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未来はまだ先
※『あと半歩外した未来』の続編
※主人公はエニエス・ロビーの雑用係
※微知識トリップ主
※長官に対するあれこれとしたねつ造注意



 近寄ってくる何者かの気配に、ジャブラの意識はふと浮上した。
 もとよりCP9というのは意識を尖らせて過ごすのが常なので、眠っていても起きようと思えばいつでも起きられる。こんな気配の消し方が下手くそな『誰か』が近寄れば尚更だ。
 けれどもジャブラは目を開けることもなく、ごろりと芝生の上へ寝そべったままでいる。
 体は悪魔の実の能力によって狼人間の毛皮をまとったままで、普段ならだらけるにしても自室で過ごすことが多いが、たまに起こす気まぐれだった。
 そして、ジャブラがその気まぐれを行うときは、必ずと言っていいほど近寄ってくる『相手』がいる。

「……また寝てる……」

 そろそろと、消しきれていない足音を立てながら近寄ってきた気配が、そんな風に言葉を零す。
 それから側に座り込んだ相手が、じっとジャブラを見つめてくるのを感じた。
 不躾で無礼な人間だが、それが誰だかをジャブラは知っている。
 ナマエという名前の、身寄りのない雑用係だった。
 司法の塔で過ごすサイファーポールや政府の人間の世話をして、たまに怒られたまに褒められる、どこにでもいる普通の、けれどももの好きで少し変わった人間だ。
 何故『身寄りがない』なんてことを知っているのかと言えば、何の気なしに尋ねた時にそう答えられたからである。
 帰るところを失った人間などこの海の上にはいくらでもいるもので、それ以上追及するほどの興味も湧かなかった。

「……触ったらまた怒られるかな……?」

 独り言を零した男が、またもじっとジャブラの方を見つめている。
 視線で穴が開くなら既に二つ三つ開いていそうなほど注視するのはいいが、いちいち自分の考えを呟くのはどうなのか。
 ゆらりと近寄ってくる熱を持った手がそっとジャブラの肩口に触れたところで、ジャブラは素早く自身の片手を動かした。

「うわっ!」

「怒られるに決まってんだ狼牙」

 がしりと腕をつかんで声をかければ、驚いたようにナマエが身を強張らせる。
 腕を引いて逃げようとするのを掴まえたまま、ぱちりと目を開けたジャブラは、自分の傍らに座る相手をしたからじろりと見上げた。

「起きてたんですか」

 困った顔をしたナマエがそんなふうに言ってくるのを放っておいて、大きな口を開いてあくびを零す。
 それから相手の腕は捉えたままでむくりと起き上がり、すっと体からいくらかの力を抜くと、その拍子に宿していた悪魔の力がなりを潜める。
 みるみるうちに『人間』へと戻ったジャブラの手の内で、先ほどよりも顕著にナマエの腕がびくりと揺れた。
 大きな耳も裂けた口もふさりとした尾も消し、動物系能力者らしいたくましさを宿していた体を先ほどよりも薄くして、それからちらりとジャブラが側を見やれば、そこにはぎゅっと目を閉じた男が座っている。
 明らかに顔をこわばらせているその姿は、まるでCP9であるジャブラを恐れているかのようだった。
 確かに、いくら司法の塔へ勤めるとは言え、ただの民間人でしかないナマエから見れば、ジャブラは『恐ろしい』部類の人間だろう。
 その目の前で何度も化け猫じみた能力者と争い倒しているし、返り血まみれの服を『洗え』と命じて渡したこともある。
 震えはしないが、明らかに身を強張らせている相手に少しばかり眉を寄せてから、ジャブラは先ほどと同じ姿になるために体へ力を入れた。
 別に、決して『ナマエが怖がるから』とかそんな心優しい理由ではなく、ただ単に、人の姿のままでいると傍らのこの男がすぐさま逃げ出すというのが今までの流れだからだ。
 のどかな昼下がり、ロブ・ルッチすら司法の塔にいない今日という日は、ジャブラに暇を寄こしているのである。
 ジャブラの意図に沿って、みるみるうちにその体を毛皮が覆い、体格が少しばかり大きくなる。
 生えた尾でぱたりと芝生を叩くと、その音を聞いたのか、それとも掴んでいるジャブラの掌が変わったことに気付いたのか、恐る恐るとナマエがその目を開いた。

