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彼はヒーローの恋人
※『救出はヒーローの仕事』から続くヒーローシリーズ
※『懇願はヒーローの最終兵器』以降の話



「俺、レイリーさんが好きだ」

 囁くようなそれは、けれどもはっきりとレイリーの耳へと届いた。
 それを言ったのはレイリーのすぐそばに佇む青年で、驚きがレイリーのその顔に浮かんだのは、ナマエという名の彼が、『もう一度』そう言うとは思わなかったからだ。
 以前、酔いの回った酒の席で口にしたのと同じ言葉を紡いだナマエは、まっすぐにレイリーのことを見つめている。

「……酔っているのかい」

 その顔がわずかに赤いのと、先ほどまでバーで酒を舐めていたことを引き合いにレイリーが出した『逃げ道』を、けれどもナマエは眉を寄せて拒否を示した。

「確かに酔ってるけど、ちゃんと本気で言ってることだから。前の時もそうだったけど」

 彼の言う『前の時』がいつだったのかなんてこと、レイリーだってはっきりと覚えている。
 けれどもあの日の後も彼の態度はまるで変らなかったから、酒に弱くつぶれる寸前だったナマエは覚えていないのだろうと考えていた。
 それならそれで、言及するのは良くないことだと、分かっていたからこそレイリーは今までそれに触れたことがなかった。
 レイリーもナマエも同性で、年齢はかなりの間がある。
 特殊な成り立ちでこの島にいるナマエが、それでも人並みに幸せを見つけるには、レイリーに対する想いなど何より邪魔なものだ。
 ナマエはどこかで彼にふさわしい女性を見つけて、恋をして、愛を語らい子供を作るべきだった。そうしてその幸せに満ちた姿を一目見ることが出来ればと、レイリーはずっとそう思っていた。
 本当にそれでいいのかと、誰かが自分に問いかけていた気もするが、きっとそれは気のせいであったはずなのだ。
 けれども今、レイリーの目に映るナマエは『幸せ』とは正反対の顔をして、ゆっくりと一つ頭を下げる。

「気持ち悪いこと言ってごめんなさい」

 仕草と殆ど同時だったそれは囁くように小さく、けれども後悔の一つも滲んではいなかった。
 あまりにも真摯に、真っ向から愛を告白してきた相手の前で、レイリーが小さくため息を零す。
 それから、ナマエの腕を手放し、自由になった手をそっとナマエの頭へと寄せた。
 けれども、その頭に触れようとしたのに、何故だかナマエの体がレイリーから遠ざかる。
 そのことに目を見開いたレイリーが見つめた先で、顔を上げたナマエは、見ているだけで胸が痛くなるほど、悲しそうな顔をして。

「ごめんなさい、もう二度と顔を見せないから。さようなら」

 はっきりとそんな風に言い放ち、そうして次の瞬間にはその姿が消え失せた。







「…………!」

 思わず大きく声を上げかけたところで、急に意識が覚醒した。
 ぱち、と目を開いたレイリーは、自分がベッドに転がっているということを自覚した。
 見慣れた窓がすぐそばにあり、わずかに開いたカーテンの隙間から穏やかに朝日を差し込ませている。
 シーツに押し付けた頬も、乱すように握りしめた手も強張っていて、そんな自分に対して漏れたため息が、ゆるりと体から力を抜いていく。
 いつもより端に寄って眠っているレイリーの傍らには、壁際から一人分の空白があるが、伸ばした手に触れたシーツにはぬくもりの一つもない。
 そのことに眉を寄せたところで、ふとその耳に小さく物音が響き、レイリーはゆっくりとベッドの上で顔を動かした。
 窓と逆側に位置するキッチンの方から、小さく物音がする。
 それとともにふわりと漂ったのはコーヒーの香りで、そこに誰がいるのか把握し、レイリーはそのままベッドの上へと起き上がった。
 床へ足を付け、裸足のまま立ち上がる。
 足音を殺してキッチンへと向かえば、はたして、予想通りの相手がそこにいた。
 レイリーのいる方へ背中を向けているために表情は伺えないが、滲む気配はどことなく楽しげだ。
 レイリーの家の、レイリーしか使ったこともないような簡素なキッチンで、つい最近増えたカップ二つへコーヒーを注ぐ相手へと近寄ったレイリーの両腕が、後ろから相手へと絡みつく。

「うわっ!?」

 急な接触に驚いたように声を上げた相手がお湯入りのケトルを放りそうになったのを、レイリーは後ろからケトルを救い上げることで回避した。
 先ほどまで火にかかっていたのだろう熱を持ったそれを取り上げられて、驚きに身を強張らせていた相手が、けれどもすぐに体から力を抜く。

