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家族だもの
※『存在する意味を聞く』からのシリーズ
※アニマル転生主人公は多分(丈夫な)ライガー
※若干バイオレンス注意



 片方の前足を素早く動かす。
 爪を出したまま叩きつけたそれに目の前の相手が頭を弾かれ、鋭く研いだ爪が毛皮を切り裂いた。
 その場に散った血の匂いを追うように開いた口が相手の首を狙い、逃げられたことでガチンと音を立てて閉じる。
 わずかに身を引く獲物は、見た目からすると大きな牙が一対生えた熊だ。
 威嚇するように歯を剥いて唸っているが、俺の裂いた傷からあふれる血がぼたぼたと大地を濡らしている。明らかに手負いの相手に、恐ろしさなど感じない。
 こちらを見る相手の双眸にはもはや戦意は無かったが、しかし、逃がしてやる義理も無かった。これだけ大きく丸々としていれば、エースの腹も満ちるだろうからだ。
 毛を逆立て、歯を剥き、もう一度前足を動かす。
 さらに手傷を負わせ、よろけたところを狙えば、今度こそその首を捉えることが出来た。
 かみちぎるつもりで咥えた顎の力が、ごきりと相手の骨を折る。
 しばらく抑え込んでいると相手は抵抗を辞め、やがてぐったりとその体が弛緩した。
 そこでようやく手放し、勝利を告げるための雄たけびを上げる。
 俺の遠吠えはびりびりと木々の葉を揺らして、そのことに満足してから獲物を連れて帰ろうと動いたところで、何かがぽとりと頭の上へと落ちた。
 俺の両目の間、鼻先に乗っているそれが、俺の方を見つめている。
 小さなそれは、誰がどう見ても猫だった。小さいから子猫だろうか。
 じっと俺の方を見つめたそいつが、不思議そうに首を傾げる。
 みい、と高い声を零して、それから何故だかこちらへすり寄る相手に、俺は少しばかり耳を揺らした。







「今日はまた、随分小せェヤツも獲ってきたな」

 獲物を引きずりながら入り江へ戻った俺を出迎えたエースが、俺の頭の上あたりを見やってそんな風に言った。
 どうしたんだ、なんて尋ねながら伸びたその手が、ひょいと俺の頭の上のものを掴み上げる。
 みい! と驚いたように鳴き声を零した猫は、やっぱりエースの手元に行っても小さい。子猫で間違いはなさそうだ。
 降りてきた他の仲間達に獲物の引き上げを任せながら、がう、ともぎゃうともつかぬ鳴き声を零した俺に、拾ったのか、とエースが少しばかり首を傾げる。

「木の上から落ちてきたってことは、登ったっきり降りられなくなってたのかもなァ」

 猫はよくやるんだ、と動物に詳しい口ぶりで言う相手に、そう言うものか、と俺はぱたりと尾を揺らした。
 俺自身は木登りなどあまりしないし、高くてもまあ飛び降りればどうにでもなることは経験で知っている。とするとその子猫は、まだまだ経験が足りないのかもしれない。
 エースが片手で掴んだままの子猫がもぞもぞと身じろぎ、逃げ出そうという動きに笑ったエースが俺の頭の上にそいつを戻す。
 俺のたてがみの上に降りた子猫が、そこで何かをしている気配を感じる。
 ぐる、と唸り声を零しつつ視線を向けると、俺の方を見下ろしたエースが笑った。

「そう言うなよ。そこが気に入ってるみたいだぜ」

 俺の視線と鳴き声を正しく解釈したのか、楽しそうに言いながら伸びた手が、俺の頭の上の子猫を撫でたようだった。
 俺の頭まで手を出しているくせに俺のたてがみすら撫でない相手に、仕方なく顔を寄せる。
 上着を着ないエースの無防備なむき出しの腹をぐりぐりと顔で擦ると、くすぐったかったらしいエースが腰を引いた。
 それを逃さずさらに顔を押し付けると、やめろよと笑い声交じりに声を上げたエースが両手で俺の顔を捕まえる。

「舐めなくてもくすぐるのかよ、ナマエ」

 尋ねてこちらを見下ろすエースは怒った顔をしているが、眼を見れば本気でないことくらいはすぐに分かる。
 だから、俺の顔を覗き込む相手に鼻先を寄せた俺は、べろりと目の前の顔をひとなめした。
 うひっと悲鳴を零したエースが俺の顔を手放してさらに後ろへ下がったので、さらに舐めてやろうと体を動かす。
 しかし、エースの肩口に前足を乗せてやろうと身を起こしたところで、みいと悲鳴を上げた小さなものが、俺の頭の上からころりと転がり落ちる感触があった。

「おっと!」

 慌てたようにエースが手を伸ばして、そのまま落下していきそうだった子猫を捕まえる。
 驚いたのか毛を膨らませた子猫は、小さな前足でがしりとエースの手を捕まえていた。よほど怖かったのかもしれない。

「頭にのせてる時にふざけるのは良くねえぞ、ナマエ」

 にやりと笑ったエースが言って、それに同意するように子猫が鳴く。
 なんともうるさい相手へ視線を動かした俺は、エースの手の中の小さな生き物をべろりと舐めた。
 俺が一口で飲めそうなくらい小さな子猫が、エースの手の中で体を固まらせている。
 瞳孔の細い双眸が真っすぐこちらを見上げ、それを覗き込むように見下ろすと、はは、とエースが笑い声を零す。

