そのうち
※こちらの続きでイッショウさん寄り視点
※異世界トリップ系主人公は無知識
ナマエが隠し事をしていることを、イッショウは知っている。
「それでですね、受け身くらい取れなきゃなあって思ったわけですよ」
言葉を寄越されて、なるほどと返しながらも、イッショウの眉間にはしわが寄ったままだった。
気配で感じ取れる体格の差からすればナマエから見えるはずもない表情だが、イッショウが椅子に座っているせいで丸見えなのか、ナマエのいる方から少しばかり焦ったような気配がする。
そしてそれと共に漂う薬品の匂いが、イッショウの眉間にしわを寄せるのだ。
当人は『擦りむいた』と言った傷が、本当はそうでないことなど強い薬品の匂いですぐにわかる。
動いている気配からして五体満足ではいるようだし、骨折などはしていないようだが、明らかな怪我だった。
「そんな怪我ァさせるようなところに通うのは、認められやせんねェ」
ナマエと言う青年をイッショウが拾ったのは、いくらかの偶然が折り重なった結果だった。
どう考えても追われていたナマエを助け、ひとまずはと軍艦へと連れて帰った。
『ええと、その、気付いたら、あそこにいて』
身の上を尋ねたイッショウへ、ナマエはそう答えた。何がどうして自分がここにいるのか分からない、ただそう言って困った気配を零した相手に違和感を抱いたのは、どうやらイッショウだけであったらしい。
ナマエの口から出た言葉に、嘘はないだろう。しかし、まだ何か話していないことがあるのだと、イッショウはすぐに気が付いた。
イッショウの聞きなれない島の名前を言い、帰り方を探してやると言ったイッショウによろしくと言いながらも、ナマエはまるでそれを信じていないようだった。
それはイッショウを信用していないということではなく、『帰り方』など見つからない、と信じているらしい。
どうしてそう思うのか、その答えはナマエが隠したままで、イッショウの手元へは転がってこない。
当人が非協力的では、帰る場所を見つけてやることは難しいだろう。
しかしそれでも、イッショウは『帰してやる』と約束をした。
イッショウは嘘など口にするつもりもないし、目の見えない自分がどこまで手を尽くしてやれるかは分からないが、絶対にナマエを家へと帰してやると決めている。
そして当然、その言葉の頭には『無傷で』という枕詞がついてくるのだ。
「ちょっと擦りむいただけですから」
人の目に映らないからと嘘を言いつつ、そんなに怖い顔しないでくださいよ、と放ったナマエの方から困った声が漏れる。
それと共に、その言葉の通り確かに怯えているような気配を感じたので、イッショウは片手で軽く自分の顔に触れた。
「……あっしは、そんなに怖ェ顔をしておりやすか?」
「そりゃも、……いや、その」
思い切り頷こうとして、どうにか思いとどまったような声が聞こえる。
誤魔化すように目を右往左往させている様子がまざまざと思い浮かび、イッショウは顔に触れていた手でそっと自分の口元を隠した。
しかし、ナマエの眼にはすぐにイッショウの表情の変化が伝わったのか、あ! と鋭い声がそちらから漏れる。
「イッショウさん、もしかして俺のことからかってませんか!」
また笑って! と非難がましく寄越された言葉に、あいすいやせん、とイッショウはすぐさま謝罪した。
イッショウより小さいナマエは、たかだか海王類にすらも驚きの声をあげる、ごくごく一般的な青年だった。
どちらかと言えば、少し怖がりな分類ですらあるかもしれない。
イッショウがナマエを助けたとき、追いかけてきたならず者に怯えていたナマエは、それを粛清したイッショウにすらも怯えていた。
言うこともなすことも平凡そのもので、どちらかと言えば東の海にでもいたかのような穏やかさを持っている。きっとナマエは平穏で満ちた島で生まれて育ったのだと、イッショウは勝手にそんな想像をしていた。
「このまんま『ここ』にいる間ァ必要かもしれやせんが、故郷に帰った後で使うこたァねえでしょうに」
わざわざ受け身の練習などする必要がないだろうと椅子に座ったままでイッショウが声を掛けると、ええと、とナマエが言葉を淀ませる。
海軍本部へと来てから一か月、身元の保証人となったイッショウのもとにいたナマエは、イッショウが少し島を離れた間に仕事を見つけていた。
住む場所はまだイッショウと同じ家だが、いくつか物件を見て回っていることも知っている。
さらには最近は護身術のようなものも習い始めているらしい。
その様子はまるで、この地に永住を決めようとしているかのようだ。
「あっしが信用なりやせんか?」
わざとらしく情けない顔をしてみせたイッショウの向かいで、そんなことないですけど、とナマエがもごりと言葉を零す。
「イ……イッショウさん、もしかして、あの……」
何かを言いよどみ、しかしそれ以上は何も言わない。
しばらくその様子を観察してから、しかたありやせんねェ、と声を漏らしたイッショウは、ゆらりと椅子から立ち上がった。
愛用の仕込み刀を手にして軽く足元を叩くと、それに気付いたナマエがイッショウの傍へと寄ってくる。
イッショウさん、と声を掛けてくる相手の方へと顔を向けて、イッショウはその口元に笑みを浮かべた。
「どうせだ、受け身はあっしが教えやしょう。これでも転ぶのは得意な方なもんで」
目を封じてからしばらくはよく転んでいたと言葉を放ったイッショウのすぐそばで、ややおいて、何言ってるんですか、とナマエがいつもの調子で言葉を零す。
「受け身は転んでるんじゃないんですよ、イッショウさん」
「怪我をするんならそこまで変わりゃァしやせんよ」
怪我をしない転び方を教えてやろうと胸を張ったイッショウに、うう、とナマエが小さく唸る。
きっと眉を寄せているのだろう相手へ微笑みを向けて、イッショウは言葉を紡いだ。
「まずは手本に転んでみせやしょう」
あいにくとイッショウの視界にナマエの姿は映らないので、『教える』のだとすれば実演一択だ。
イッショウの言葉でそれに気付いたのか、駄目ですよ! とナマエが声をあげる。
「転んで怪我なんかしたらどうするんですか!」
「へェ、ですから怪我をしねェ転び方だと」
「駄目!」
危ないですよ、と続く言葉は真正面から、イッショウのことを心配している様子だった。
平和の国で生まれたに違いないナマエはこうやって、すぐにイッショウのことを心配する。
危ない生き物に出会えばすぐにイッショウの後ろに隠れるくせに、敵を退ければすぐにごめんなさいとありがとうを口にする。
受け身をどうのと考えたのも恐らくは、つい先日、海軍本部を襲いに来た海賊の暴挙に巻き込まれ、イッショウが転んだナマエを抱えて坂道を転がったのが原因だろう。
あの日は小さな小石がイッショウの額に軽く傷をつけ、ナマエは自分が大怪我をしたかのような慌てようだった。
恐らくナマエは、自分が受け身をとれたなら、イッショウがともに転がることはなかったとでも考えたに違いない。
「大丈夫です、もう怪我しませんから! 絶対!」
次があったら言うこと聞きますから、と、やがて飛び出た言質はイッショウの狙い通りのものだったが、イッショウはひとまず残念そうな顔をしておくことにした。
end
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