- ナノ -
TOP小説メモレス

おりをみて
※『いずれ』『そのうち』の続編
※異世界トリップ主人公は無知識



『次があったら、言うこと聞きますから!』

 確かに、そんなことを言った覚えがある。
 しばらく前のことで、もしかしたら正確ではないかもしれないが、似たような言葉だっただろう。
 受け身の練習をしていて怪我をした俺に、『転ぶのは得意だから自分が教える』とどう相槌を打っていいのか分からないことを言いだしたイッショウさんを、思い止まらせるために出た言葉だ。
 でもそれは『受け身』に関することだったはずなのだ。

「うーん……」

 何かがおかしい、と首を傾げつつ、とりあえず並べたものを鞄へ詰める。
 着替えと、軽い日用品が殆どだ。女性だったら化粧道具も入っただろうが、男の俺にはそれほど必要ない。
 用意してもらった鞄は大きくて、部屋の隅に常備してある小さめの救急箱を入れてみてもまだ空きがあった。

「うーん……」

 こんなもんでいいかな、と鞄の口を閉めたところで、カタリと後ろから音がする。

「用意はできやしたか、ナマエ」

「あ、はい」

 かけられた声に返事をしながら振り向くと、俺の方へ顔を向けているイッショウさんがいた。

「そんじゃあ行きやしょうか」

 見えていないはずなのに、俺が鞄を肩に掛けるのが分かったかのように一つ頷いて、イッショウさんがその場からゆっくり歩きだす。
 それを追うように部屋を出ながら、俺は少しだけ不自由な自分の左腕を見やった。
 曲がった形に固定された白い布の中には、添え木をされた腕がある。痛みがほとんどないのは、痛み止めを貰ったからだ。
 簡単に言えば、俺の左腕は折れていた。
 別にひどい骨折をしたわけじゃない。ぽっきりと折れていて、くっつく頃には前より丈夫な骨になっていると医者からも言われたような怪我だ。
 怪我をしたのは、イッショウさんが不在の間にやった荷運びの仕事の時だ。
 前に雇ってもらえたところが雇い主の都合で無くなって、すぐに見つけた新しい仕事は体力勝負だった。
 結局荷物の下敷きになって怪我をして休職となってしまったわけだが、荷物の酒瓶は守れたし、頭だってぶつけなかった。
 すぐに治ると言われたし、生活にはほとんど支障はないし、薬の匂いだってそれほどしない。

『……腕ェ、どうかしやしたか』

 だから留守にしていたイッショウさんにだって分からないだろうと思っていたくらいだったのに、『遠征』から帰ってきての開口一番、イッショウさんは眉間にしわを寄せてそう言った。
 慌てて取り繕おうにもどうにもならず、伸びた手から逃げる前に捕まって怪我を確認されて。
 そして『怪我をしたなら前の約束を果たしてもらおう』と凄まれたのが、つい数時間前のことだ。

「……俺、『何でも』言うこと聞くって言った覚えはないんですけど」

「おんやァ、そうでやしたか?」

 玄関口でさっさと下駄を履いてしまったイッショウさんを追いかけて、屈みこんで片手でどうにか靴ひもを結びながら言うと、イッショウさんの方からそんな言葉が落ちる。
 ちらりと見上げると、イッショウさんが俺の視線を待っていたかのように首を傾げた。
 素知らぬふりをしている様子だが、とてつもなくわざとらしく見える。

「悪い話じゃァごぜェやせんでしょう。新しい『仕事』だとでも思いやァいい」

 さらりとそんな風に言われても、そうだねと頷くのは難しかった。
 どうやらイッショウさんは、今日またすぐに『遠征』に出かけるところだったらしい。
 一度顔だけでも見ておこうかと思いやして、と言葉を寄越されて困惑したのだけど、イッショウさんがそういう反応に困る言い方をするのは今に始まったことじゃなかった。
 本当なら船から船に移動するなり、本部にとどまっているなりした方が時間の節約にもなるし、歩いてくるなんて面倒臭いだろうに、わざわざ会いに来てくれたんだと思うと、それは素直に嬉しい。
 けれども、以前の『口約束』を持ち出されて、『ついて来い』と言われて連れていかれるとなれば、また話は別だ。

「あっしのいねェ間に怪我をなさるんじゃァ、目の届く範囲にいてもらった方がよっぽど気が楽ってもんでしょう」

 言葉を落としつつ身じろいだイッショウさんが、杖を下へ置きながらその場で屈みこんだ。
 どうしたのかと見やった先から伸びてきた両手が、俺の靴紐へと触れる。

「イッショウさん、俺そのくらい自分で」

「ナマエさんはどうやら、随分と悪い目の出る性分なようだ」

 慌てて止めたけどまるで意に介した様子もなく、イッショウさんの手が紐を引っ張って結んでいく。
 俺の知らない結び方だが、どうやって解いたらいいんだろう。
 片足を終えて満足したのかと思ったら、掴んだ俺の靴から俺の脚を辿ったイッショウさんは、そのままもう片方の足にまで手を伸ばした。