「ナマエの腹の足しにもならねえ大きさだな、こりゃあ」

 味見で我慢しておけよと言われたが、こんな小さな生き物を食べるほど飢えているわけでもないので、俺はがうと軽く鳴いて返事をした。







 俺が島の中から連れて帰った子猫は、ひとまず船へと乗り込む格好になった。
 親猫を探しても見当たらず、入り江に放置していくには幼く小さかったからだ。
 何人かのクルー達が名前を付けて可愛がっているようで、島にいる数日のうちに、その首にはリボンまでつけられた。
 そうして、昼間は大抵、甲板で俺の近くをうろついている。
 今日も、俺のすぐそばでころりと転がって眠り込んでいる始末だ。
 先程までは俺の尾をおもちゃにして遊んでいたのだが、小さい体は体力がなく、すぐに疲れてしまうらしい。
 放っておいてもいいが、こんな小さい生き物を甲板に放置していたら、気付かなかった誰かに踏まれてしまわないとも限らない。
 だから仕方なく俺もその隣に座り込み、落ちるあたたかな日差しにわずかに目を細めていた。
 初日に狩った熊は、なかなか食いでがあった。
 エースも満足そうだったし、子猫が起きたらまた狩りに出てもいいかもしれない。
 そんなことを考えながら大きく口を開けてあくびを零した俺の背中に、どし、と少しばかりの重みが乗る。
 匂いで近寄ってきていることは知っていたので、俺は身動きもせずにそれを受け止めた。

「あー、疲れた」

 やれやれと声を漏らしたエースからは、少しばかりいつもとは違う匂いがする。
 今日は洗濯係だとか言っていたので、どうやらその作業をしてきたようだ。
 この体に生まれてからもう何年も経ち、いまいち感覚を忘れがちだが、人間は服を着る。それを綺麗にしてきただろうエースの方へ顔を向けると、エースは俺の背中に懐くようにして凭れこんでいた。
 それから、少し身を乗り出した相手が、俺が座り込む内側に転がる子猫を見下ろす。

「そいつ可愛がってんなァ、ナマエ」

 しみじみそう呟かれて、ぱちりと瞬きをした。
 寄こされた言葉の意味が分からず視線を注いでいると、俺の体に両腕を乗せて頬を預けたエースが、俺の方へその目を向ける。

「連れて帰った時はどうでも良さそうだったのに、ちゃんと面倒見てるじゃねェか」

 さっきも遊んでやってたもんな、と続く言葉からするに、エースはどうやら先程俺が子守をしていたところを見ていたようだ。
 がう、ともぐるともつかぬ鳴き声が口から漏れた。
 確かにエースの言う通り、俺はこの子猫を構っていることが多くなっている。
 しかしそれは、クルー達が俺の傍にこいつを置いていくからだ。
 猫同士仲良くしろよだのと言われているが、さすがにこんなたてがみのある猫はいないと、抗議しても俺の言葉は届かない。
 響きからして不満げだっただろう俺の鳴き声を聞き、そんなつもりじゃないなんて言うなよ、とエースが笑う。

「小さい奴の面倒を見るのが年上の役目だろ。お前にいつか子供が出来た時の参考にしろよ」

 楽しそうにエースは言うが、俺は今のところ番を持つ予定はない。
 そもそも、虎なのか獅子なのかも分からない生き物の雌なんてどうやって見つけ出したものかもわからないし、いくら俺の見た目が動物のそれとは言え、動物の『雌』を見て魅力を感じるかと言えば答えは否だ。
 しかしさすがにそんな気持ちは伝わらないらしく、お前の子供も可愛いだろうなァ、なんて言ってエースが笑っている。
 しかしその顔は少しばかり寂しげに見え、こちらから視線を外したその横顔を見つめた俺は、仕方なくその場で身じろいだ。
 自分の背中を舐める時のように体を逸らせば、目の前にエースの顔がやってくる。
 近寄った俺に気付いたエースが身を引くより早く、ざり、と目の前の額とついでに髪を舐めた。

「いって!」

 悲鳴を上げたエースが俺の背中からも離れて逃げを打つ。
 それを逃さぬとばかりにころりと寝返りを打った俺は、四肢で囲い込むように輪を作って、その中にエースを入れた。
 まだまだ石鹸の匂いがする相手へ鼻先をくっつけて、その匂いを落とすように毛皮をこすりつける。
 素肌を擦る俺の毛皮に、しばらくされるがままになっていたエースが、何だよ、と声を漏らしてぺちりと俺の体を叩いた。

「おれはお前の子供じゃねえぞ、ナマエ。匂い付けするなよ」

 笑いの滲んだ声がそう言うが、気にせずぐいぐいと匂いを擦り付ける。
 傍から俺が離れたことで目を覚ましたらしい子猫までやってきて、俺達にもみくちゃにされたエースは、しかし珍しく、その後俺が舐めても逃げなかった。
 痛いと文句は言われたが、笑っていたから、まあいいだろう。


end


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