「てめェは本当に毛皮が好きだな」

 一般的に、今のジャブラの姿の方が『恐ろしい』部類であるはずだ。
 ジャブラは狼に姿を変える動物系能力者であり、今もしっかり肉食獣らしい雰囲気を出しているはずである。

「いえ、ですから違います、俺は」

「犬つったらぶん殴るぞ」

 歯を剥いて脅かすと、ナマエはもごもごと言葉を飲み込んだ。
 けれども、ジャブラが掴んでいる手がいくらかうごめいているのは止まらなかった。
 逃げようとしているというよりは、その掌で人の腕を撫でようとしているとわかるその動きに、仕方のねェやつだ、とジャブラの口からため息が漏れる。
 それからふと、普段と違うものに気付いて、すん、とその鼻が空気を吸い込んだ。
 何やら、食べ物のにおいがする。
 悪魔の実の能力によって通常の人間の何倍もの嗅覚を持つジャブラからすれば、『かすか』とは決して言えない香りだ。
 どこから漂うものかと視線を動かしたジャブラの視界に、からからと小さく音を立てて進むカートが見えた。

「あの?」

 ジャブラの様子に不思議そうな顔をしたナマエが、どうしたんですか、と訪ねてくる。
 給仕をしていることも多い男へ視線を戻し、ジャブラの空いた手が裏庭を進んでいくカートを指さした。

「あれ、てめェのか?」

「え? ……あ!!!」

 言われてジャブラが示した方へ顔を向け、植え込みが邪魔したのか膝で立ち上がったナマエが、悲鳴じみた声を上げる。
 それから素早く立ち上がった相手に、ジャブラはつかんでいた腕を手放してやった。
 さっと植え込みの向こうへ飛び出して行ったナマエが、そのままカートへと近付いていく。
 やはりナマエのもちこんだカートであったらしい。
 からからと進む小さな音は、そう言えば確かに聞いた覚えがある。離れた場所に停めてあったのが、何かの拍子に動いてきたのだろう。
 見やった先でカートの足元を確認し、そのまま元の場所へ戻しに行こうとしたナマエが、少し考えてからカートを両手で押しながら近づいてくる。

「ブレーキ壊れちゃってるみたいです」

 気付かなかった、と言葉を零しながら、できるだけ平たい場所へとカートを進めたナマエが、車輪の一部を芝生の上へと乗りあげた。
 カートが近付いた分だけ先ほど嗅いだ匂いが強くなったのを確認して、すん、ともう一度鼻を動かしたジャブラが、胡坐をかいた膝で頬杖を突く。

「食い物の匂いがするな」

 カートの上には使用済みの皿が置かれているが、中身が無い皿から漂うにしては強い匂いだ。
 ジャブラの言葉に、あ、と声を零したナマエが軽く笑った。

「やっぱりわかります?」

 そんな風に言葉を放ちつつ、カートの傍で屈みこむ。
 カートの姿を包む布地を押し上げて、隠れた場所からナマエが取り出したのは、一皿の料理だった。
 付け合わせの添えられた骨付きの肉料理だ。
 なんでそんなものを、と耳を揺らしたジャブラの前で、今日長官の昼食係だったんです、とナマエが言う。

「大体いつも一皿は零すので予備を持っていくんですけど、たまーに要らなくなる日があるんですよね」

 やっぱり長官もやればできる人なんですねと、その『長官』が聞けば怒り狂いそうなことを言い出した相手に、なんだと、とジャブラは少しばかりの驚きをその顔に浮かべた。
 コーヒーや紅茶を飲ませれば熱いと騒いでひっくり返し、料理やインクはひっくり返し、朝と夕でネクタイとシャツが同じだったことすらほとんどないかの上官が、何事もなく昼食を終えたというのは、偶然に偶然を重ねた奇跡じみた出来事だ。

