寂しさの特効薬
※トリップ系主人公は遭難者
雨が大地を叩いて降りしきる。
ここ数日続く天気にうんざりしながら外をなんとなく見やった俺は、薄暗い小屋の外で、雨音に紛れた旋律に気が付いた。
雨のにおいを漂わせたそれに目を瞬かせて、聞き間違いかと自分を疑いながら耳を澄ます。
そうして確かに音楽が響いていると把握して、え、と思わず声を漏らした。
「…………人?」
ぽつりと漏れた声がなんとなく掠れたような気がするが、仕方ない。
このおかしな無人島にやってきてから、自分以外の『人間』が立てる物音は初めてだ。
かつては人が住んでいたと思わしきこの島には廃屋があり、猛獣がおらず飲み水も食料もあったおかげで何とか生活できてはいるが、とんでもなく寂しい。
『向こうの世界』から持ってきた傘はあったが、それすら手を伸ばすことなく慌てて小屋から外に出る。
たちまち空から降り注ぐ雨に体が濡れたが、今はそんなことには構っていられない。
小屋の周りに茂る木々や茂みに目を凝らしながら、必死になって耳を澄ました。
音の出所の方へとつま先を向けて、すぐにそちらへ歩き出す。
生い茂る木々の間を歩くと、多少の雨よけにはなるが、葉を叩く雨音のせいで旋律が聞き取りづらくなった。
それでも確かにこっちだろう、と感じたほうへと足を動かして、ひたすらに歩く。
そうして茂みを抜けて出た俺は、目の前にあったものに茫然と立ち尽くした。
全体的に水で湿った砂浜の上に、何やら人影が佇んでいる。
大きなパラソルの下に身を入れて、楽しげに両腕を使っているその『人影』が奏でるヴァイオリンの音色は、間違いなく俺をここまで導いた旋律だった。
しかし、たどり着いたことを喜んでいいのかどうか分からないのは、楽器を奏でるその『人物』が、黒い服を着込んだ人骨だからだ。
冗談みたいな髪型はそのままだが、楽器に触れているその両腕も白い骨で、顔も骨格標本にそっくりになっている。
一体、これは何だろうか。
わけが分からずその場に立ち尽くしていると、ふとこちらへ顔を向けた骸骨が、ゆるりと余韻を残すようにして音楽を奏でることをやめた。
「おや、これはこれは、初めまして」
「あ……」
穏やかな声であいさつを寄越されて、思わず会釈を返す。
そのまま凝視していると、両手でつかんでいる楽器を軽く揺らした人骨は、それからつい、と海の向こうを軽く示した。
促されるようにそちらへ視線を向けて、少し離れたところに船が停泊していることに気が付く。
今までどれだけ砂浜の上で待っていても船なんて通りかからなかったのに、なんて浮かんだ考えは、その船首と掲げられた旗を見て、全部吹き飛んだ。
何故なら、なんとなく、その船に見覚えがあるのだ。
自分はあの船の者だと言い放った骸骨が、両手で持っていた楽器をそっと降ろした。
「良い波音が聞こえたので、少々お邪魔しておりました。住民の方へ危害を加えるつもりはありませんので、どうぞご安心を」
とても楽しげに響く言葉に、ゆっくりと船から骸骨の方へと視線を戻す。
もしも、あの船が本物だったならば。
俺は多分、目の前で悠々と佇み言葉を操る人骨の名前を知っている。
「…………鼻唄のブルック?」
「おや、私をご存知でいらっしゃいましたか」
俺のとんでもない発言に、『ブルック』という名前の骸骨はヨホホホと笑った。
あまりにもあっさりと肯定されて、目の前が暗くなったような気すらする。
「…………そんな」
非現実的すぎる話だが、どうやら俺が必死になって生き抜いてきたこの無人島は、漫画の中の世界だったらしい。
「やや!? どうなさいました?」
訳の分からなさに脱力してへたり込んだ俺に驚いたのか、ブルックの方から慌てた声が漏れた。
それに返事もできずに両手を砂へと押し付けて、手に触れたそれを握りしめる。
雨水を含んで湿ったそれは確かに現実味のある感触だというのに、どうしてこんなことが起きるんだろう。
