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月の溶ける夜に (1/3)
※主人公は特殊体質(人魚)
※何気に微知識転生トリップ
※名無しモブ魚人注意



 海の中はいつもと変わらず、広くて綺麗だ。
 海面から注ぐ日差しがちらちらとあちこちを照らして揺れて、真下に広がる海底に複雑な模様を落としている。
 海面の一隻が落とす陰にすら割り込む輝きは目を奪われるほどに綺麗で、いつまでだって眺めていられそうだ。
 水温も心地よく、あちこちでまるで風に吹かれるかのようにイソギンチャクが揺れている。
 のどかな光景にほんのり楽しい気持ちになったところで顔を上げた俺は、目の前を一匹の魚が横切っていくのを見た。

「あれ」

 水の中で声を漏らしてそれを見送ってしまったのは、他にも何匹もの魚たちが、同じ方向へと泳いでいくからだ。
 種類は様々で、大きさもばらばら。だというのに示し合わせたように一方の方向へ向けて泳いでいくのを見やり、俺は首を傾げた。
 髪に残っていた空気が離れていったのか、頭皮がくすぐられたように少しこそばゆい。
 海の中を魚が泳ぐのはいつものことだが、それにしたって一つの方向へ泳いでいきすぎだろう。
 まるで何かから逃げていくかのようだ。
 まさか、と思って魚たちが逃げ出してくる方を見つめてみるが、遥か彼方は青い闇で覆われている。
 遠くへ行けば行くほど青に飲まれて見えなくなっていて、大きな生き物が泳いでいる影すら見えない。本当は青いわけじゃないのに、光の加減でそう見えるんだから、自然というのは不思議だ。
 目を凝らしても理由が見えてこないが、これは『普段』とは違うことだと判断した俺は、ゆらりと『尾』を揺らした。
 えっちらおっちらと体を海の上へ出すために泳ぎだし、一分もかからずに浮上する。

「ぷは」

 その瞬間に口からどうしてか息が漏れて、代わりに体のどこかがぐっと水を拒んだのを感じた。水の中とそれ以外では息の仕方が違うらしく、今の俺の体はそれを自動で切り替えてくれる。
 見上げた先には、大きな船があった。
 もともとの作りの関係か少し船首が上がり気味で、青空にのろしを上げるような黒くて立派な帆を張っている。今俺がいる場所からは見えないが、黒い帆には赤い太陽が描かれていることを、俺は知っていた。

「ジンベエさん!」

 船体へ手で触れながら声を張り上げると、聞いていたらしい相手がひょこりと顔をのぞかせた。
 大きな体に青い肌、口から覗く太い牙と、どう見ても俺の知る『人間』とは違う見た目のその人は、けれども俺がこの世で一番信頼している人だ。

「どうしたんじゃ、ナマエ」

「なんか、魚がみんなあっちに逃げてくんだ」

 言いつつ魚たちが泳いで行った方向を指さすと、それを受けて逆側の空を見やったジンベエさんが、何か聞いたか、とこちらへ向けて言葉を落としてきた。
 聞く暇無かったよと紡いだ俺の言葉は嘘にまみれているが、ジンベエさんに気付いた様子はない。
 その代わりのように落とされたロープの端を掴まえて、俺は自分の体へくるりとそれを巻き付けた。
 慣れた作業を行った俺を見下ろし、ジンベエさんの手がぐいとロープを手繰り寄せる。
 俺だって子供じゃないのに簡単に体が持ち上がり、海面から全身が浮き上がった。
 海面へぽたぽたと海水を零しながら、ずるりと上へ引き上げられていく俺の目が、自分の下半身を見やる。
 本来なら見慣れるはずもない、しかし見慣れてしまったそこにあったのは二本の脚ではなくて、魚やイルカの下半分に近いような一尾だった。
 水の中ではいくらか優位に動けるものの、はしごを上ったりするのにはまるで向いていない。

「ほれ」

「ありがとう」

 引き上げた俺をひょいと甲板へ降ろしたジンベエさんに、俺は笑って礼を言った。
 それへジンベエさんが笑ったところで、お頭、と見張り台にいた船員が声を張り上げる。

「おォ、どうした!」

 四本あるうちの一本の腕で持っていた単眼鏡を振りまわす相手にジンベエさんが声を掛けると、それを受けての返事が落ちてきた。

「こりゃあ嵐だ! どでけェぞ!」

 逃げなきゃまずいと続いた言葉を裏付けるように、びゅう、と強めの風が吹く。
 なるほど、その『嵐』から魚達は逃げていたのかと把握して、俺は目を瞬かせた。

「なるほどのォ」

 俺と同じように納得したらしいジンベエさんが、使ったばかりの縄を手元で巻き直す。
 聞こえていたらしい数人のクルー達がばたばたと準備を始めて、甲板が少しにぎやかになった。
 動き回る人たちの中に、俺のよく知る『人間』の姿は一つもない。
 それもそのはず、この船は魚人や人魚のみが乗る海賊船なのだ。
 タイヨウの海賊団、なんて名前の付いた海賊団が乗り込む船の上で、俺だけがおかしいということを知っているのは俺自身のみだったりする。
 ちらりと浮かんだ考えを振り払うようにして、俺も体に張り付く濡れた服の袖を捲った。
 両足が使えない状態なので、素早く動いたりはできないが、両腕はきちんと動かせる。
 前は全然だったが、アラディンさんにちょっとコツを教えてもらったので、尾での移動だって可能だ。

「俺も行ってくる!」

「あァ、気をつけてな」

 無茶はせんように、と言葉を寄こされて、軽く背中を叩かれた。
 うんと答えて、みんなと同じように船を動かすために移動する。
 やがて風がさらに強くなり、竜巻つきの雲が海水を巻き上げながら近寄って来るのが見えた頃には、俺達の乗る船は近くの無人島を目指して逃げ出していた。






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