「……朝起きてすぐに人のこと脅かすの、どうかと思うんだけど」

 もう、と小さくため息を零したナマエに手を伸ばされて、レイリーはその手元へとケトルを戻した。

「隣にいるはずの相手がいなくて、私も驚いた」

 だからあいこだろうと紡いだ言葉に、どういう理屈ですか、と声を漏らしたナマエが笑う。
 そのままその手が再びコーヒーを淹れ始めるのを見やったレイリーは、もう一度ナマエの体へと手を戻す。
 そして、彼の腰へ手をまわし、自分より小さい相手の方へ顎を乗せるようにして背中を丸めながら、ドリッパーへ湯をゆっくりと注いでいく手元を眺めた。
 最近、飲食店での仕事を始めたナマエは、泊りに来ると、こうやってレイリーへコーヒーを淹れてくれるようになった。
 手つきは初めの頃より幾分慣れていて、選んで買い込んできたのだろう豆も良質だ。
 良い香りのするそれを見やり、レイリーの口がため息を零すと、くすぐったい、とナマエがすこしだけ肩を竦める。

「どうかした?」

 コーヒーを淹れる手は止めないまま、穏やかにそんな風に問いを寄こされて、少しばかり考えこんでから、レイリーは声を漏らした。

「少し夢見が悪くてね」

 答えたそれは、『冥王』とまで呼ばれた海賊が言うにはあまりにも情けないものだ。
 しばらく前のレイリーなら、少なくとも腕の中の彼に対しては、そんなことは言わなかった。
 ナマエと言う名前の彼が、『シルバーズ・レイリー』という海賊を信頼し、頼りにしていてくれる友人だった頃の話だ。
 彼を助け、庇護し、いずれ訪れる幸せを祝ってやることが以前のレイリーの望みで、けれども今は、少しばかり違う。

「怖い夢だったんだ?」

 湯を注ぎ終え、ケトルをそっとポットマットの上に置いたナマエの片手が、そっとレイリーの腕へと添えられる。
 慰めるように優しく触れる掌のぬくもりを感じながら、ああ、とレイリーは相手の肩口で相槌を打った。
 『さようなら』なんて、なんとも恐ろしい夢だった。
 けれどもあれは、もしかしたらあったかもしれない現実でもある。
 ナマエが二回目の告白をしてくれたあの日、もしもレイリーが彼を引き留めようとしなかったなら、ナマエは今頃、シャボンディ諸島にはいなかっただろう。
 もしかしたら、すでに故郷への帰り方を見つけて、帰っていたかもしれない。
 彼が言うからこそ信じるが、ナマエはレイリー達とは違う世界で生まれた人間だった。 
 それがどこなのかをレイリーは知らないし、恐らくレイリー自身が足を踏み込むことのできない場所だ。
 彼がもし『帰って』しまったら、取り戻すことなど出来なかった。

「レイリーさんが怖くなる夢って、全然想像できないなァ」

「私のことをなんだと思っているんだ」

 笑いを含んだ声で呟かれ、わざとらしくレイリーが低く尋ねると、それを受けたナマエのほうが笑い声すら零す。
 その両手がカップを持ち上げ、少しばかり身をよじったので、レイリーはそっとナマエから身を放した。
 くるりとレイリーの方を振り向いたナマエが、手に持っていたカップの片方を差し出す。
 やわらかく微笑む相手からそれを受け取り、ありがとうを口にすると、どういたしましてと当たり前のように返事が寄越された。
 穏やかな色味の陶器の中には、なみなみと注がれた熱く黒いコーヒーがある。
 口元へ近付ければ豊かな香りが鼻をくすぐり、レイリーの口元にも笑みが浮かんだ。

「良い香りだ」

「気に入った?」

 下から見上げるようにして尋ねてくる相手に、ああ、とレイリーが返事を返すのはいつものことだ。
 それを受けたナマエがいつものように嬉しそうに笑うので、起きた瞬間からずっと付きまとっていた小さな冷たさが消えていくのを感じて、レイリーの唇が陶器に触れる。
 熱いコーヒーの苦みがじわりと舌を撫で、先ほど見た夢の続きであったはずの過去がレイリーの脳裏を過った。

『……もし、君を引き止めたいとしたら、私はどうすればいい?』

 みっともなく尋ねたあの日のレイリーを、ナマエは哂わず、詰ることもなかった。
 レイリーに引き止められたら生まれた世界を諦めるつもりだったと、ただそう告白して、その手段をレイリーへと提示した。
 そうして、自身の言葉を守り、今もずっとレイリーの傍にいる。
 彼には決して敵わないと、莫大な賞金を首にかけられた海賊が思っているだなんて、恐らくナマエ自身は知らないだろう。

「あ、そうだ。おはよう、レイリーさん」

「ああ、おはよう」

 朝日の差し込む狭い家の中、キッチンで二人向かい合いながら、そんな風に挨拶を交わす。
 朝ごはんはどうしようかと尋ねられて、その前にもうひと眠りしたいとレイリーが答えると、ナマエは少し困った顔をした。
 けれどもそれに応じ、レイリーが求めるまま抱き枕の役目まで担ったのだから、レイリーの恋人は随分とレイリーに甘い男だった。



end


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