たまたま寝ているだけかとも思ったが、雨水を頭から食らい続けて体はじわじわと冷えはじめ、頭はさえたままだ。
久し振りに訳の分からなさに絶叫したいような気持ちになって、しかしそれが喉を傷めるだけと言う結果をすでに身を持って知っている俺は、ぐっと口を引き結んだ。
「お体の具合でも?」
そこへ、そんな風な言葉と共に影が落ちる。
それを受けて顔をあげると、鞄に楽器を片付けたらしいブルックが、俺の傍らに屈み込んだところだった。
俺へと降り注いでいるのと同じ雨がその体を湿らせて、白い頬骨の上を滑って落ちる。
「大丈夫ですか?」
俺が知っている『ブルック』と同じなら、海賊であるはずなのにそんな気遣わしげなことを言い放ち、ブルックの手がこちらへと伸びた。
俺に軽く触れてくるその掌に、柔らかさは存在しない。相手は骨なんだから当然だ。
それでも、久しぶりに『誰か』から与えられた接触に、俺は思わず自分に触れている相手の腕を捕まえた。
砂に触れていたせいで汚れた掌でつかんでみても、ブルックは俺の手を振り払いもしない。
ただ、その眼孔が観察するように俺を見つめていて、俺はそれを見つめ返した。
「…………あの」
「はい」
「お願いが、あって。その、駄目だったら、断ってくれても……いいんですが」
誰かに話しかけるなんて何か月ぶりだろうか。うまく声が出なくて、自分でもたどたどしく聞こえる言葉を紡ぎながら、指に力を入れる。
『断ってくれてもいい』なんて嘘だ。断ってなんて欲しくない。
もう、一人はいやだ。
そんな風に考えると喉の奥に物が詰まったような気すらして、息が荒くなったのを感じた。
あの、その、と言葉が紡げずに眉を寄せた俺を見て、ブルックが身じろぐ。
俺が捕まえていないほうの手が動いて、硬い掌が、そっと俺の顔へと触れた。
「お断りしないとお約束しますから、どうぞ、ゆっくりと」
穏やかな声がそう告げて、不思議と少しだけ体のこわばりが解けた気がした。
一度、二度と深呼吸をして、そしてようやく落ち着いてから、改めて目の前の相手を見つめる。
「ひ……人のいる島まで、乗せて、くれませんか」
お願いします、と言葉を重ねた俺に、俺の頬に触れていたブルックの手が離れる。
そのことに背中を冷たくするより早く、下へと降りたその手が、俺の肩に触れていたもう片方の手へと近付いて、その腕をつかんでいる俺の手へと、そっと重ねられた。
肩からもその手が離れて、するりと俺の掌から逃れていき、大きなその手が俺の手を両側から挟んで閉じ込める。
硬くて冷たいはずのその両手が温かく感じるのは、俺の体が冷えてきている証なんだろうか。
服に砂が付き、たぶん俺の手についたままの砂がその骨をも汚しただろうに、嫌がるそぶりもなく手へと力を込めてから、ブルックは頷いた。
「わかりました。皆さんには、私の方からお願いしましょう」
「あ……」
「貴方をここへお一人にはしません、絶対に」
力強く言葉を寄越されて、まるで目に雨水が入り込んだみたいに目の前がぼやける。
恥ずかしいことになりそうだと気付いて慌てて顔を伏せた俺を笑わず、ブルックはそのまま俺の手を引いて、船首にライオンをあしらったあの船へと連れて行ってくれた。
船には他にも何人ものクルーがいて、人間どころかトナカイまでいたけれども、俺は船に乗っている間ずっと、たった一人の骸骨だけを追いかけて歩くようになった。
俺のその様子にヨホホホと笑いながらも、嫌がるそぶりもなく付き合ってくれるブルックは、いろんな音楽を奏でていつも楽しそうにしている。
「ブルック、あの」
「ああ、ナマエさん、お手を拝借してもよろしいですか?」
男から頼まれているのに、手を握らせてほしいと願えば手を握ってくれるブルックはきっと、この世界で一番優しい海賊だった。
end
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