「次に戻った時には、この足の一本がなくなってても驚きやせん」

「いや……そこは驚いてほしいというか……」

 しみじみと恐ろしい未来を語ってくる相手に、思わずそんな風に言葉を落とす。
 むしろ足を失うなんて考えたくもない未来だ。
 言うほどそんなに怪我をしていないのに、とイッショウさんへ向けて言うと、自覚がないってのは怖ェもんだ、と返された。
 その手がポンと俺の足を叩いて、紐を結び終えたことを知らせてくる。

「あ……ありがとう、ございます」

 ひとまず礼を言いつつ立ち上がると、屈んだままのイッショウさんがぱたりと傍らに手を這わせた。
 さっき下へ置いた杖を探していると分かったから、拾い上げたそれをイッショウさんの手元へ寄せる。
 すぐにそれを掴んで、それから俺へ向けて礼の言葉を述べたイッショウさんが、すくりと立ち上がった。
 すぐに俺よりずいぶんと上に行ってしまった顔を見上げながら、少しばかり眉を寄せる。
 言われるがままに用意をしてしまったが、何と言ったら断れるんだろう。
 普通だったら海軍側から物言いがありそうだが、イッショウさんは『海軍大将』だ。どこの世の中でも、偉い人が言う無茶はそこそこ通ってしまえるのである。
 ペットじゃあるまいし、何か仕事は貰えるかもしれないが、もともと海兵の皆さんがやる仕事だ。
 俺にこなせるとも思えないし、何よりあの海にはカイオールイとか言う巨大で凶暴な生き物がたくさんいる。イッショウさんがいるんだから大丈夫なのはわかるにしても、怖いところへは極力行きたくない。

「なァに、あっしのわがままを叶えるついでに、利用してやると考えりゃようござんしょう」

「え?」

「ここには無くても、他所の島でなら、アンタさんの帰る場所の手がかりが見つかる可能性もある。諦める必要はありやせん」

 言葉を重ねてくる相手に、思わずぽかんと相手を見上げる。
 俺の表情なんて分からないはずなのに、こちらを見下ろすように身じろいだイッショウさんが、その口元に微笑みを浮かべた。
 その手が動いて、ぽんと俺の肩を叩く。

「これに懲りたら、『言うことを聞く』なんて口約束はしねェこった」

 悪い大人に騙されやすよ、とまさしく騙した側に立つべき人間がそう言って、イッショウさんは玄関の引き戸を開けた。
 ガラガラと音を立てた大きな扉を潜り抜けて、石畳へ出たイッショウさんの下駄の音がからころと鳴る。
 それを聞きながら、俺は少しだけ身じろいだ。
 なんで、とか、どうして、とか、そんな言葉が浮かんだけれども、この場には全然ふさわしくない気がする。
 けれどもいつから、俺が『帰る』ことを諦めていることに気付いていたんだろう。
 俺は『異世界』としか言いようのない場所からやってきた人間で、どうやって来たのか分からない以上、帰る方法だって考え付かなかった。
 じゃあもうここで生きていくしかないんだろうなと、そうは思ったけど、俺の故郷を『遠いどこかの島』だと思っているイッショウさんが俺が帰れるようにしてくれると言ってくれたから、わざわざその好意を無下にできなくて、ずっと言えなかったことだった。
 しばらく経ったら、この島に愛着がわいたってことにして、イッショウさんの家からも離れていくつもりだったのに。
 いつか知られていたんだろう。
 もしかして、最初からだろうか。
 知っていたのに、何も言わずにいてくれたんだろうか。

「ナマエさん?」

 歩き出さない俺を振り向いて、イッショウさんが俺の名前を呼ぶ。
 あんまりにもいつも通りなその声音に、ぎゅっと拳を握ってから、俺は前へと足を踏み出した。
 外へ出て、片手で引き戸を閉めて、そのまま鍵も掛ける。
 それから振り向いて近寄ると、俺の足音を聞いたイッショウさんがゆらりと頭を揺らして、そのまままた歩き出した。
 からころと響く下駄の音を聞きながら、道へ出たところで隣に並ぶ。

「……………………イッショウさんって、案外悪い海兵さんですね」

「おんやァ、こいつァまた心外だ」

 しばらく歩いたところで、しみじみとそう呟くと、くすくすとイッショウさんが笑い声を零した。
 仕事はちゃんとくださいね、と言ったら『あい、わかりやした』と返事があったので、とりあえずは軍艦でまじめに働こうと思う。



end


戻る | 小説ページTOPへ