とす。
「それじゃ、お邪魔しました」
多分聞こえていないだろう相手へ向けて挨拶を放って、モモンガさんの家を出た俺は、きちんと玄関の鍵を閉めた。
そのまま門から外に出て、モモンガさんから預かった合鍵をケースへしまいながら、自宅へ向けて歩き出す。
あんなに酔ってたんじゃ後で会っても覚えてないかもしれないな、なんて考えつつ、俺は一日の終わりにモモンガさんと会えた幸運をかみしめて帰路についた。
翌日、俺のところを尋ねてきたモモンガさんはやっぱり、昨晩のことを覚えていなかった。
「だが、ナマエに迷惑をかけてしまっただろう。すまなかった」
だというのにそんな風に言って、少し恥ずかしそうに申し訳なさそうな顔をする。
どういう意味かと首を傾げた俺は、俺が預かっていた鍵が合鍵じゃなかったという衝撃の事実を知った。
「そんなの預けたら家に入れないじゃないですか!?」
「帰りにナマエへ会っていけば問題ないかと思ってな」
こともなげにそんなことを言う相手に、ぱくぱくと口を海兵させてしまう。
「そ……そんな大事なもの、俺が失くしたらどうするんですか……!」
「ナマエは失くさないだろう? しっかりしている」
さらにはそんな風に言われてしまって、自宅の鍵だって落としたんですよと出ていきそうだった言葉を、必死になって飲み込む羽目になった。
どうやら、俺が好きな格好良くて素敵なすごい海兵さんは、ほんの少しうっかりしたところがあるらしい。
それはそれで可愛いと思ってしまう俺はもうどうしようもないのだが、恋とは多分、そういうものなのだ。
end
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