「雨でも降るんじゃねェだろうな」

「早めに洗濯物取り込みます」

 空を仰いで呟くジャブラに、ナマエがそんなふうに言葉を放つ。
 それからその手が皿をカートへ戻そうとしたので、気付いたジャブラは『おい』とそちらへ声をかけた。

「小腹が減った、それ寄こせ」

「……えっ」

 どうしたのかと顔を上げたナマエを手招き、ジャブラの口が言葉を放つと、なぜだかナマエが目を見開いた。
 あまりにも困惑したその顔に、ジャブラの方も首を傾げる。

「いやあの……俺が食べようかと思ってて……」

 尋ねる前にジャブラへそう答えたナマエは、奇跡的に一皿が余ったなら給仕係が食べても良い『ルール』なのだと言葉を続けた。
 ほお、とそれへ相槌を打ったジャブラの目が、ぎらりと輝きを宿す。
 狼らしく人の悪い笑みまで浮かべて、それからその手がもう一度手招くと、ナマエは諦めたように皿を持ち直した。
 同じように『予備』があったらしいフォークとナイフも手にして、そのままジャブラの傍へと戻ってくる。

「……どうぞ」

「おう」

 差し出されたそれを受け取って、ジャブラは機嫌よく返事をした。
 側へ座り込んだナマエのほうはと言えば、目に見えてしょんぼりとしている。案外食い意地の張った男であったらしい。
 膝の上に皿を乗せて、適当に肉を刻んでいる間もじっと注がれた視線を受け、仕方ねェな、とジャブラが口を動かす。

「てめェも食うか」

 言葉とともに肉を刻み終えた皿を片手に持ち直し、そしてもう片手でフォークを掴みなおした。皿の端にナイフを寝かせたのは、肉はどれも適当に刻み終えたからだ。
 向けられたさらに目を瞬かせたナマエを他所に、大きな手で器用にフォークを扱い、ジャブラは自分の口へ料理を運ぶ。
 食事なら狼の姿より人の姿へ戻った方が行いやすいが、まあいいかと口を動かした。味わうことに向かない狼の口で、適当に噛んで肉を飲み込む。

「え、えっと……いいんですか?」

「おれが食うかって聞いたんだ狼牙」

 さっさと食え、と言いながらずいと皿を差し出すと、少しばかりのためらいの後で、ナマエの手が皿へと伸びた。
 ジャブラが先ほど置いたナイフが掴まれて、その切っ先がひとまず肉を突き刺す。
 どう考えても行儀が悪いが為か、少し恥ずかしそうにしながらも、ナマエはそれを口に運んだ。

「……やっぱり美味しいですよね、ここの料理」

「プロが作ってんだから当然だ狼牙」

「いやそうなんですけど、長官のは特に美味しいと思います」

 お金がかかってる味がするというナマエの言葉に、そりゃそうだ、とジャブラが笑う。長官殿は専属のシェフまで手配している。金のなせる業と言えるだろう。
 そのまま二人で皿の上の料理をつつき、ナマエが付け合わせのポテトの最後を選んだ時には、皿の上にはほとんど骨しかない一切れだけが残っていた。
 ジャブラの手にあるフォークががつりと骨へ突き刺さり、そうしてそのままわずかな肉片とともに口の中へと骨を押し込む。
 がりんがりんと肉を食むとは思えない音が口から響き、しかし気にせず骨ごとそれを飲み込んだジャブラは、ついでにべろりと口元を舐めとった。
 横からそれを見上げていたナマエが、そっと口元からナイフを放しつつ、あの、と小さく声をかけてくる。
 なんだ、とジャブラがそちらへ耳と視線を向けると、ナマエの口が言葉の続きをそっと紡いだ。

「骨まで食べるのって、やっぱりそういうのが好きだからですか?」

 うちのポチも骨っこより本物の骨だったんですよと、寄こされた言葉を理解するのにかかった時間はほんの数秒。

「……おれは狼だって言ってんだ狼牙!」

 失礼すぎる給仕係にそう抗議したジャブラの声は明らかに大きく、間違いなく威圧的だったと思うのだが、何故だか側に座ったままの男は怯えも慌てもしなかった。
 人の顔を見れば怯えるくせに、まったく、ナマエはおかしな男である。



end


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