貴方へぬくもりを
※『寂しさの特効薬』続編
※トリップ系主人公は遭難者(だった)
※捏造設定があります
ナマエと言う名前の『遭難者』が船に乗ったのは、嵐が通ると航海士が言った海域を避け、念のために停泊した小さな島でのことだった。
波の音に誘われて浜へと降り立った自分のことを、褒めてやってもいいだろうとブルックは思っている。
あのままあの島へ足を向けなかったら、きっと彼はこの船に乗っていないと分かるからだ。
「ブルック、おはよう」
今日もまた、朝の日課を済ませたナマエがひょこりとブルックの近くへ寄ってきたので、おはようございます、とブルックもそれに挨拶を返した。
船に乗ってからと言うもの、ナマエは大体いつもブルックの近くにいる。
朝は弱いと言っていたのに、ブルックが早起きだと知ってからは、起きる時間もそれなりに早くなった。今だって、空は明るくなり始めたが、ブルックとナマエ以外に甲板に出ている船員はいない。
ヨミヨミの実の能力によって白骨化した体で蘇ったブルックが、誰か一人にこうも慕われるのは初めてのことだった。
『骨』であるという一点から食欲交じりの好意を向けられた覚えはあるが、それとも違う。
ナマエがついてくる様子はなんとなく、ブルックが船から顔を出すたびに海面から頭を出してついて回っていた、小さな鯨のことを思い出させる。
「お加減はいかがですか?」
朝の静かな空気の中、ブルックがそう尋ねると、もう大丈夫、とナマエが返事をする。
その両手や両足にいくらか巻かれた包帯は、確かに船に乗った当初よりは少なくなっていた。
島の中でどんな生活をしていたのかは分からないが、ナマエは体のあちこちに怪我をしていた。
当人すら気付いていなかったか、考えないようにしていたのだろう傷口のいくつかは化膿していて、人間トナカイの船医が大慌てで手当てをしていた。
その後の回復具合を見るに、確かにナマエの言う通り『大丈夫』だったのだろう。
ほんのしばらく前のことを思い出して、それはよかった、とブルックが声を漏らす。
笑みを乗せたそれがきちんと相手に伝わったのかは分からないが、応えるようにナマエもわずかに笑った。
「今日の朝ごはんはフィッシュサンドだって」
「ヨホホホホ! それは楽しみですね」
コックに聞いたのだろうメニューを口にするナマエに頷きながら、手元に広げたままだった新聞を折りたたんだブルックは、それを小脇に挟んだ。
そのままダイニングの方へと移動しようとしてから、ふと、じっと注がれる視線に気付いて傍らを見やる。
ブルックと同じ方向へ歩き出そうとしながら、ナマエの目はどうしてかブルックの肩より下へ向いていた。端的に言えば、手の方だ。
何を望んでいるのかは知っているので、ブルックの手がひょいと相手へ差し出された。
「ナマエさん、お手を拝借しても?」
骨だけの掌を広げて尋ねると、うんともはいともつかない不明瞭な返事をしながら、慌てたようにナマエの手がブルックの掌に重ねられた。
温もりすらも分からないそれをブルックが握りしめると、ナマエの指がそれに応えるように力を込める。
最初の頃よりは力がこもるようになったそれを受け入れてブルックが歩き出すと、手を引かれたナマエもそのままついてきた。
誰かの手を引いて歩くだなんて、まるで幼子を相手にしているような状態だが、ナマエは誰かと手をつなぐのが好きなのだ。
柔らかくて温もりを感じる他の船員達の方がよほど気持ちが良いのではないかとブルックは思うのだが、触りたがるのはいつもブルックの掌なので、直接的な温もりを求めているわけではないのだろう。
縋りつく掌を振り払うようなひどい真似などブルックはしないし、むしろ自分が拾った彼を引き受けることに異論はない。
二人でそのまま船内に入り、ダイニングへ移動すると、対面キッチンにいたコックがちらりと二人の方を見やった。
朝だからかそれとも別の理由でか、微妙な顔をした相手にブルックがひらひらと空いた手を振れば、ため息がたばこの煙と共に漏れる。
それを見て、は、と気付いたようにナマエがブルックの手を放した。
「お、おお、おはよう、サンジ!」
「あァ、さっきも聞いた」
「いや、挨拶は何回でもしていいかと思って、あの」
何かを取り繕うように言葉を重ねながらカウンターへ近寄っていくナマエを見送りつつ、小脇に挟んできた新聞をテーブルの端へ置いたブルックは、自身の定位置の椅子へと腰を落ち着けた。
そのまま、朝起きてきたときに出しておいたヴァイオリンのケースを開き、中から楽器を取り出す。
箱の中の道具を掴みだして、ゆっくり丁寧に弓弦に松脂を塗るのは、日課となっている光景だ。
いつもなら、朝起きて新聞を買ったら、すぐに楽器の手入れに取り掛かっていた。
そうして、用意したヴァイオリンで数曲弾いている間に仲間達がやってきて、楽しい朝食の時間が始まる。
その日課が今は少しばかり違うのは、それを始めると、ブルックの両手が常に埋まってしまうからだった。
さすがに両手が埋まっているときは、ナマエへ掌を見せてやることが出来ない。
ブルックの行動がわずかに変わったことに気付いているのは、恐らく、ブルックと同じ頃に目を覚まして朝食の支度を始めるコックくらいのものだろう。
『ひ……人のいる島まで、乗せて、くれませんか』
縋りつくようにそう言いながら、ブルックの腕を掴む彼の掌が震えていた理由を、ブルックは知っている。
蘇ってからの長い年月をあの海域に囚われて過ごした頃、ブルックが内側に飼っていた冷気とよく似たものが、青年の中に巣食っていた。
誰とも会話が出来ず、誰とも触れ合えず、ただそこにいるしかない。
周りに何があろうとも、その場には孤独が漂い、ひたひたと体の芯を冷たくしていく。
冷え込んだ体の恐ろしさを知っているからこそ、ブルックはあの日ナマエの手を取ったのだ。
「やや?」
弓の用意を終え、ふと顔を上げたところで、いつの間にやらすぐ近くに座っているナマエの姿を見つける。
ブルックが気付いたのを見て、テーブルに頬杖をついていたナマエがわずかに微笑んだ。
「紅茶、あと三分だって」
言葉と共に示されたテーブルの上にはカバーをかぶせられたポットがあり、そばには空のカップが二つ並んでいる。
コックが用意したのだろう二人分を見て、なるほど、と頷いたブルックは手元のヴァイオリンを持ち上げた。
瞳の無い双眸をナマエへ向け、穏やかに言葉を紡ぐ。
「それでは、まずは一曲」
少しでも目の前の相手をあたたかく包むようにと、ブルックの奏でた緩やかな音楽が、早朝のダイニングへと響いて溶け込んでいった。
end
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